走馬灯は見なかった

ヤダカ ユウ

闇夜の灯火

——人は命の危険を感じた時、そこからどうにか助かる方法を探そうとして記憶の引き出しを開けていくため、その過程で今までの記憶がスライドショーのように甦ることがある


人はそのことを走馬灯と呼ぶ——



 いつかそんなことを書いた本を読んだことがある。

 自分がその状況に陥った時、果たしてどんな走馬灯を見るのだろうか。

 楽しかった記憶、悲しかった記憶、辛かった記憶、それとも——。



 屋上へと続く階段を登ると立ち入り禁止の看板の前に腰を下ろした。

 クラスに馴染めていない俺は、昼休みになると騒がしい教室を抜け出しこの定位置に足を運ぶ。


 いつも通り昼食を終えて本を開いた時、冷たい風が頬を優しく撫でた。

 振り返ると普段は施錠されているはずのドアが少しだけ開いており、その隙間から一筋の光が差し込んでいる。

 ダメだと思いつつも好奇心に逆らえなかった俺はドアを開けると屋上に出た。

 先程まで薄暗い場所にいたせいか、日差しがより一層眩しく感じる。

 目がその明るさに慣れると改めて辺りを見回した。周りは胸くらいの高さの柵で囲まれ、ただ広いだけの空間がそこにあった。


 柵の上に腕を組みぼんやりと景色を眺める。

「……ここから落ちたら死ねるのかな。」


 ——俺一人いなくなったって悲しむ人もいないよな


 そう呟きながら下を覗き込んだ時、

「ねぇ君、飛ぶの?」

 背後から急に声を掛けられ驚きながら振り返るとそこには一人の女子生徒が立っていた。腰くらいまで伸びた長い黒髪が風に靡いている。

「いいや、別に」

 声を掛けられる前の体勢に戻ると素っ気ない返事を返した。

「そう」

 彼女がそれだけ言うと屋上のドアが閉まる音がした。



 予鈴と同時に教室へ戻ると最後列の窓際にある自分の席に座った。

 次の授業で使う教科書などを準備していると、鬼の形相をした男子生徒がコチラへ向かってきて胸ぐらを掴んできた。

「おいお前、舐めた真似しやがって!」

 もの凄い剣幕に思わず後退りをし、遂にはベランダの柵に押し付けられた。

「てめぇのせいで俺は……」

 周りの生徒が止めるのも聞かず男子生徒の怒りはヒートアップしていく。


 なぜこんなことになっているかと言うと、事の発端は昼休みに入ってすぐのことだ。

 クラスの不良たちが俺の席の周りを囲み、購買でパンを買って来いと典型的なパシリを押し付けてきた。

 どうやらいつもターゲットにしている生徒が休みのため矛先がこっちに向いたらしい。

 女子の前でカッコつけて俺のことをパシッたのは良いものの、格下に見てたやつを従わせられなくて恥でもかいたんだろう。飛んだ災難だ。


 しばらく揉み合った後やっとの思いで胸ぐらから手が離れたと思ったその時、両肩を思いっきりどつかれて後方に吹き飛んだ。

 大きな音を立てて身体が柵にぶつかると、そのまま重心が後ろに流れていく。


 目の前には残酷なまでに青空が広がっていて、手を伸ばしてみたが虚しくもゆっくりと遠ざかっていく。

 反対に背後の地面との距離は着々と縮まりつつあるが不思議と恐怖心はなく、まるで時の流れが止まっているかのように感じる。


 その永遠とも思えた時間が一瞬の間に起こったと出来事だと気づいたのは全身に強い衝撃が走ってからだった。

 やがて周りから悲鳴が聞こえ始め、たった今自分の身に起こったことを理解した。

「——これで楽になれるかな」

 こんな状況でもそんなことを思ってしまう自分に嫌気がさす。


 視界が霞み薄れゆく意識の中、屋上に人影が見えた気がした。



 生きる理由も希望も見出せなかった俺は助かることを望んでいなかったからだろうか。


 ——走馬灯は見なかった。



 目覚めると変な模様の付いた白い天井が目に入る。ゆっくりと視線を動かすと横には点滴が下がっておりその先は自分の腕につながっていた。

 ふと右手に何かの感触を覚え、それを握るとナースコールが鳴った。遠くからバタバタと足音が近づいてきて吊るされているカーテンが開く。

 お医者さんから聞いた話によると、どうやらベランダの柵が外れて三階から落下。一命は取り留めたものの数日間眠っていたらしい。

 これから一週間入院し、検査に異常が無ければ退院できるようだ。


 極力ベットの上から動かない入院生活も折り返しのある日、病室に一人の生徒が顔を出した。その顔はどこか見覚えがある。

「君は屋上の…どうしてここに?」

 そう問いかけると、彼女はサイドテーブルにあった花瓶に花をさしながら答えた。

「クラス代表でお見舞いに来てあげたの」

「クラス……代表?」

「あら、まさか自分のクラスメイトも覚えていないなんて。それとも記憶喪失なのかしら?」

「ごっ、ごめん」

 まさか同じクラスだったとは思わず、自分のクラスメイトへの関心のなさに驚いた。

「本当に飛び降りたんだ?」

 悪戯に笑う彼女から顔を背けるようにして寝返りを打つ。

 静けさに包まれた病室には、しばらくの間小鳥の囀りだけが響いていた。


 それからどれだけの時間が過ぎただろうか。長かったような短かったような。

「あれ、寝ちゃった?」

 その問いかけに用意した言葉は音にならないまま吐き出された。

 そうして病室には再び静けさが訪れた。


 半分ほど開いている窓から入り込んできた風がカーテンを揺らし、顔に当たった日差しに思わず目を薄める。

 彼女は本を閉じて椅子から立ち上がると、窓枠に手を置き雲ひとつない青空を見上げた。


「ねぇ、私は君がいなくなったら悲しいよ」

 そう小さく呟いた彼女の顔は日差しとカーテンのせいでよく見えなかった。

 そしてなぜ彼女がそんなことを言ったのか俺にはわからなかった。



 あれから数十年。その答えを聞けないままその時と同じ天井を見つめている。

 もう身体を起こす体力も残っていない。

 ——もうすぐ君のそばに行けるかな

 視線を右側に移すと見える景色はあの時と同じで雲ひとつない青空だった。


 その日の病室にはいくつかの人影があった。皆口々に何かを伝えようとしており、涙を堪えている者もいた。

 最後まで握られている両手は暖かく、あの時の言葉は撤回された。


「ありがとう」


 そう呟いて瞼を閉じると、だんだんと意識が遠ざかっていく。

 大切な人たちに見守られながら俺は深い眠りについた。



 生きる理由も希望も見出せなかった俺に、彼女はたくさんのものを分け与えてくれた。

 あの時とは違う十分過ぎるほどの幸せな日々を過ごせたからだろうか。


 ——走馬灯は見なかった。

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