第5話
マギ・アル・アディナは小さな国ではあったが、魔法の国として名高く、王都は常に賑わいを見せていた。
ここにも異国の若者がいた。
頭から水をかぶったかのように汗みずくの一人の若者は、広場にある噴水で荒っぽくぶるぶると顔を洗うと、拭くものを忘れたことに気づいた。頭を振ってすまそうとしていたところに、後ろから如何にも上等なやわらかな手巾がさしだされた。
「マルティン、おまえ、あいかわらず忘れものが多いな」
「そうなんですよ、ついつい手巾を宿に忘れて…じゃないですよ、リカルド殿下! どれだけ探したと思うんですか!」
「ああ、悪かった」
マルティンは、エル・エクリクスの第二王子リカルドの側仕えだ。幼い頃からの遊び相手であったため、公の場から離れると、お互い気安い間柄になる。
「勝手にひとりでゴブリン退治なんて、本当に、やめてくださいよ」
「おまえにはいつも世話をかける」
これまでにも、ひとりで勝手に遠乗りや狩りに出かけてしまうことは多々あったものの、他の国へ行くといって姿を消すのはただごとでない。
リカルドは、そんな苦労人のマルティンの肩を叩きながら、にっこりと笑ってこう言った。
「いま、求婚してきたころだ」
「求婚? いま、求婚っていいました? ゴブリン退治してたんじゃ?」
「ああ、そこで運命の人に出会った」
「いや、急すぎるでしょ? あなた、一国の王子だって自覚あります?」
「森の中で傷ついたウサギを腕に抱いて震えていたあの人の姿……」
「殿下、わたしの話、聞いてます?」
「おまえにも見せたかったな、勇敢でありながら、はかなげで……」
リカルドには、もはやマルティンの言葉など耳に入ってはいなかった。彼の瞼の裏には、森で出会った見習い魔法使いの姿しか映し出されていなかった。
「はいはい、一目ぼれってやつですか?」
呆れて、マルティンがこぼした一言への回答は、さらに呆れるものだった。
「いや、フードを目深に被っていたから、ほとんど顔は見てないんだ」
「それで、求婚しちゃったんですか?」
「魔法使いのローブを着ていても、そこはかとなく溢れでる気品というか」
「まったく……結婚してから後悔しても遅いですよ」
「後悔などするものか」
そのリカルドの決意をからかうように、マルティンがさきほど聞きつけた話を告げた。
「そうは言っても、結婚できるかどうかはわかりませんよ」
「どういう意味だ?」
「さきほど、城門の前にお触れがでていたそうです。なんでも盛大な舞踏会が開かれるとか」
「ちょっと待て、舞踏会だって?」
「婿選びってことじゃありませんか?」
「そんな…女王陛下はわたしを婿にしても良いと」
「どこからか横やりが入ったってことも考えられますよ」
「そんな」
「魔法の国の姫なんて、どこの国も狙ってるに違いありませんからね」
「しかし、あの姫は……」
考え込むリカルドに怪訝に思ったマルティンがその顔を覗き込んだ。
「その姫が、どうされたんですか?」
「いや、なんでもない」
「なんでもないって風には見えませんがね」
とは言ったものの、いったん口を閉ざしたリカルドが、答える気がないとわかっていたマルティンは、それ以上の詮索はしなかった。
「マルティン、舞踏会だ! 宿に戻って準備をしなくては」
「はいはい、わかりましたよ、殿下」
そうして、二人は城下にとっていた宿に急ぎ足で戻っていった。
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