第7話 出逢い②
僕はお姉さんを支えながら、家に向かってゆっくりと歩いていく。
保衛官から放り投げるように渡された彼女の荷物は軽いもので、中身はほとんど空っぽだった。
何より、彼女の体重も相当軽い。
見た目からして華奢な体つきなのは分かるけど、その見た目以上にあまりにも軽すぎる。僕たちのように、今までろくに食事を取れていなかったのだろうか。
「お姉さん、大丈夫? 歩くの辛くない?」
僕がそう尋ねると、彼女は息を整えながら、柔らかく微笑んでくれる。
わあ、やっぱり綺麗な人だなあ。
結構年上っぽいけど、これから仲良くなれたらいいな……!
なんだか嬉しくなってきた僕は、ウキウキしながら自分の名前を名乗った。
「あの、僕の名前はカシア! カシア・ツァイっていうの、よろしくね!」
初対面の人に名乗るとき、僕はいつも少しだけ胸を張る。
というのも、僕の「ツァイ」って苗字は、実はこの国でもすごく珍しいものなんだって。
昔、母さんがそう教えてくれてから、なんとなく誇らしい気持ちになるんだ。
だけど、僕が名乗った後の彼女の反応は、思っていたものと少し違っていた。
「ツァイ……?」
彼女は小さく呟いて、ふと目を伏せた。
珍しがるわけでも、バカにするわけでもなく、まるで何かを思い出しているみたいな表情だ。
僕はどうしてそんな顔をしたのかちょっぴり気になったけど……それより先に、別のことが聞きたくてたまらない。
「ねえねえ、お姉さんの名前は?」
無邪気に尋ねる僕に、彼女は一瞬だけ戸惑ったように見えた。
でもすぐに、困ったように笑いながら口を開く。
「私は――――サクラ・ヨシノ」
サク……レ?
…………んんん?
名前を聞いた瞬間、僕は思わず首を傾げた。
一度も聞いたことがない響きだ。
「サ、サク……? ヨ……え、っと……?」
真似しようとするも、聞き慣れない名前に困惑してしまう。
そんな僕を見て、お姉さんは「そりゃあ、そうなるよね」と言いながら少し申し訳なさそうな顔をした。
何故かいたたまれなくなった僕は、「ご、ごめん……もう一度教えてくれる?」と慌てて謝る。
すると彼女は優しく微笑みながら、もう一度ゆっくりと名乗ってくれた。
「私は、サクラ。日本から来たの」
「……ニ、ホン?」
そしてまた、聞いたことがない単語。
まるでこの世界の言葉じゃないみたいに、耳に馴染まない音だ。
ニホン、ニホン、ニホン……
この国のどこかに、そんな名前の村や街があるのかな?
「それって、どこかの村の名前……?」
僕は恐る恐る尋ねる。
だけど、お姉さんはその問いに小さく首を振り、笑いながら答えた。
「日本というのは、国の名前よ」
「国……?」
今度はついに、頭が完全に真っ白になった。
国って、この国のことじゃなくて?
僕たちが住むこの式国以外に、「国」と呼ばれる存在があるなんて聞いたことない。
言葉を失う僕を見て、お姉さんは柔らかな声で続けた。
「そう。私は、この式国の隣にある、日本という国から来たの。……まあ正確に言うと、自分から来たというよりは連れて来られた、って感じかな」
この国の隣?
…………ニホン?
僕はお姉さんの話を頭の中でぐるぐると巡らせる……けど、どうしてもよく分からない。
だって、隣に別の国があるなんて、ここで保衛官から配られる教科書にも載っていた記憶はないし。
「ニ、ニホンって……いうのは……本当に、この国の隣? にあるの?」
少しうわずった声でそう聞くと、お姉さ……サクラはうん、と頷いた。
「そうよ。ここからは見えないけれど、でも確かにあるわ……私の故郷、日本が」
そう言って空を仰ぐ彼女の目は、どこか遠くを見つめているようだった。
僕は知らなかった。
この国、式国以外に「国」が存在するなんて。
僕たち「式国人」のほかに、存在する人々がいるなんて。
考えたこともなかった。
だって、僕は生まれてから死ぬまでずっと、この第5区で生きていく運命なのだから。
♔♔♔
その日の夜、僕はキラを誘ってサクラの家を訪ねることにした。
新しい人が来るなんてめったにないことだし、何よりサクラの話をもっと聞いてみたかったのだ。
「サクラー! やっほ! 夜ごはんはもう食べた?」
僕がドアの外から声をかけると、サクラの声が家の中から返ってきた。
「ふふ、もう食べたわよ。どうぞ入って」
僕はニコニコしながらドアを開けて家の中に入ったけど、キラは僕の後ろで立ち止まったまま。サクラをじっと警戒するように見つめている。
「後ろの男の子は……カシアのお友達かしら?」
サクラが穏やかな笑みを浮かべながら、僕の背後にいるキラを見て言った。
「うん! 僕の幼馴染で、キラっていうんだ! ほらキラ、ちゃんと挨拶して!」
僕が急かすと、キラはなぜかムスッとした顔をして、ぼそりと言った。
「……キラ・リー。年は16。カシアと同じく、生まれた時からずっとここにいる。以上」
あまりにもぶっきらぼうで短い自己紹介。
はあ、もう……どうしてキラはいつもこうなんだ。
「もー、キラはぶっきらぼうに見えるけど、実は照れ屋さんなだけなの。ごめんね、サクラ」
僕が冗談めかしてそう言うと、サクラは優しく微笑んだ。
「いいのよ。よろしくね、キラ。私はサクラ」
キラはその言葉に、一瞬戸惑ったような顔をしたけど、すぐに目をそらして短く答えた。
「……ああ」
そのやりとりに、僕はちょっとだけ安心した。
キラは口数が少ないけど、本当はいいやつだって、サクラにも伝わるといいな。
「それにしても、サクラは珍しいね」
僕は床にペタリと座り、足を伸ばしながらずっと思っていたことを口にする。
「珍しい? 何が?」
サクラは首を傾げて僕を見つめた。
僕はどう言えばいいか迷いながら、少しずつ口に出していく。
「普通、ここに来たばかりの人たちはみんな、もっとこう、なんていうか……」
僕が言葉を探していると、隣でずっと棒立ちのキラが、僕の話を遮るようにして口を開いた。
「もっと絶望的な顔をするんだよ、普通は」
そのはっきりとした声と強い口調に、僕は少し焦ってしまう。
「キラ!も、もうちょっと言い方があるでしょ!」
「事実だろ」
キラは淡々とした表情のまま、サクラをじっと見つめて続けた。
「ここは、数ある区画の中でも特に政治的に反抗的だとか、不安定な思想を持つとか、そんな理由で捕まった人たちが収容される場所らしい」
その語気はいつにも増して強い。
僕はハラハラしながら、キラの横顔を見つめることしかできない。
「俺たちは親のせいで、生まれる前からここにいる。でもお前は違う」
僕は恐る恐るサクラの表情を窺うと、彼女は特に動揺した様子もなく、ただまっすぐにキラの話を聞いていた。
そんなサクラを前にしても、キラの口は止まらない。
「半日前にここに来て、そこら中に転がる死体や配給の生ゴミみたいなスープもすぐに受け入れて、今もアホみたいにケロッとしてる」
「き、キラ!」
僕は思わず声を上げた。
いくらなんでも、言い方がキツすぎる。
というか初対面の人に向かって、アホは流石に失礼すぎる。
けれど、キラは僕の抗議を無視してさらに続ける。
「おまけに、この国の人間じゃないときた」
サクラの目が少しだけ細められた気がした。
僕にはその意図が分からなくて、ただキラの次の言葉を待つしかなかった。
「……お前は一体、何者なんだ?サクラ・ヨシノ」
キラの鋭い視線と言葉に、僕の心臓がドキリと跳ねる。
サクラは一瞬だけ目を伏せる。その横顔には、どこか寂しげな影が差しているように見えた。
「私が、何者なのか、ね……」
「ああそうだ。喋り方だって俺たちと違う、式語でそんな訛り聞いたことねえよ」
キラの言葉は鋭く、僕はいよいよ彼を止めたくなった。
でも、サクラはそれを受け止めるように、静かに微笑む。
「…………そうね。じゃあ……もしよかったら、私の話を聞いてくれる?」
「……へ? サクラの、話?」
「そう。私がここに来るまでの……昔話、になるのかな」
その瞬間、僕たちは思わず顔を見合わせた。
そして再びサクラの方に向き直り、僕は静かに頷く。
サクラはそんな僕たちの反応を確認してから、ゆっくりと口を開いた。
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