セピアの嫉妬
芹沢紅葉
第1話
好きだったものが、次第に承認欲求を得るためだけの道具になっていく。
僕は、小さい頃からカメラで写真を撮るのが好きで、様々な種類のカメラに触れる機会に恵まれていた。初めてカメラで撮った時の記憶は、今でも鮮明に思い出せる。
あの頃の僕にとって、カメラ越しに見える世界は何もかもが新鮮で、何よりも大好きなものだった。
なのに僕は今、好きにこだわるよりも認めて欲しくてもがいている。
高校生になった僕は、華々しいデビューを飾るということはなかったけれど、普通に学校生活を楽しめていたと思う。
真新しいブレザーに袖を通して、綺麗に揃えて整えた短めの髪にも慣れてきた。けれど、ある時から抱いている、尽きない悩みだけは
写真部にはヤバい三年生がいるらしい。クラスメイト達の言う噂話は、正直話半分にしか聞いていなかった。
僕にも、認められる場が欲しい。そんな下心にも似た気持ちで入部することを決意していた。
放課後、写真部の部室として使っている空き教室に足を踏み入れた。そこには色んな写真が飾られていて、どれも技量が高いポートレート写真なのは誰の目から見ても明らかだ。まだ誰も来ていないのを確かめてから、数歩、足を進める。
A4サイズのシンプルな額縁の中、全ての写真にそれぞれの世界を見た。
暗がりでスポットライトを浴びて踊る一人のバレエダンサーの美しさ。
ふと、額縁の下にプレートを見つけた。簡単な紹介文みたいなものだろうと思って読み上げる。
「
飾られていた写真のプレートに書かれている名前は全て同一だ。皆川さんという人が色んな賞で成績を残している。
その事実を誇らしそうに飾っていることが、正直、気に食わなかった。
全ての写真を眺めていると不意に扉が開く音がして、一人の女子生徒が立っていることに気が付いた。ポニーテール姿の活発そうな、恐らく上級生。彼女は僕に気が付くと、にこやかな表情で近づいてきた。
「初めまして。君が新入部員の
頷くと、彼女は僕の目の前にあった作品に視線を移す。先ほどの老夫婦の写真を指さしながら、問いかけてくる。
「それ、私が撮ったんだけど、どうかな?」
僕は驚いて、目を見開いた。じゃあ、この人が数々の賞を取り続けているのか。ある意味、天才と直接出会ったと言ってもいいのだろう。だけど、僕は彼女を認めたくなかった。部室に飾られている全ての写真を、皆川さんが撮影したものだとしても。
どうかな、という問いには答えられなかった。その時点で、僕の心にはぐるぐると渦巻くものがあって。答えあぐねているうちに、皆川さんは首を横に振った。
「……まぁ、いいや。ほら、君の撮った写真を見せてよ」
見下されている、と直感的に思った。私を越えられるわけないでしょう、とほくそ笑むように
自信のある何枚かの写真をスマホで見せると皆川さんはただ、それを見ると、ふっと笑って僕に写真を返した。
僕の方を向いた皆川さんはどこか満足そうだ。
「いい写真だねぇ」
その言葉は正直なものであると分かるのに、喜ぶどころか皮肉のように聞こえてしまうのは僕が悪いのだろうか。
皆川志映。彼女の第一印象は、僕の
「なんで顔を逸らすのかな? 照れてる?」
「皆川さんが苦手だからです」
「わぁ、正直すぎるよ肥川君」
そう言いながらも少し楽しそうに笑う皆川さんは、嫌な人というだけでなく、よく分からないという感想も抱かせた。
「避けないでよ。苗字に川のつくもの同士、仲良くして欲しいなぁ。それに」
訳が分からない理由を口にしてから、誰も来ない現状を皆川さんは説明し始めた。
部員はほとんど僕と皆川さんだけという状態だった。名ばかりの幽霊部員が数名いるが、誰も彼も皆、皆川さんの圧倒的なまでの才能に打ち砕かれている。
ただ好きなだけじゃ、あの部活ではやっていけない。そんなことを学校中で
「でも、仕方ないんだよ。
「満足って……。たった一人のエゴの為に、部を崩壊させるんですか」
「そうだよ」
皆川さんは少し食い気味に、はっきりと断言した。
「だって、私は部活動が好きなんじゃなくて、撮影と写真が好きなんだからね」
ビリッ、と感じる圧倒感。ああ、そりゃあ他の部員がついていけなくなるわけだ。と妙に納得する。
だけど、僕は違う。僕だって撮影が好きだ。写真が好きだ。その気持ちは天才にだって負けはしない。
ほんの少しの敵意にも似た気持ちでいると、皆川さんはスマホの画面を見せてきた。応募日を間近に控えた、写真コンクールの作品募集ページ。要項に目を通していると、皆川さんは胸を張って画面を揺らした。視線を皆川さんに向けると、既にカメラを首から下げて準備万端と言わんばかりに微笑んでいる。
「これなら最初のコンクールにうってつけだ。さぁ、撮影に行こうか、肥川君」
制服の上からぶら下げたカメラを、指先で少しだけ弄りながら、僕は彼女に問いかけた。
「皆川さん」
出会ったばかりの先輩にこんなことを聞くのはどうかと思うけれども、あらゆるコンクールで最優秀賞を
「どうしたら、認められるような写真が撮れますか」
どうすれば、この気持ちが満たされますか。真剣に尋ねた言葉を、彼女はどう思ったのだろう。
「どうしたら、か。そうだねぇ……」
そう呟きながらも、僕の問いには答えてもくれずに、彼女は撮影へと足を運ぶ。
才能に溢れている天才に答えを求めるのは間違っていたらしい。
やっぱり僕は、この人が嫌いだ。
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