第7話
今でもはっきり覚えている。夏も更けた頃だ。
もう秋になろうと言うのに、記録的な暑さで、蝉がまだ鳴いていた。
夕方のワイドショー。
僕は何の気無しに、ビール片手にそれを見ていた。
くだらないコメンテーターが、くだらないことを、テレビの向こうで話していた。
そこで流れる、民間人の好きそうなニュース。
僕はそれを見ながら、またか、と笑った。
殺人事件のそれは、僕の興味を引くには十分だった。
なにせ、隣町で起こったニュースだからだ。
僕はビールを流し込む。煙草を吸いに行こうと立ち上がった刹那、僕の足が止まった。
被害者は女性、容疑者は男性。
同居している。
女性は暴行を受け、その後死亡。
男性は行方が知られていない。
コメンテーターたちは、無関心にも楽しそうに、写真を眺めては、感想を言い合っていた。
その写真は。
見覚えのある顔だ。
金髪でにっと笑う顔。
そして。
コメンテーターは、確かに、夢香の名前を口にした。
僕は、ビール缶を落とした。カーペットに、シミが広がる。
「夢香」
蝉が鳴く。
「夢香」
生ぬるい風が、まとわりつく。
「夢香」
そう呟くことが、精一杯だった。
膝から崩れ落ちた。手の力が抜けた。体がガクガクと震える。
「夢香は、みんないい人だと信じてるよ」
ああ言った夢香は、最期に何と言ったのだろう。
「一番優しい人」
信じた夢香は、どんな思考で最期を迎えたのだろう。
目から溢れる何かを、止められなかった。
僕は、止めたくなかった。
「僕なら」
幸せにできたのに。
そう言いかけて、やめた。
それは僕の傲慢だ。
僕は、そのニュース項目を眺めきった。なにも、覚えていなかった。
のろのろと、立ち上がると、何とかベランダに出た。
夢香の煙草が、目に入る。お気に入りだった、ポッキーみたいな煙草。
僕はそれを咥えると、豹柄のライターで火をつけた。細い煙草は、心元なく煙を揺らした。
涙が、止まらなかった。
あの時、僕が「行くな」と言ったら。
あの時、僕が「やめなよ」と言ったら。
あの時、僕が「幸せにする」と、強く、強く言えていれば。
ああ、後悔先に立たずとは、このことを言うのだろう。
僕は、笑った。
覆水盆に返らずとも言えるだろう。
もう何を言っても遅い。僕は、一人の人を見殺しにしたのだ。殺したのだ。
僕は、最後の一口を吸った。
この煙草の主は、もういない。
僕の部屋へ転がり込むこともない。
生ぬるい風を、僕は掴んでみた。
しかし、掴めるものは、何もなかった。
虚 夢崎 醒 @sameru_yume
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