おかあさま
武儀 みずき
第1話 引越し
志織が来年から尋常小學校に上がるので、母の葉子と志織は旦那さんの計らいで長屋から中古の一軒家に引っ越すことになった。
築四十年だが手入れは行き届いており、台所の他に部屋は三つと小さな庭もあって親子ふたりが暮らすには充分であった。
葉子は鄙びた平屋の家より洋間のあるモダンな家を期待していたのだが、旦那さんの前でそんなことは言えなかった。
一方、志織はすぐにその家を気に入った。
三つある部屋とは別に座敷の奥に後で増築されたらしい一段低くなった三畳ほどの部屋があり、葉子はその部屋を物置にした。物置部屋には大きな長持が置かれ、中には洋子の芸者時代のもので処分しきれなかった着物などがしまわれた。
志織は特にその部屋を気に入り、そこが志織の遊び場となった。
旦那さんはいつも土曜日の夕方に来て、日曜日の昼過ぎに帰っていく。家に来る時にはいつも志織に童話やお伽話の本を買ってきてくれた。新しい玩具や着物よりも志織が何より喜ぶからだ。
「ありがとうございます。おとうさま」
志織は旦那さんをおとうさまと呼んでいた。旦那さんがそう呼ばせていた。
さっそく本を開こうとする志織を制して旦那さんが言った。
「志織は本当に本が好きなのだね。だけど本を読むのは、おとうさまが帰ってからにしておくれ。今はおとうさまと遊ぼう」
「はい、おとうさま」
旦那さんは志織を膝の上に載せ、色々な話をしてくれる。時には綾取りやお手玉をして志織と遊んだ。
葉子はそんなふたりの姿を眺め、芸者をしていた頃には思いもよらなかった人並みの幸せというものを感じながらも、どこか寂しさのようなものも思わずにはいられなかった。それは今まで自分が身を立ててきた芸の道への未練からなのかそれとも、どんなに仲睦まじくても自分と志織は所詮、旦那さんの本当の家族にはなれないからなのか、葉子は時折考えてしまうことがあった。
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