第7話


 天気は申し分もなく快晴であり、風も穏やかだった。

 競技場には人びとが押し寄せて、黒山の人だかりとなっている。賭博の投票所や出店は賑わい、活気にあふれていた。空まで届く喧噪。

 宮廷楽団、改め、人民楽団による式典曲が華やかに鳴り響いた。出走準備の合図である。

 青空の中、空騎士を乗せて一頭ずつ飛来する大鳥は、歓声を受けながら上空を優雅に旋回し、それぞれの発走位置である櫓の横木へと、ものの見事に収まっていく。

 アロイスは、櫓の上から眼下を見下ろした。

 重力方向のはるか向こう側にある地面、粒子のごとき無数の人びと──

 あの中の誰もがカミルの暗殺計画を夢にも思うまい、とアロイスは思った。それを知っているのは、カミルとアロイスのふたりだけ。これだけの人がいながらも、ふたりだけだ。

 そしてもう一つ、カミルでさえ知らないことがある。この競争で、アロイスがやろうとしていること。それを知っているのは、この世界の中で、アロイスただひとりだけだった。

 すべての大鳥が発走位置についた。

 やがて索縄が落ちる。大鳥たちは飛び出した。


 競争において大鳥は、高さを速さに変えて飛ぶ。つまりは半ば落下しているようなものだ。大鳥は大気を切り裂き、風を巻き起こしながら突進していく。

 瞬く間に、折り返し地点の柱が近づいてくる。

 これを回るに際して、カミルとアロイスは同じ空中機動を用いた。大鳥は激しく身をひねる。空騎士は逆さづりのようになる──一見して曲芸のようでもあるが、それこそが航空物理学的な最適解であり、カミルとアロイスは技巧でもってその数理を体現せしめたのだ。速度の損失は最小限──

 ひときわ大きな歓声が上がる。

 柱を越えた時点で、すでにカミルとアロイスは、後続の集団と大きな差をつけていた。


 アロイスの意識は冴えていく。視界には眩しいばかりの光がなだれ込む。思考は加速し、周囲の時間を緩慢にする──

 前方には大鳥に乗るカミルの後ろ姿がある。無駄がない前傾姿勢は、美しくも見える。

 距離の差は僅かである。ただし互いの大鳥の能力は互角であり、競争の前半に消耗せず温存した体力も同等である。つまり必然的に、その差は埋まるべくもない──このままでは。

「行けえ、差せえ!」

 観客席から飛び込んでくる声援が、一瞬で後方へと流れ去る。

 おれの単勝に投票した連中もいるのだろう──とアロイスは思った。連中はいま、おれの勝利を祈っている、願っている、叫んでいる。

 なんて意味がないんだ。心の中で思うだけなら、誰にでもできる。言葉を口にするだけなら、誰にだってできる。物理的には無意味だ。

 たとえどれだけの熱望を抱えていようと、それだけでは意味がない。意味があること、それは行動にほからならない。すなわち肉体の動作だけが、ただ現実に作用しうる──

 大詰めが近い。

 アロイスは手綱を離した。

 身体を起こし、大鳥を蹴りだし、後方へと飛びのいた──

 落下の最中、アロイスは身軽になった大鳥が猛然と加速するのを見た。それはカミルの大鳥と並び、そして一瞬で追い抜いた。

 カミルが驚愕の表情で振り返るのを、落ち行くアロイスは見た。そして二人は目を合わす。

 約束は守れよ、とアロイスは思った。

 そして、自分の乗騎が何よりも先に入着するのを見届けると──アロイスは地面に激突した。

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空騎士アロイスは競鳥において優勝する必要があった プロ♡パラ @pro_para

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