第2話 恵比寿の紙より赤い色紙

出雲いずもの神より恵比寿えびすの紙」


恋愛に興味はない。愛よりお金ーー。

フルメイクで細身のスーツを着こなし、7センチのピンヒールで闊歩かっぽすれば、誰もが振り返る。気が強く論破ろんぱするのが私の魅力。仕事が恋人。そもそも自分より能力の低い男に興味などない。


製薬会社のMRとして働く私は、この日、総合病院の小児科に来ていた。医局を出て歩き出すと、ぐしゃりと何かを踏み潰した感触がした。足元を見ると赤い色紙いろがみの紙風船……と、それを拾おうとする5歳くらいの男児。

『危うく手を踏むところだった。良かった……』


「ボク……大丈夫?」と声を掛け終わらないうちに、男児が泣き出した。周りの視線が一同に注がれる。その声を聞きつけた病院保育士らしき男性が慌てて出てきた。


「ルイ君どうしたの? あっ……潰れちゃったのか」

「ごめんなさい。私、下を見てなくて」


男児は泣き続けた。正直、『高々たかだか、紙風船ごときでそんなに泣くなよ』と思っていた。それを察したように男性は続けた。


「ルイ君……折り紙が苦手で毎日練習してて。今日ようやく完成したところだったんです。……だからちょっと悲しくなったんだよなっ! さ、今日は怪獣の折り方教えちゃおっかなぁ!」


そうなだめると、男児の頭をぐしゃぐしゃっとで、私に一礼して、向かいの部屋に帰っていった。


『ひだまり』と書かれたその部屋からは「のり先生」と呼ばれるその男性と子ども達の太陽のような笑い声がれ聞こえていた。


のり先生は、背が低く穏やかで癒し系。収入も低そう。

『私が一番苦手とする人種』

……のはずだった。何とも後味の悪さを残したまま、立ち去った。


借りを作るのが嫌いな私は、その日のうちにコンビニエンスストアへ寄り色紙いろがみを購入し、PCパソコンで折り方を検索して、紙風船と手裏剣しゅりけんを折った。不器用な私は何度も折り直した。


数日後、私はひだまりの部屋の前でたたずんでいた。のり先生が出てくる。


「あの時の……。どうされました?」

「これ、おびに渡したくて」


折り紙を差し出す。あの時の男児が出て来た。


「お姉ちゃん、へったくそだな。折り方教えてやろうか」

「なによ。いいわ。教えてもらおうじゃない」


がらにもなく子どもの誘いに乗ろうとすると、のり先生に止められた。


「あの、申し訳ないけど……部屋には入らないでください。ここは病院です。あなたのその靴も香水も相応ふさわしくない」

厳しい顔でそう言うときびすを返し、満面の笑みで子どもの元に戻った。


何も返せず立ち尽くす私は、これまでにないうごめく感情をどう処理していいかわからなかった。拒絶されたことに怒りを覚えた?……いや、悲しかったのだ。やはり苦手な人種だ。帰り道、なぜだか涙が止まらなかった。


数日後、私は再びひだまりのドアを叩いた。薄化粧にスニーカー。香水もなし。


「また来たんですか?」

怪訝な表情が私を苦しくさせているのに引き下がれない。


「紙風船の折り方を教えて欲しいの」


少し困惑した顔で、それでも子どもに向ける10分の1程度の笑顔が向けられた。心臓が跳ね上がる。


「今日はよろいまとっていないようですね。どうぞ。子どもには優しくして下さいね」


私はこれまでにないひだまりのような表情をしている自分に気付けなかったけれど、心はこれまでになく穏やかに温かかった。


「恵比寿の紙より赤い色紙」


了 




※参照

【出雲の神より恵比寿の紙】

「神」と「紙」の語呂合わせである。縁結びの神である出雲の「神」より、明治時代の紙幣である恵比寿様が描かれている「紙」の方が良い。恋愛よりお金の方が大切という意味のことわざ。

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恋の物語 短編集 いしも・ともり @ishimotomori

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