05

 そのとき、ドアがまたノックされた。開けると、立っていたのは奥様の園子さんである。

「ごめんなさいね、ゴタついておりまして、夕食の自宅が遅れておりますの。こんな山奥ですから出前をとるわけにもいかなくて……」

 と告げる園子さんは相変わらずビシッとした着物姿で、夫の死が堪えているようにはあまり見えないのだが、それを言うならファルコンのほうがよっぽどである。

「わざわざすみません。お気遣いなく」

「本当にごめんなさいね先生、こんなものしかないんですけどよろしければ」

 と言ってトレイに載せてきた焼き菓子とティーセットをテーブルに置き、戻るのかと思いきやベッドサイドにあったもう一脚の椅子を持って、先生の横に座ってしまった。春子さんとは逆サイドだ。

「あのぅ先生、こんなことお聞きしたら大変失礼かとは存じますが……」

「何でしょう?」

 園子さんが来たので、先生のフワフワしゃべりは一旦中止されている。歯磨き粉のCMに出てもよさそうな爽やかな笑顔と口調である。

「いえね、本当に霊能力で犯人がおわかりになるのかしらと思いまして……」

 それはまぁ、気になって当然だろう。

「正直に申し上げまして、絶対にわかるとはお約束できません。霊視というのは再現性に欠けるものです。私の修行が足りないせいでもありますが……」

「まぁ」

「しかし、できるかぎりのお手伝いはさせていただきます」

「やだぁママ、お金ならおばあちゃんが払うんじゃないのぉ〜? 心配すんなし〜」

 春子さんが突然口を挟んできた。園子さんの目元が一瞬ピクリと痙攣する。春子さん、客前で母親に喧嘩を売らないでほしい……小心者のおれがハラハラするでしょうが。

「まぁ、春子ってば何を言ってるの。先生に失礼でしょ……」

「いえいえ、料金のことは気にされる方が多いですよ」

 険悪になりかけたところに、先生が和やかな口調で割り込んだ。

「よろしければ、事前にお見積りを出しましょうか」

「まぁ、そんなことおできになりますの」

「大体の目安になりますが、こんな感じですね……」

 と言いながらタブレット端末を取り出し、簡易見積りを作成し始めている。

「え、何なに〜どういうアプリ? これ〜」

 春子さんも加わって、何やら楽しそうに話し始めてしまった。こうなるとおれは見ているだけだ……というか女性陣はふたりともおれを見てすらいない……。


 ひとしきり話をしたあと、おれと先生は園子さんと春子さんを部屋まで送っていくことにした。放っておくと粘られそうだし、そうなると調査ができない。春子さんあたりがごねるかと思ったが、「先生人気者だから、スキャンダルとか炎上とかやばいもんね〜。おけおけー」という感じで、案外あっさり引き下がってもらえた。

 園子さんを送り届け、続いて二階にある春子さんの部屋の前まで来たところで、おれたちはまた冬彦氏に出くわした。手に書類を持ち、窓際に立ってどこかに電話をかけている。

「はい、そういうわけで明日の会議の出席は難しいかと……はい」

 などと言いながらこちらに目礼をする。事件のことをどこまでオープンにしているのかどうかはわからないが、父親が突然いなくなったせいで忙しいのだろう。

 やがて電話を切った冬彦氏は、こちらに近づいてきた。

「春子、お客様と何をやってたんだ?」

「へへへ〜、おしゃべり」

「ご迷惑をかけるんじゃないぞ」

「は〜い。じゃあね〜先生。おやすみちゃーん」

「はーい、おやすみちゃん」

 春子さんが自室に入ったのを見届けて、冬彦氏はため息をついた。

「まったくあいつは……ああ、こんなところでうるさくしてすみません。山奥なせいで、たまに電波が入りにくくなるんですよ。今時困ったものです」

そう言いながら、窓の近くでスマートフォンを振ってみせる。

「それはさておき、妹がお客様のお部屋に押しかけたようで。申し訳ありません」

「いやいや、とんでもない。こんな場合ですから、春子さんも落ち着かないんでしょう」

 先生はキリッとした表情に切り替えて、いかにも仕事ができる男という雰囲気で冬彦氏に応対した。「冬彦さんも大変でしょうね」と、フォローも忘れない。

「ええ、まぁ、とりあえず父の直近のスケジュールはキャンセルしないと。いずれグループの後継者も、重役の中から決めなければなりませんしね……」

 冬彦氏は眉間にしわを寄せながら言った――あれ? 後継者は秋夫か冬彦かでもめてたんじゃないのか? 意外だったのでつい、

「えっ、後継者って冬彦さんじゃないんですか」

 と声に出してしまった。先生が鬼のような顔でこちらを振り向いた。(迂闊なことを言うんじゃない)という顔だ。

「私はまだ若輩者ですから。能力でも社歴でも、私より適任のものがいますよ」

 冬彦氏はさも当たり前のようにそう言った。なんだ、この人は次期社長の座を狙ってたんじゃないのか?

「ときに冬彦さん」

 突然廊下に、先生の朗々とした声が響き渡った。

「最近よく、亡くなった秋夫さんの部屋に出入りしていたそうですが、何か事情がおありなんですか?」

 おれはぎょっとして先生の方を見た。

 先生は目を細め、冬彦氏を……いや、冬彦氏の背後を、まるでそこに何者かがいるかのように、じっと見つめていた。むろん、おれは知っている。これは演技だ。先生には幽霊など見えない。

「何を聞かれるかと思えば……はは、まさか私のことをお疑いになっているわけじゃないでしょうね?」

 冬彦氏は慌てているようには見えなかった。この人も相当に面の皮が厚いに違いない。今ここでインチキ霊能力者と、やり手ビジネスマンとの戦いが始まろうとしている……おれは思わず生唾を飲んだ。

 が、先生の口調は意外にも柔らかかった。

「とんでもない。ただ、冬彦さんの後ろにおられる秋夫さんが、とても心配そうな顔をしておられますのでね」

 おれは強烈な違和感を覚えた。もちろん「秋夫氏が見える」なんて嘘に決まっている。だが、先生がこういう嘘を吐いたということが意外なのだ。秋夫氏が心配そうな顔をしているだって? そんな関係には思えないのだが。

 だが、そう言われた途端、冬彦氏の顔がぴくっと引き攣った。

「兄がですか? まさか……」

「私は見たままを申し上げているだけです」

 先生はよく通る声で、ビシッと言い切った。「お兄さんはあなたのことを、大変心配しておられる。ここのところお忙しくされているせいかもしれないが、しかしそれだけではないでしょう。何か特別な理由があるはずだ」

 うわぁ、ハッタリだ。禅士院雨息斎のハッタリ劇場が始まった。こうなっては違和感があろうがなかろうが、おれの出る幕はない。

 こういうときの先生ときたら、ものすごい自信満々で、いかにも頼りがいがありそうに見えるのだ。とても当てずっぽうを言っている人間の表情ではない。その証拠に、あの冬彦氏ですらちょっとたじろいでいる。どうやら面の皮は先生の方がいくらか余計にぶ厚いようだ。

「はぁ……まるで兄がここにいるかのような口ぶりですね……」

「いらっしゃいますよ」

 先生はきっぱりと言い切った。ついさっき、幽霊なんぞいないと言い放った人間の言葉とは思えない。

「冬彦さん……お兄さんのためにも、少々お話をお伺いできませんか。このままでは秋夫さんは、安心してお休みになることができませんよ」

 いやもうこのときの先生の顔つきといったら……すごく真摯な表情に見えるだろ? あれ嘘ついてる顔なんだぜ。

 冬彦氏はふっとため息をついた。

「そうですか……ここでは何ですから、私の部屋にいらしてください」

 おお、と思わず声を出しかけてしまった。なんというか、敵地潜入の趣が出てきた気がする。

 いやしかし、迂闊に行ってしまって大丈夫なのだろうか? なんの心の準備もしていないのだが……などと戸惑っている間に、先生と冬彦氏がさっさと歩き出してしまったので、おれも慌てて追いかけた。

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