第9話

(大切な友達)


 先輩の言った言葉を頭の中で反芻させる。

 先輩が角を曲がり見えなくなるまで私はその背中から目が離せなかった。

 

(私も帰ろう)


 ココア缶は持ったまま自転車に跨る。


「待って」


 しかし、その声が瞬く間に私をこの場に縫い止めてしまった。

 それと同時に私の彼女への第一印象が綺麗な声の人であったことを思い出す。

 サドルを下ろし彼女の方を振り返る。

 綾園有栖のようなキラキラとした人間と話したいとは思わない。

 でもこうして彼女と相対しようとすることができてたのは手の中にあるココア缶の温もりのお陰だった。


「……何ですか?」

 

 不機嫌さを隠そうともせず目線を彼女に投げかける。

 彼女は笑顔を崩さずにスーツケースを引きながら近づいて来た。

 あらためて見ても綺麗な人だ。

 刺繍入りの黒のブラウスと白のロングスカートがそれをさらに際立たせている。

 何気に彼女の私服姿を見るのはこれが初めてだった。


「いや、今日は波瑠と何していたのかなって気になっただけ」


 あくまで彼女は私と世間話がしたいだけようだ。

 笑顔の彼女からは質問以上の裏の意図があるようには感じられなかった。

 もしあるとしたら、彼女はかなりの演技派だ。

 こういう所が私と彼女で違う。

 歳の差は1歳しか違わないけれど私は子供で彼女は大人だった。

 

「カラオケに……行ってました」


「以外だね。波瑠なら真面目にテスト勉強してんのかと思ってた」


(誰のせいだと)

 

 いや私が怒るのは筋違いだ。

 

「……委員長先輩は勉強いいんですか。……電車行っちゃいますよ」


「いいよ別に。あっ雛倉さん私ともカラオケ行く?」


「絶対いやです。ていうかなんで私の名前知っているんですか」


「まぁ生徒会だったしね」


「うちの生徒会怖っ」


 彼女がけらけらと笑う。

 以外にも私たちはぎこちないながらも他愛もない会話を繰り広げることが出来ていた。

 その時ふいに私のスマホから通知音が鳴り響く。

 確認して見ると先輩からだった。

 

『埋め合わせはまたするから』


 わざわざ自転車からおりその文字を打ったであろう先輩のことを思うと口角が上がる。

 私はよく分からない深海魚のスタンプを送っておいた。

 『先輩とのまたがあったことに安心した』なんて素直に送ったら先輩を困惑してしまう。

 このスタンプと私の素直な気持ちは先輩にとってよく分からないと言う部分だけは共通していた。


「……連絡先」


 漏れ出たような声が聞こえ私はニヤけていた口元をキュッと結ぶ。


「教えませんよ」


「……それくらい自分で聞くから」


「ていうかなんで知らないんですか?先輩と付き合い長いですよね。」


「だってスマートフォン持たせてもらったの高校生入ってからだし」


「……それはまた……今どき珍しい」


 確かに電子機器を使っている綾園有栖は想像しにくい。

 スイッチを入れた途端爆発でもしそうだ。

 実際そんなことはなく普通に使いこなせるだろうが。

 気付けば会話が止まってしまっていた。

 その間彼女は私の手元にあるスマホをずっと見つめていたようだった。

 いや見つめていたのはその向こう側の先輩だろう。


「……先輩にキスしようとしたんですか?」


 沈黙を先に破ったのは私だった。

 余りにも直球すぎるその質問は私が彼女と会話した時点で避けられないものとなっていたように思う。 

 この質問ばかりは綾園有栖も笑顔が崩れずには居られなかったようだった。


「……それ……波瑠に聞いたの?」

 

「キスされそうになったって話は聞きました。そこからは私の予想です」


「……そう波瑠はそのことで君に相談を?」


「そうです」 


「……信用……されてるんだね」


「……その信用、現在進行形で裏切ってますけどね」


 そこまで話してようやく彼女の笑顔が戻る。


「どうして先輩にキスしようとしたんですか?」


 聞きたくはない。

 しかし、これだけは聞いておかないと自分がこれ以上前に進めなくなる様な感覚があった。

 だからまっすぐ彼女の目を見据える。

 ただ交差した目線は直ぐに彼女によって外され変わりにバツ悪そうに口を開いた。


「……だってしょうがないじゃん。……私のこと久しぶりに名前で呼んでくれたし。そうかと思えばすぐに他人のふりするし」


 私はその返答に驚く。

 それは今まで私が、漠然と抱いていた超然とした彼女のイメージとは全く異なる普通の恋する乙女の様な反応だったからである。


「……長南さんとばっかり仲良くするし。ていうか状況が状況だったし、保科さんに告白されたとき何でか顔が浮かんじゃってそれで……」

 

 誰だよ長南さん。

 まぁ先輩に友達が出来たらしいのは良いことだ。

 私としても少々複雑な気持ちだが

 綾園有栖が半分独り言のように呟き続ける。

 もはや自分の発言で顔を赤くしていく永久機関と化していた。

 このままだと上がりすぎた体温でショートしてしまうかも知れない。


「告白なんて何度も受けて断ってきたじゃないですか」


 そんな彼女を止めるため私の存在を彼女に思い出させることにする。

 綾園有栖への告白は△△中学では日常となっていた。

 かく言う私も一度、校舎裏で見かけたことがある。

 

「なのになんで今さら先輩のことが気になるんです?」


「……中学時代の知り合いから告白されるのと訳が違うし……それに女の子に告白されたの初めてだったし」


「えっ相手女子だったんですか!?」


 知り合って数日で告白する上にその相手が同性とは、直感的にだが嫌な予感がする。


「……委員長先輩、その人絶対先輩に近づけないでください」


「うぇなんで!?」


「明らか危険人物だからです」

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