第36話 俺はユーキのことが大事なんだ
目が覚めると保健室にいた。どうやら気絶していたらしい。隣のベッドで相馬が篠生川と話していた。
「ユーキは?」
「迎えが来て早退したわ。それにしても第一声が結城さんって、先輩って一途だねぇ」
ニヨニヨしていた。
うるさいわい。
「弟分だから当然だ」
まあこれは見栄なんだけど。
それから篠生川が先生から聞いた話を伝言してくれる。
虎刈りたちは謹慎になるか退学になるか職員会議しているらしいこと、虎刈りはかつて滝沢蓮って先輩と喧嘩で負けて3年に上がるまでは大人しかったこと。
「虎刈り、あいつは勝ち逃げされたって腹立たしかったんだろうな」
「はあ? 意味わかんない」
不良同士の世界を一蹴しやがって。
「そうだ、ユーキになにか怒鳴ってなかったか?」
「あーね。それは、女子なのに男子の喧嘩に混ざるのはやめなさいって言ったのよ」と面倒くさそうに語りだし、「それで『ぼくは弟分だから』って言うからさ、女は男の子みたいになれないのよ。危ない真似、もうしないでって……、つい怒鳴っちゃった」とシュンとうなだれた。
怒鳴ったことを反省している様子だったが、花巻にはまるで違う話に聞こえていた。
「それは正しいけど、間違ってる」
ベッドから下りる。
「どこ行くの?」
「ユーキに会いに行く」
学ランを羽織って、保健室を出る。
ひどく後悔していた。ユーキに弟分を強いたのは自分だ。自分が兄貴であろうとしなければ、こんな喧嘩にも巻き込まれずに済んだはずだ。
◆
ユーキの家の前に立つ。青い屋根に真っ白な外壁。深窓のご令嬢でも住んでいそうな家だ。
やっぱりユーキとは住む世界が違うんじゃねーか。
いや、でもそれはユーキの望みじゃない。
しかしよく見ると何やら慌ただしい。
あの時の黒服が「お嬢様を探せ!」と叫ぶ声が聞こえた。
……ユーキが居なくなったのか?
分厚い雨雲が立ち込め、にわに雨が降り出した。
◆
もう夜だ。ユーキを探して街じゅうを走る。
信号機の赤が反射する濡れたアスファルトをお構いなしに突っ切った。クラクションが鳴った。誰も花巻を止められなかった。
「ユーキ、どこだ!」
強い雨が途切れる。ここは商店街だ。
雨を避けて帰路につく人々でごった返している。
この商店街に右側通行や左側通行のようなルールは無い。
ただ、なんとなくターミナル駅へ向かう方の人々は商店街の真ん中を歩いていく。
そんな行列がたわんでいる箇所があった。ある一点を避けるような動線をしている。
その空白にユーキがいた。
「ユーキ!」
目が合う。
泣いているのか?
だが、それを確かめる余裕もなく、ユーキは人混みに消えた。
人の流れに逆行する。
オジサンが「おい」とか、おばさんが「ちょっと!」とか文句をつけた。
うるせぇ、うるせぇ!
「くそっ、どこに行ったんだ……」
息があがって足を止める。
なぜ逃げるのか。まったく分からなかった。
もしも篠生川の言葉で傷ついたって言うなら、女が喧嘩したって良いじゃねーか、格好良かったぜと言ってやるつもりだった。
だけど、目があったのに遠ざかるのはなぜなんだ。
頭を抱える花巻の前で、カラン、とベルが鳴る。
「花巻さん?」
見上げると顔にガーゼを貼った相馬がいた。
保健室で見た時と比べたら、いくらか腫れも引いているみたいだ。
「相馬? なんでここに?」
「いや、ここ俺んちなんで」
あたりを見回す。おしゃれな外観だ。前に訪れたことがある。
相変わらず相馬はクールで、雨に濡れた花巻を見かねて乾いたタオルを手渡した。
「わるいな。それより……」
「結城さんですよね」
なんて察しが良いやつだ。
驚いたまま首肯すると、相馬は笑みをこぼした。
なんの笑みだよ。
「さっき謝りに来ましたよ。守ってやれなくてごめんって」
「あいつ、そんなことを」
「だから言いましたよ。マジリスペクトしてるって」
ずいぶんと軽い言い方だが、嘘偽りはない様子だった。彼なりにユーキの背中に憧れを持ったのだろう。ユーキが花巻の背中に見ているものみたいに。
「そうしたら結城さんが『相馬くんは良いなあ』って言うんですよ。なんでだと思いますか?」
花巻の中で点と点がつながった。
相馬にあって、ユーキにないもの。
それが花巻を避ける理由になるっていうなら、全部ひっくるめてぶっ飛ばしてやる。
◆
いつかの公園。公園は電灯がまばらで、ベンチの間にあるゴミ箱は降りしきる雨を受けている。ベンチの前には砂場とジャングルジム。並んだ木々は風雨でみだれ髪のように見え、ジャングルジムはぽつりと佇んでいる。見上げても天使はいない。
「ユーキ! いないのか!?」
花巻には確信があったわけじゃない。
この公園のどこかにユーキがいてほしいと願っていた。
昔からかくれんぼするにはうってつけの場所だったから。
「勝手に話すから聞いてくれ。俺、お前に……、隠してたことがあるんだ!」
強まる雨に打ち消されないような大声だ。
ユーキと離れ離れになるのは嫌だ。
プライドなんか今はいらねえ。
「ガキの頃、俺はユーキのことを男だと思ってた!」
こんなことを言えばユーキを間違いなく傷つけるのは分かっていた。でも、続きがある。
「また会った時、驚いたぜ。まだ俺を兄貴だと呼ぶんだからな。だから、兄貴であろうって隠したんだ」
声が小さくなった。花巻はジャングルジムに手を掛け、一気に上る。
「俺はダセェ! 蓮くんの真似事だし、喧嘩も弱ぇ。でもこれが本当の俺なんだ!」
てっぺんで仁王立ちしてやる。雨で滑りそうになりながらも、高らかに自分の弱さを主張した。
「だから俺に憧れんな! 俺みたいになろうとしなくていい!!」
花巻が犯した罪、それは嘘の自分に憧れさせたことだ。
それに呼応するように茂みから人影が現れた。
「あにき!」
ユーキだった。
白いパーカーを頭まですっぽり被って顔は見えない。
だが、彼女がジャングルジムに手を掛けて、見上げた時に顔がはっきり見えた。
「っ!」
途端に顔を逸らした。頬が赤く染まっている。まるで好きな人と目があった時みたいないじらしさがあった。
「ユーキ、お前」
自分のことが好きなんじゃないのか。
そう勘違いしてもおかしくないくらい彼女の反応は少女だった。
「ぼくはあにきを兄貴とか関係なくカッケェって思ってるッスよ」
ぶっきらぼうな言い方は照れ隠しだ。
関係なく格好良く思うというのは、つまりどういうことなのか。
それを問うのは野暮ってものだ。いやでも確かめたいのが惚れた男の弱みでもあるのだが。
「そうだったのか」
「そうッスよ。あにき、優しすぎるッス。カッケェ兄貴でいてくれて」
「でも、騙してたみたいなもんだ。悪か……」
頭を下げようとしたら、ユーキが肩を掴んだ。花巻が言い淀む間に、ユーキはジャングルジムのてっぺんに上っていたのだ。
「あにきは悪くない。あにきの優しさに甘えていたぼくが悪いッス」
ユーキという人間の強さが感じ取れた。中学時代のトラブルや家族とのわだかまりを抱え、学校に通えなかった頃の彼女はもういない。
篠生川や相馬といった友達もいて、女バスみたいな部活動で助っ人もしてるって話だ。
「立派になったな」
「あにきのおかげッスよ。だから、今……別れの時ッス」
兄貴と弟分。
花巻とユーキの接点はそれだけで、それだけが深く深く絡み合っていた。
まっさらに戻すのが自然なんだ。
だけど。
花巻はしみったれた思いでいっぱいだった。
ああ、いやだ、ユーキと別れたくない……!
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