第4話 花束は贈る人のことを考えて

 翌日、高校で一年の教室をくまなく探したが、天使は見つからなかった。たまたま今日はいないだけかもしれない。

 放課後、昇降口脇の警備室に生徒手帳を落とし物として届けようとして、やっぱりやめた。この手で渡して、話がしたい。それに万が一だ。


 もしも結城小羽がユーキだったら、天使が『自分のあにきのこと、忘れる弟分がいると思ってるんですか!?』と怒鳴った意味がよく分かる。


 まさかそんなハズないと思うけど。

 疑心を覚えながら、花巻は帰路を辿った。



 ◆



 ネオンひしめく酔狂な街の一角に花巻の家はあった。

 花巻生花店。花屋である。比喩ではなく、切り花を売っている。色とりどりのブーケが飾られる店の敷居をまたぐと、ちょうど母親が生け込み鉢を重そうに運んでいたところだった。花巻はすかさず鉢を支え、持ち上げる。


「ムリすんなよ、あとは俺がやっとくから」


 しおれた生け込みの向こうから疲れを滲む顔を見せた。花巻に気づくと表情が綻ぶ。


「あら、大和。おかえり。今朝は眠そうだったけど、学校は大丈夫だったの?」


 鉢をレジの裏へ運びながら、「ああ」と答える。鉢には香水の匂いが付いていて、くしゃみが出そうになった。ホストクラブのホールに飾ってあるからそんな匂いも付くのだろう。

 どうやらこれで返却された鉢は最後らしい。レジ横の業務用ショーケースに掛かった注文表を見ると個人注文があった。男性客が夜の蝶に送るブーケのようだ。早速、制作に取り掛かるのだが、


「ダメだ、まったく上手く出来ねえ」


 やり方は教わったはずなのに、店先に飾ったブーケと比べるとまとまりを欠いている。

 見かねた母がせっかくの休憩を切り上げて隣に立った。手際よく花を束ねながら、メインとなる花を決め、周囲にそれを際立たせる花を置くのだと説明する。


「花束は贈る人のことを考えて作るのよ」


 そんなこと言われても分からなかった。お手上げ降参だ。


「力になれなくてすまねぇ。他にやることは無いのか?」


 そうして母から預かった仕事は生け込み花をスナックに運ぶことだった。レジ裏の居間で手荷物を置いて、出かける支度をする。

 蓮くんをリスペクトした学ランをバシッとキメ、オールバックの金髪を整えた。およそ花屋の店員には見えないが、むしろこれでいい。

 人生の目標だった蓮くんを亡くした今、花巻は心にぽっかり空いた穴を隠すように、不良という虚勢を張る。



 ◆



 スナックの前に到着した。店先と言ってもきのう天使に怒鳴られた路地でもある。少し違うのは8時前という点。まだ看板に灯りが無く、路地にはカレーや煮込み料理の匂いが立ち込める。仕込みの時間だ。無論、料理だけでなく、花巻が抱える生け込み花もそう。

 あまり大きな生け込み花ではない。スイカくらいの丸い鉢に数種類の花。全体的に赤くて明るい雰囲気だ。何かのお祝いでもするのだろう。


「おはざーす、花巻生花店っすー」


 夜でも朝の挨拶なのは、お店を開ける前に起きる人が多いから。店の飾りドアから出てきたホステスは酒焼けした声で「あら、大和ちゃんおはよう」とタバコの煙を吐いた。若く見えるが、母の同級生だと聞いているので侮れない。中に運ぼうとすると、やんわりと止められた。


「ダメよ大和ちゃん、昨日はお葬式だったんでしょう? 縁起が悪いから中は遠慮して頂戴」


 地方の歓楽街だからこういう話はすぐ出回る。ただ、生け込み花はまあまあの重さだ。怠そうな顔した彼女では運べないに決まっている。どうしたものか。


「この花ってお祝いのためっすか?」


「そうよ。今日はお客さんの還暦祝いなの。それがどうかしたの?」


「なら、花束にしても?」


「別に構わないわよ」


 その場で生け込み花を鉢から取り出す。さっきの手順どおりだ。メインとなる花を決め、周囲にそれを際立たせる花を置く。それで出来上がりかと思ったのに、また上手くいかない。


「そういえばアンタ、花束なんて器用なこと出来るんだったかしら?」


「す、少し待ってくれ。おふくろが言ってたコツを思い出しそうなんだ」


 たしか『贈る人のことを考えて作る』だった。そう言われても分からない。還暦のお客さんのことなんか知らないし、そもそも誰が誰に贈るかを知って作るものでもないはずだ。なら、どうしてそんなことを言ったのだろうか。


 ……。

 …………。

 ……………………ええい、分かるか! 


 考えるのは苦手だ。とりあえず自分が贈りたい相手のことを考えて作ることにする。

 真っ先に思いついたのは天使だった。なんでか分からない。でも、胸がドキドキと高鳴るのを感じながら、赤い花を手に取る。薔薇だ。誰に贈るかを考えるまで、それがどんな花か気にもしなかった。薔薇は情熱とパワーの花である。そのイメージに任せて花束を作る。


「あらまあ! 良い出来じゃないの!」


 出来上がったそれはホステスに歓迎された。間違いなく会心の出来。自分でもびっくりするほどよいものが出来た。胸に手を当てると鼓動が早い。


「ウフ、情熱的な出来になったわね。好きな子のことを思い浮かべたのかしら?」


「まさか! そんなこと……」


 くらげのような天使の少女を思い浮かべている時、ふわふわと暖かい気持ちになった。きっとこれが好きということなのだ。花巻にとって初めての恋だった。



 ◆



 帰宅しても興奮は収まらなかった。花束が上手く出来たからじゃない。天使のことを思い浮かべたからだ。好きだと気づいた瞬間からずっと胸が苦しい。


 自分が好きなのは胸がデカくて、良い尻を持った女だと思っていたのに。夜の街で男たちが好意を寄せるのは決まってそういう女性たちだったから。


 ハァ……、あんな変わった女子を好きになるなんて思ってもいなかった。


 店舗の営業時間が終了する。シャッターを締めてレジ奥の居間へ上がると、母がちゃぶ台に並べた領収書と帳簿をまとめていた。こちらに気づくと、見覚えのある手帳を掲げる。


「これ、ちゃぶ台に置きっぱなしだったけど、結城さんの娘さん戻ってきてたのねぇ」


「娘?」


「あら? 昨日のお葬式で会ったんじゃないの? あんたが小学5年生くらいだったかねぇ、毎日あそんでたじゃない。ユーキ、ユーキって呼んでさ」


 頬に手を当て、懐かしいわねぇ、などと零している。ユーキがうちに遊びに来たこともあるから当然のように母と面識もあった。その母が言うのだ。結城小羽はユーキだと。


「ユーキとは遊んでたけど、え? まさかユーキって名字だったのか?」


「そうよ。知らなかったの?」


「知らなかった。きのう会った時もぜんぜん気づかなかった」


「あんた馬鹿だね!」


 母が講談みたいにちゃぶ台を叩くと、ベンッといい音が鳴った。

 その音でハッとする。

 つまり、天使=ユーキということである。


「ぐわああああ! 今まで男だと思ってた!」


 頭を抱えてふらつき、こらえきれずに居間の畳へ膝をついた。完敗だ。

 初めて好きになった相手が、むかし男だと思ってつるんでいたユーキだったのだ。こんな馬鹿馬鹿しいことがあってたまるか。いや、馬鹿なのは好きになった自分の方だ。


「本当に馬鹿だねぇ、あんたは!」


 爆笑する母の声を聞きながら、昨日のユーキの怒鳴り声を思い出した。それは夜通し頭の中で響いた『自分のあにきのこと、忘れる弟分がいると思ってるんですか!?』って声だ。


 忘れる弟分がいるか? いねえよ!

 花巻は蓮くんのことを忘れない。ユーキもずっと花巻を忘れていなかった。なのに。


「ああ、大馬鹿野郎だ! おふくろ、俺はケジメをつけに行かなきゃなんねぇ」


 あの時、怒鳴った天使の気持ちが全て分かった。とんだ馬鹿野郎だ。7年ぶりに再会した弟分のユーキを酷く傷つけた。何が兄貴だ。ダチ失格だ。だから謝る。今すぐにだ。


「待ちなさい!」


 しかし、もう夜だ。不良やってるとはいえ高校生。怒られても仕方ないと思ったが、母は先立ってレジに立ち、小さい花束を取り出して手渡してくる。

 当然、花束は気持ちを伝える時に渡すものだ。


「さんきゅー、おふくろ!」


 これを持って謝る。男だと勘違いしていたこと。忘れているだろうって決めつけたこと。再会したのに気づかなかったこと。全部の無礼を詫びなきゃ気が済まない。


 花巻は走った。店を出て、歓楽街の人混みをかき分ける。


 路地を行く。ちょうど客を送ったばかりのホステスが「どうしたんだい、大和ちゃん?」と声を掛けてきたが、「悪い! 急いでるんだ!」と走りながら答えた。


 歓楽街を抜け、けやき通りに出る。さすがに夜だから暗い。タイル張りの歩道で足がもつれて転んだ。花束を潰さないようにしたから、顔面から地面にダイブした。それでも走った。

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