第3話 声にならない想い
1
朝ヶ山高校は、想像より大きな学校だった。
大きな門に力強い文字で高校名が書かれ、門の先に広がる校舎は四棟もあった。生徒がまばらに門から出てくる。皆私服で、青い髪にミニスカートという女の子もいて、私の高校の生徒と全然違うと思った。でも、スクーリングが終わったあとだろうに、どの生徒たちも穏やかな顔をしていた。
その中に柏木くんがいないか捜すが、見つからない。今日学校に来る日じゃないのかな? 朝ヶ山高校は生徒がスクーリングに出る日を選ぶことが出来るらしい。生徒が自身で組んだカリキュラムによって、終わる時間も日によって違うらしい。ホームページを熟読し、私は朝ヶ山高校に詳しくなっていた。
「悠真~、今日ガスト寄る~?」
はしゃいだ男の子の声がして、視線を向けた。男性アイドルみたいに容姿の整った男の子がこちらへ向かってきている。車椅子を、こいでいた。
「あー俺、来月なんないと無理だわ。予算オーバー」
聞き覚えのある、声。柏木くんが車椅子をこぐ彼の後ろを歩いていた。胸がきゅってなる。片足を踏み出し、でも後ろに残したもう片足を動かせない。呼吸も、止まる。
柏木くんって呼び止めなきゃいけないのに、喉が縮こまって声を出せない。待って。私、柏木くんに会いに――。
「あれ、この前の」
柏木くんがこっちを見た。目が、合った。車椅子の男の子が、「ん? 知ってんの?」と私に視線を向ける。長いまつ毛の奥の薄茶色の瞳が、あまりにも澄んでいてはっとする。
「藤原さん……だったよね? どうしてここに?」
口を開いて、頑張って声を出す。
「……その、柏木くんに……ちゃんと、お礼言えてなかったから」
「おい悠真ー、いつの間に彼女作ってんだよ。抜け駆けやめろよ」
車椅子の男の子がにやにやしながら柏木くんの腕を小突く。緩んだ口元から覗いた歯が真っ白で、彼は何をしても画になる人なのだろうと思った。容姿において完全に勝ち組の男子だ。……でも、彼は車椅子だ。容姿の良さと普通に二本足で歩けること、どちらかしか選べないとしたら――答えは明白だと思ってしまう自分が嫌だった。
「違うって。とりあえず芳樹は黙ってろ。藤原さん、そのために僕を待ってたの? ここってよく分かったね」
「検索して……ここって分かって。この前は助けてくれたのに走って帰っちゃって……」
ごめんなさい、という単純な言葉がなかなか出てこない。謝りたくないわけじゃない。謝ることは慣れている。でも、本当にごめんなさいと心から思っているときに、ちゃんと謝ることはあまり得意じゃなかった。
「ごめーん、これだけ口挟ませて。東山第一だよね、その制服。すごいな〜、俺、頭いいとこ通ってる人に聞いてみたいことあったんだよね。やっぱり眼鏡率高いの? あと校則破る人一人もいないの?」
先ほど柏木くんに芳樹と呼ばれていた彼が、興味津々な様子を隠しきれないといった様子で、きらきらした瞳を向けてくる。私は思わず笑ってしまった。
「眼鏡率は……確かに高いかもです。半分以上は眼鏡な気がする。校則は、破る方が疲れるし面倒臭いから、基本的に皆守ってる……んだと思います」
そう言うと、芳樹くんは「へえ〜」と酷く感心した様子で、親指と人差し指で自分の顎を触った。
「俺らが生きてきた世界と別世界だな。まあここは校則ないから、青髪、舌ピ、色々いるよな。何だっけ、あの女の子のフリフリした服装。のっちがよく着てくるやつ」
「ゴスロリ、な」
柏木くんが答える。そして、芳樹くんの車椅子のグリップをコツコツと拳で叩き、
「とりあえずもう一回芳樹は口チャックな。藤原さん、わざわざ調べてここまで来てくれてありがとう。待ったんじゃない? 先週より一限多かったし」
と言って、眼鏡の奥から心配げな視線を向けてきた。
「うん……少し待ったけど、大丈夫」
「ごめんね。待たせちゃって。今日スクーリングの日でよかった」
「ありがとう」も「ごめんね」も先に言われてしまった。どうして彼はこんなに素直に気持ちを伝えられるのだろう。羨ましくもあり、少しだけ苦しくもあった。
この学校にはきっと色々な人がいるのだろう。柏木くんの友達の芳樹くんという人のように、身体にハンデがある人もいれば、柏木くんのように全日制高校を中退し、ここでやり直す人もいる。他にはどんな人がいるのだろうか。私の知らない世界は沢山あるようだ。
私が生きてきた狭い世界。そこから一歩だけでも足を前へ出してみたい。夕焼けで校門は赤く染まり、遠くの空は薄暗くなってきていた。風が吹き、私の前髪をさらい、さきほどより視界が広がった。
「……柏木くん。この前は逃げるように帰ってごめんなさい。……あと、ありがとう。すごく助かった……」
口にしてみると、どこも恥ずかしくない台詞だった。案外あっさり最後まで言葉を紡げた。ほっとして、胸のつかえが取れるかのように心が軽くなった。
柏木くんは私をじっと見たあと、目を細めて微笑んだ。
「謝ることないよ。僕こそ初対面で深く聞きすぎたよね。ごめん」
「柏木くん、悪くないよ。私が言えなくて……言うのが怖くて。本当は、言いたかったのに……」
気まずさを感じて。車椅子の影に視線を落とす。複雑な骨格をした車椅子は、どれくらい運転が大変なんだろう、どんなに不便なんだろう。分からないことばかりだ。
車椅子の影が大きく動いた。
「悠真、俺、先帰るわ。俺の愛車は走り出したら止まんないから。じゃあな〜」
車椅子を自分の手でこぎながら、芳樹くんは颯爽と去っていった。前を向いたまま片手をひらひらと振り、あっという間に彼の姿は見えなくなった。意外とスピード出るんだ。乗りなれた様子ということは、ずっとずっと前から車椅子ユーザーなのだろうか。
「……あいつにも、気遣いって出来たんだ」
柏木くんが呟いた。
「いいお友達、だね」
私が小さな声で言うと、
「ただの悪友だよ」
と言いつつも、柏木くんは芳樹くんの後ろ姿を眺めながら、嬉しそうな顔をしていた。悪友。私の使ったことのない言葉。そんなふうに言える関係が、羨ましかった。
2
「あれー、悠真じゃん。えっ、えっ、告白シーン?」
無遠慮な女の子の黄色い声が背後から聞こえ、振り向いた。金髪ショートの女の子が、口に手を当ててにやにやと笑みを浮かべていた。恥ずかしい、という感情が一気に湧いてきて、顔をこれ以上見られないように俯いてしまう。
「詩音、初対面でそんなこと言われたらびっくりしちゃうよ。それに、僕なんかが告白されるわけないじゃん。冗談言うのは仲良い人にしないと、驚かせちゃうからダメ~」
優しい、柏木くんの言葉選び。何で、この人はこんなに綺麗な言葉を紡げるのだろう。同年代の男の子って、もっとガサツで乱暴だと思っていた。だから身を隠すように高校は女子校を選んだ。けれど、女子の中にも心を土足で踏み荒らす人がいることも最近知った。――病気になってから。
「そっか。ごめんね~びっくりさせて。じゃあ悠真、また来週ー。レポート写させてね~」
軽やかな声に顔を上げると、女の子はにこっと笑って大きく手を振っていた。長い、鮮やかな青のネイルがキラキラ光っている。白い歯を覗かせてあんなに爽やかに笑える女の子を、初めて見た気がする。
「ごめんね藤原さん。あの人、初対面でもがっつりいく人だから」
柏木くんはまっすぐに立っていた姿勢を少し崩し、私を見た。
「大丈夫?」
彼はいつでも私を心配してくれる。その優しさはどこから来るのだろう。心配されてばかり。与えられてばかり。柏木くんの周りには色々な人がいて、どの人も余裕がありそうだった。私は生きるのだけでいっぱいいっぱいで、本当に伝えたい言葉も、自分の想いも全部呑み込んできた。
けれど、目の前の優しい男の子になら、本当の気持ちを伝えられる気がした。
「私……本当に辛くて……あのときも、声をかけられたくない癖に、誰かに助けてほしくて……」
口を開くと言えなかった想いがぽろぽろ溢れ出し、止まらなくなる。こうやって、ずっと誰かに聞いてほしかった。辛いって、言いたかった。こぶしを握り、彼の目をまっすぐ見てちゃんと気持ちを伝える。
「……助けてほしかったんだけど、恥ずかしくて……。変な人だって思われたりして……。学校でも、段々隠せなくなってきて……」
柏木くんの眠たそうな瞼が、ゆっくりと瞬きをした。うん、うん、と頷いて、上手く話せない私をせかすことなく見守ってくれていた。
「確かに私はおかしいんだけど……。でも、それは誰にも知られたくなかった。けど、アレは出ちゃうの。出たくない時に限って出ちゃうの。すごく怖くて、おかしくなっちゃうんじゃないかって怖くて――」
こんな話をしても、理解してもらえるはずはないだろう。精神疾患について、まだ世の中は全然理解がない。知識もない。何を言っているか、優しい柏木くんでさえも共感出来ないに違いない。そう考えると、私の身体は暗い穴に飲み込まれそうな、深い孤独と恐怖に包まれる。
「……初めて会った日、言ったの覚えてる? 前に君みたいな人がいたって」
はっとした。そういえば、彼は言っていた。
「僕の姉も、それだったんだ。パニック障害、だよね?」
パニック障害。姉。柏木くんは、分かってくれている。私を襲っている病気のことを。身近に、同じ人がいるということを。眼前が歪み、でもそれは発作が起きそうなわけではなくて、私は涙を浮かべてるのだと気付いた。――その瞬間、心にのしかかる重石が少し軽くなった気がした。
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