御都合主義的快楽探求

御陵 詠

第1話

「ねえ、私のお家はどうして貧乏なの?」

2月のある満月の日に、私は母に対してそう問いかけた。


確か、10歳か11歳になったばかりだったように記憶している。よそのお家に上がって遊ぶことが増える年頃、バレンインデーのプレゼント制作という名目で外泊をした私にとって、自分以外の家の日常的な環境は新鮮であり、衝撃的でもあった。


当然我が家でも来客などがあれば小綺麗にするし、けれど、あんなふうな『生活』ではなく、それゆえにこのような質問をしたのだろう。


母は手に持っていた雑誌を閉じると、怒ったような悲しむような、形容しがたい表情で宙空に視線を遣り、ため息をつく。

子どもながらに、まずいことを聞いたかもしれないと察知する。同時に、ここで引き下がってはいけないような、なにかチャンスを逃してしまうかもしれないと、幼稚な信念に近しい感情をぶら下げた私も、おそらくなんとも言えない表情をしていたのではないだろうか。


 いくばくかの時を流して、この馬鹿らしい根比べに根をあげたのは、母の方だ。

「あたしにもわからないよ。あたしだって、楽して生かしてあげたいし、楽に生きたいよ。」


当時の私にとっては、全能ともいうべき対象であった母の、どこか弱々しいその受け答えに、少なからずたじろぎ、返す言葉は見つからなかった。

これをどう捉えたのかわからないが、好意的でない態度に対して抱く感情など、みな大した差はなく、きっと母もそうで、ちいさなため息を漏らす音が伝わってきたかと思えば、私は「ごめん」と呟くほかない。



 結局、疑問に対する明確な返答はないまま、私たち二人家族は、少しばかり気まずさを纏いながらも、1日を終え、また新しい1日を迎えた。


気温は平気で氷点下をした回るが、寒さのなかにも楽しさを見出せるのが子どもの強さでもあり、例に漏れず私もそのうちの一人として、霜柱が足の下で潰れる感覚を喜び登下校に励む。

昨日の一件で自覚したからだろうか、沈みかけた夕日を背に佇む我が家はひどく寂しげで、あるいは無機質でもあり、どうにもすぐさま玄関を開ける気持ちにはなれないようだ。


踵を返すと、そのまま学校と反対側へと歩みを進める。向かった先は今でもよく覚えているし、道中の景色でさえも生々しく、残酷にも秀麗に記憶を彩る。



 小学生の足で15分ほど歩き続けると、ガードレールの向こう側に川が現れた。

寒気の包囲網に痛ぶられるような物好きはそれほど多いわけもなく、車の往来は別として、徒歩あるいは自転車といった交通手段に頼る人々は殆どゼロに等しい。


また、それなりの人口を誇る市街地における河川の下流部は、生活のために整備されているので、樹木などはその数は人為的に調整が進んでいて、他の場所よりも強く風が吹いているように感じられる。天真爛漫腕白盛りの小学生とはいえども、齢は十かそこらで、それも比較的成熟の早い女の子ともなれば、すでに薄暗さに埋め尽くされる空間を、強力な風が音を立てて走り抜けていく様子に、不安感を覚えずにいられるはずもないだろう。感情に従い帰宅を拒否した私は、ここでも同様に感情に従い、ちょうど手頃な橋台の上辺部分に腰を下ろした。


 今にして思うと、全ての判断が間違いだったと思う。貧乏とは言っても、家はあり、水や食事が断絶されていたわけでもない。いってみれば『最低限健康で文化的な生活』自体は出来ていた。その環境に甘んじることができたのは、紛れもなく母のおかげだ。


だというのに私は母を責めるように質問をしてしまったし、妙な劣等感のようなものから、こうして人気の少ない場所に来てしまった。

この世界は、当時の私が思うよりも非情なものである。私はこの機会を以てそれを知る。


ふと、身寄せる橋台にほど近い土手の中腹あたりで物音がした。

動物の類ではない、あきらかに二足歩行のリズムだから、それだけは判断できる。

怯えた私は体育座りで縮こまり、膝の辺りに顔を埋めて、正体不明な存在が通り過ぎるのを待つことしかできない。


ごく自然なペースで刻まれる音は横方向をすぎ斜め前方へ移動し、ある程度進行したあたりで動きを止めた。同じく、私も呼吸や拍動さえ止まっているのではないかと思えるほどに体に力を入れて、みじろぎひとつしないように注意する。



 どれほどの時をそうして過ごしていたのかは今でもわからないが、ある瞬間、物音の正体がなにごとか別の音を漏らしはじめた。低く唸るようなその音に耳をすませると、人の言葉を話していることが認識できてしまう。


いくつくらいの年齢かはわからないが、男性であることだけは間違いない。

こうして気がついてしまうと不思議なもので、一人でないことへの安心感が勝ったのだろう、膝から顔をあげ、件の男性の方へと視線を向ける。


そうすると、たまたまタイミングが重なったのだろうか、こちらの方へ振り向き、目が合う。


否、正確には目が合ったとはいいがたい。方向が変わったことを影で察知することが出来、その向きがこちら向きで止まっただけに過ぎないのだから。

 ……しかし、それは些細な問題だ。事実としてその男は私の方へと近づいてくる。

二者の距離が近づくにつれて、私は見知らぬ男への警戒心から動きを注視し、身構えた。


と、ちょうど顔が認識できるくらいの距離に近づいた頃、相手の男が口をひらく。

「君みたいな子どもが、こんなところにいてはいけないよ。」低いが、極端に年老いた感じではなく、本音を言ってしまうとほんの少し警戒心が薄れた。

「おじさん?は何をしてるの?」第一声が注意の言葉であったこともあり、打ち解けるつもりとまでは言わないが、安堵を胸にたずねると、男は「おじさんではないよ、大学生だからね。」と苦笑しながら近くに座る。

 なるほど。ここまで近距離かつ冷静に観察すると、俗にいうおじさん像とはかけ離れているようだ。我ながらひどく曖昧な基準だと思うが、大人の醸し出す『怖い雰囲気』は感じられず、むしろ温かく包み込むような大きな優しさのようなものを感じ取れるではないか。

雰囲気の力、そして人間の仕組みとはおもしろいもので、ここへきてようやく強張った体のあちらこちらが痛むことに気がつく。これだけ痛むということは相応な時間、もしくは強度を伴う行動だったことが推測され、私は小さく息を吐き出し足を投げ出して肉体を弛緩させた。

男は少し視線をずらして続ける。

「どんな人がいるかわからないのだから、早く帰ったほうがいい。」

私は大雑把に「そうだよね」と返す他ない。男のいうことは正論だし、事実先ほどまでのような恐怖心をいつまでも感じていたいとは思えないうえ、そもそもなんとなく感覚的に避けた程度であるのだから、家に帰ったほうがいいことも理解はしていたはずだ。

このあたりが子どもたる所以だろうか。私は幼子のように自分が判断を誤っていたことを理解していながら、不満があると示すような態度をとる。

 この様子を察知した男は一度立ち上がると「怖い目にあってからじゃ遅いんだよ」だか「怖い目にあってみないと」などといった趣向のことを呟く。

表現が迂遠であるとかわかりにくいのではなく、声量が少ないうえに低い声であるから、はっきりと聞き取ることはできなかったのだ。

ただ、どういった発言であろうとも内容の要点は『心配』ということだろう。

不貞腐れ状態にあった私だが、あのようになった大人が譲らないことは経験から知っている。


釈然とはしないものの、腰をあげ立ち上がる。少し高さのある台上から飛び降り、「もう帰るね。」言い残す私が背中を向けて歩き出そうとしたときに、異変が起きる。

「どこにいくの?」突如としてのし掛かる重量。そして一言。この場にいるのは私と男の二人だけで、考えるまでもなくその男の行動だということは明らかだ。

 だが私はすぐには状況を理解できず、声を出すことも動くこともできない。

「抵抗しないから、いいってことでしょう?」意味のわからない言葉を捉え、頭の中で渦を巻く。

『なにがいいの?』『抵抗しないって?』『どういうこと?』これらの反論は混乱状態にある私の口から吐き出されることはなく、さらには男の手がからだをまさぐりはじめようとも、拒絶も逃走も叶わず、ただ立っていることで抵抗の意思を見せるしかなかった。

無論、私自身の意思というよりは、生物的な本能がそうさせているのだ。最中の私はまだこの時点で帰ってきていない。

おそらくこれがかえっていけなかったのだと思う。10近く離れた異質な大人の男性からしてみれば、立っているだけなど抵抗の内に入らないどころか、無抵抗でされるがままと捉えたのかもしれない。

本当に身勝手な思考をしていると感じるが、そうなってしまった上に年齢差と性差があるのなら、どうにかすることなんてできるはずもなかった。

圧倒的体躯と筋力に相対し、本能的次元での弱々しい抵抗は数秒の間に突破され、私は男の下に押し倒される。暗闇の中でも表情がわかるほどの近距離。

形容することが難しい吐息の臭いと、醜い生命力が一切の抑止なくして現れた鋭い目つき、そして嫌に釣り上がった口角が、この男の人間的本質を示し、情景が脳裏に焼きついたころ、はじめて私自身の過ちに気がついたのだ。

あまりにも遅く鈍い認識。答えを知ってしまうと、自らの行動がいかに馬鹿で無謀で幼稚であったのか後悔せずにはいられない。

私自身を責め、呪い、後悔する。いつの間にか頬を伝っていた涙は、おそらくはこれから何が起こるのか察した恐怖のほかに、こういった感情が行き場をなくして溢れたものだった。

「いや、いや。」現実を思い知り、誰に向けたものか自分でも理解できないほどに無機質な拒絶の台詞と、おぞましい何かに成り果てた男の呼吸音が、この暗い橋の下で反響する。

本当に嫌だ。自分自身も、この男も、嫌で嫌で仕方がない。

脚の間の奥深くを裂かれた様な痛みも嫌だ。不快極まりない圧迫感も、私に覆い被さるモノの体重も嫌いだ。

 でも、だというのにこの忌避すべき事象は終わらない。今、今と祈れども届かない。どうして時間というのは肝心なときに動きを鈍化させるのか。永遠に続くのではないかと思えるほどに終わらない写実的な悪夢を前に、私の心が砕かれていくことを実感できる。

貧乏がどうだとか、本当に大した問題ではなかった。これに比べれば無いに等しい様な問題だった。気がつくと、もしくは意識を外にむけると「ごめんなさい」ばかりを呻く様に連呼する私がいる。男は自分に向けられたなんらかの謝罪と捉えたのか「ゆるさない、ゆるさない」と繰り返し、一層力を込めて私をいたぶりしがみつき解放しない。この期に及んで、まるで追い討ちだ。

いつ終わるのかいつ許されるのか、そればかりを考え、嫌悪感と不快感から逃避する。

この行為がどんな意味をもち、どうすれば終わるのか、幸いなことに私は学校教育ですでに学んでいた。だから認めたくはないが、仕方のないことだが、この男の行為を形の上では受けいれたのである。

もしかすると、薄れた現実感は私を守る最後の砦だったのかもしれない。

眼球も、口内も渇きも気にならず、ぬらりと湿った下腹部の感覚も気にならない。


ただ先刻よりも多くの湿り気があることには気がついていたし、重量物が退いたことにも気がついた。

 ふと、ほとんど何も捉えていなかった私の視界は唐突に白くなり、それではじめて他の誰かがやってきたことに気がつく。

あらゆる感覚が遠のいていた状況から引き戻され、発生した事案と、自らや相手の状況に現実感が戻り、同時に感情も引き戻され、強烈な衝撃にとめどなく涙が溢れる。

いわゆるセーフティーが働いていた状態からの、急激な揺り戻しという条件も整ってしまっていたからなのだろう。息をするのも困難なほどに泣き続けてしまっていて、白い、おそらくは光の持ち主が何事かを聞いているというのに、何も答えることができない。

遠くの方から聞こえてくる悲鳴とも怒声ともつかぬ大きな声から察するに、あの男はすでに何者かによって拘束されたようだ。つまり今を以てようやく私の身の安全が担保されたということになる。それが混乱した脳内に注ぎ込まれたことで、より一層涙の勢いが増したことを自覚した。

私からすればとても大きく暖かい手が背中を撫で、どれくらいの間続いたのかわからないが、なにかを問うでもなく、声をかけるでもない。

ただ背を撫で続けるだけのこの人の行為はしばらくの間続いて、その優しさに安堵し、なんとか落ち着いた呼吸を取り戻しはじめた頃、はじめて顔を上げて周囲の状況を伺う。

未だぼやけた視界だが、土手上に赤色灯を認めた。次に反対側に振り向くと、懐中電灯を携えた制服姿の女性が私の顔を見つめていて、ああ、なるほど、警察官だったのかと納得する。

「大変だったね、こっちにおいで。」母や学校の先生が、労い慰めるのと同じ様な声色で、この女性警察官は私の手を取り歩く様に促す。

立ち上がってみると私の格好はひどいもので、いたるところに泥が付着している上に下着や靴は不規則に散らばってしまっていた。

当事者の私がこのようにいうのは奇妙なものだが、どこからどうみても悲惨な事件の現場そのものであり、女性の手を借りながら靴を履くや否や、これまでの経緯がフラッシュバックする。

再び溢れる涙だが、もう心配はいらない。頼もしい味方の手を握り土手を登ると、いつの間にかもう一台パトカーが到着しており、少し離れた場所に停車しているところ、暗いこともあって影としてのみしか認識できないが、そこにはあの男が押し問答の末に詰め込まれるように乗車している姿が認められた。

女性の警察官は私とあちら側を遮る様に「とりあえず、パトカーに乗ってね。このあと救急車が来るから。」救急車という単語に対し「でも、お金とかなくて。」見上げる様にして告げる私を、優しく見据えた女性警察官は「あなたのお母さんから通報があって、その見回りの最中だったんだよ。来ているお洋服とかもお母さんの言う通りだったし、学校の道具で確認させてもらったから、大丈夫。」と知らせてくれて、そこではじめて母が心配してくれていたんだとも認識する。

車内の時計に目線を映すと、すでに20時をまわっており、自分の体感時間よりも長く屋外にいたことに対し、「もうこんなに……」とばかりに目を瞠る。

 それからほどなくして救急車がやってきて、私は相も変わらず少ない言葉数で受け答えをし、比較的近場の大きな病院に搬送されることになった。



病院につくとすぐに先生のもとへ通される。途中母が合流すると、表情は冷静そうであるが、やはり相当に混乱というか取り乱している様だ。

診察の最中だというのに、幾度も「大丈夫。大丈夫。」と私に語りかける場面もあり、心配してくれていたことが実感される。


 結局数十分ほどを費やして診断を終え、いくつかの薬を処方されて病院を後にするのだが、母の車に乗り込んだ私わたしたちの間には気まずい沈黙が流れ続けており、どうすればいいのかわからない。

きっと泣いたりしてもいいのだろうけど、当時の私とて、原因が自分にあることくらいは理解できていて、だからこそ『泣くのは違う』と堪えていたのではないだろうか。

少し騒がしい3気筒のエンジン音を携え、一秒、また一秒と時間が過ぎていく。

 私の口から溢れ出た言葉が「なんで」という一言だったのは、これほどの出来事があったのにも関わらず、車窓の向こう側の世界が普段と大きな違いがなく、あまりにも平穏なその無情な有様が鼻について仕方がなかったからなのだろう。

こちら側はこんなに苦い空間なのに、幼い私にはそれが許せなかった。

一度でもこんな感覚を覚えてしまうと、怒りとも悲哀とも捉えられる呟きが止まるはずもなくて、隣でハンドルを握る母に伝わっていることさえ気にもとめず「なんで私だけ。」「なんでこんなメにあうの。」などの恨み言を繰り返す。

 するとどうしたことか。家はまだ先なのに、母が車を路肩に寄せサイドブレーキを引く。

訝しげに運転席側に向き直り母を見やれば、ちょうど該当が逆光となっており、瞳のあたりが異様に煌めく様子で気がつく。あの母が泣いているのだ。

驚嘆ももちろんだが、声も漏らさず、呼吸も乱さずに涙する大人—それも実の母親の姿に、戸惑いと得体の知れない混沌とした感情が、私を揺さぶる。

「こんな目に合わせたかったわけじゃなかったのに、ごめん、ごめんね。」

「……」赦しを乞い、ハンドルに抱きつく様にして声を漏らす母に対しての言葉が見つからない。

いつも気丈で、一人で私を見てきたこの人がこうなるなんて、思いもしなかったことだ。

触れないようにしてきたが、父亡き後、ずっと堪えてきたのだろうか。大人でないうえに、きょうだいもいない私には想像することすらできないほどのものを背負っていたと言われても、それは間違っていないと思う。例えば色々な負担を水だとすると、理性や責任というダムで堰き止めていたはずが、この事件をきっかけに崩壊してしまったのかもしれない。

「あたしが悪いから、あんたはなんにも悪くないから、悪くないのに……。」「あたしがもっとちゃんとしていれば、こんなことにはならなかった。」

 その口からとどめなく流れ出す言葉は、どれも自分自身を責め立てるような内容で、この世にたった一人しか存在しない肉親の哀れ且つむごい姿は、私が口を挟めるほど簡単な問題ではないことを雄弁に語り、ただただその肩によりかかるほかなかった。

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