第0話 待つ女
なんとなく、というのが私は好きではないの。
だって、なんとなくうまくいっていることって、ちょっとしたことで瓦解するでしょう。大事なのは入念な下調べと手順の構築、そして想定外の事態にも臨機応変に対応できる柔軟な思考を持つこと。イストック領を治めるヴァルター=コネルの妻であり、共同経営者でもあった私は、この三つを常に心がけてきたわ。
とまあ、偉そうなことを言ったけれど、だからって自分の判断が正しいという確信を持てるかというと、そんなことはないの。少なくとも、私が生前に為したことは善行と呼べるものではなかった。
北方領、西方領、南方領の中でも本国の経済に大きな影響力を持つ貴族たちと関係を結んで、白アリが枯死した部分から巨木をじわじわと食い荒らしていくように、何十年もかけて本国を痩せ細らせてきた。
その割を食って職を失った人々はもちろん積極的に領地に迎え入れた。西方の新興都市ゼーフォートにも受け入れを要請したわ。民を飢えさせては貴族の沽券に関わるし、私の個人的な復讐でヴァルターの名誉を傷つけることはしたくなかったから。
――そう、復讐よ。
本国の高位貴族と、その横暴を許す王族たちを、私は許せなかった。
私から、ヴァルターから、小さなケイトとニコルから、アムリタを奪ったすべての者たちに、思い知らせてやらなければ気が済まなかった。
アムリタは自分から城を出て行ったのに、奪われた、なんて。八つ当たりも甚だしいと思う人間もいるでしょうね。認めましょう。その通りよ。誰よりも彼女を追い詰めてしまったのは他でもない、私たちだった。
奴隷時代に『自分に価値はない』と擦り込まれたアムリタの目に、愛する者を守るために命を捧げる騎士の生き方は、どう映ったろう。魔物の討伐で大怪我を負ったヴァルターを泣きながら治療しているあいだ、彼女は何を思ったろう。
このときまで、私たち三人の関係は『なんとなく』うまくいっていた。
『なんとなく』の陰でアムリタが抱えていた悩みや苦しみの重さに、私は、彼女がいなくなってから初めて気がついたの。
だから、復讐の動機の、半分は八つ当たり。もう半分は、気づいてあげられなかった自分への戒め。アムリタが、精霊憑きが安心して生きられる世界を作ること。それが私の人生の目標になった。
残りの半生を費やして、その基礎は築けたと思っている。私の死後は、子どもたち、孫たちが、この一大事業を引き継いでくれるだろう。
それにしても、死後の世界が実在したなんて驚きね。
星辰教会の『魂は大河を遡上して星に至る』という教え通り、ここには川があり、広大な原野が広がっている。魂たちはここから川の流れに身を投じて、星に還っていくのでしょう。
本来は、ええ、おそらく。そうだったはず。
今は――そうね。少しばかり勝手が変わったの。
僭越ながら、私が仕切らせていただいているわ。
私が来たときにはすでに、天地がひっくり返ったような大騒ぎになっていた。いえ、まさしく死後の世界に天変地異が起きたのでしょう。まどろみから叩き起こされた瞬間に『死』という現実を突きつけられて、パニックになってしまった人が大勢いたの。
誰も、川のほうなんて見向きもしない。泣いて、喚いて、絶望して顔を覆う。
芋洗いの状態が見るに堪えなくて、秩序を敷くことにしたわ。肉体を失った今となっては男も女も関係ないし、ここでは特に精神力がものを言うみたい。とはいえ、自分の発した一喝が、ヴァルターが振り回した戦斧みたいに周りにいる魂たちを薙ぎ払ったのにはびっくりしたけれど。
『死後の安寧と魂の救済』という大義のもと、迷える魂たちを一カ所に集めて、順番に送っていくことにしたの。生前軍人だった者たちを真っ先に取り込んだのが功を奏したわね。おかげで死後の世界もだいぶ落ち着いたわ。
夜明けも日没もない世界だけど。
今日も今日とて、大河を遡上して星に還っていく魂たちを、私は見送る。
ここで待ち続ける。私とヴァルター、そしてアムリタ。三人が揃うときを。
だけどもしも、ヴァルターより先にアムリタがここへ来ることがあったなら。
その魂が、寂しさで縮こまって、孤独に疲れ果てているようなら。
そのときはね、力いっぱい振りかぶって、現世にあなたを投げ返してやるわ。
アムリタ。
ひとりで死ぬなんて許さない。
ヴァルターを看取って、家族みんなに見送られて、あなたは逝くの。
そうしたら今度こそ、また三人で集まりましょう。
子ども達を寝かしつけたあとヴァルターの部屋に集まって、夜遅くまで楽しく語り合ったあの頃のように。これまでのことを話す時間はいくらでもあるわ。
そのときを待ちながら、私は旅立つ魂たちに手を振る。
――新しく生まれるすべての魂に、祝福があらんことを。
水の魔女アムリタ @satomi-akira
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