拝啓、3分前の自分へ

あきカン

第1話

 拝啓、3時間前の俺。元気にしているか? 

 いつもだったら寝ている時間だろうけど、今日はたまたま早めに起きたよな。

 我ながらよくやったと褒めてやりたい。

 朝食はいつものようにカップラーメンだったな。今日はとんこつを食べたよな。出来上がりの三分はとてつもなく長く感じるけど、食べるときは一瞬だよな。けど今度からは野菜もちゃんと食べた方がいいぞ。


 拝啓、2時間前の俺。テレビなんか見やがって、仕事を探せよ仕事を。もう三年もニートなんかやって、そろそろ飽きてきだたろ。あ? やる気がでない? 馬鹿野郎。やる気なんか出るわけねえだろうが。お前は見たい番組があってテレビを見てるのか? 単なる暇つぶしだろうが、同じ暇つぶしだったら、金もらえる方がいいだろうが。


 拝啓、1時間前の俺。最近いいニュースが一つもねえよな。どこを見ても不景気だの不倫だの強盗だと自殺だの……。あ? 自分には関係ない? だったらなんで見てるんだよ。自分の周りに幸せがないからだろ。だとしても自分のことを不幸だなんて思うなよ、そうしたのはお前なんだからな。


 拝啓、30分前の俺。ようやく動く気になったか。理由はもうなんでもいいよ。腹が減ったでも、ちょっと外を散歩してみたくなったでも、まだ外に出られる元気があるならお前はまだ大丈夫だから。


 拝啓、10分前の俺。ニヤニヤした顔しやがって、そんなに嬉しかったのか? 宝くじで三万当たったくらいで。いいニュースじゃねえか。それで迷惑かけた両親に飯でも奢ってやれよ。あ? これは俺の金だ? 好きに使わせろ? それじゃあ幸せにはなれねえよ。


 拝啓、5分前の俺。辛そうだな、歩いて疲れたか? ちょっと周りの子供がうるさいくらいでイヤな顔してるんじゃねえよ。微笑ましいだろ? お前も昔は、あんな風に将来のことなんて何も考えずに毎日を楽しんでいたんだぜ。将来の楽しみなんて、アニメの続きか、給食のメニューか、夏休みか、お年玉か……そんな今思えば他愛のないものでしかなかった。けれどあの頃はそれが特別だった。生きる希望だった。


 いったいいつから、こうなってしまった。大学受験に失敗して、浪人しても結果が出ずに一年間引きこもった。バイトもしたが長続きしなかった。人間関係に嫌気がさして、連絡もせずにバックレた。電話も無視した。


 人生設計が狂った瞬間は、大学受験に失敗したときでも、引きこもったときでも、バイトを辞めてたくさんの人に迷惑をかけた時でもない。


 俺は今まで一度だって、自分から何かをしたことなんてなかったじゃないか。親や先生が敷いたレールの上を、走るでもしがみつくでもなく、ただ立ち止まって眺めていた。誰かが背中を押してくれると、誰かが引っ張っていってくれると、自分の人生を他人事のように思って生きてきた。


 だから苦しくないんだろう。お前はその重みを知らないから。年を重ねるほど、色々なことが不自由になる。子どものように何をしても許されるようなことはなく、責任という人生の重みがのしかかってくる。


 あの頃に戻りたいなんて、今更思ってももう遅い。10年前に戻っても、今のお前じゃあきっと何も変わっていかない。お前が何も決断できないままじゃ、お前はずっと、醜いおっさんのままだ。


 拝啓、4分前の俺。嫌に耳がうるさい、夏の喧騒か疲労のせいか、頭もクラクラするし、子供の声はうるさいし。……おい! ぶつかったからって舌打ちするなよ。しかも子供の帽子なんか奪って道路に投げやがって、お前は本当にクズだな。


 あっ、他の子どもが道路に飛び出したぞ! 早く止めてやれ。……声がでない? 


 クラクションの音が聞こえた。救急車のサイレンのように、それは耳元でうるさいくらいに響いて、俺は……。


「あぶないっ!」


 咄嗟に、声が出た。かわいそうに、後ろから押されて転ぶなんて、もっといい方法があっただろうが。……余裕がなかった? まあ、何を言ってももう無駄だ。


 拝啓、3分前の俺。言い訳を聞こう。なぜ見ず知らずの子供を助けた? ニュースを見て、自分もできると思ったのか? だったら、思い上がりもいいとこだ。そもそもお前が帽子を投げなかったら危険な目にも遭ってなかったんだ。罪悪感はあったかもしれない。後先を考えないのは悪い癖だ。


 それでも、あの時だけは確かに未来が過った。助ける選択と助けない選択が、きっと数秒の間に何度も思考を巡っていた。どちらも自分で敷いた道だった。


「もしかしたら、二人とも助かるんじゃないかって……思ったんだ」


 死にそうな顔で言うなよ。未来のお前はもう死んでるけど、けれど俺はお前を誇りに思う。死ぬ前にようやく、お前はお前の人生を始められたんだ。


 な? たった3分でだって、人生は変えられただろ? 


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