第一章 作戦名「エウタナシア」

 あるいは詩人はこううそぶくやも知れず。


「悲しみを歌え、女神ムーサよ、数多の戦場で無念にも命を散らし、若き肉体を虚しくさせた兵士たちの悲しみを。死してなお解放されることなき兵士たちの霊魂は、このヘラスの陸に空に海に漂泊し癒されることはない。ならば女神よ、我をしてそれを語らしめよ」


 詩人たちは幸せだ。真っ直ぐに神を信じ、真摯に祈りを捧げることができる。彼らにとって、神が存在するのか、それとも存在しないのかという形而上学的議論は無意味だ。


 詩人たちは祈りによって力と霊感を得て、多くの美しい詩と歌を紡いでいく。彼らは自らが生み出した作品によって不滅の霊魂プシュケーを得て、肉体が滅びた後も、何世代にわたって生き続けていくだろう。


 では、俺はどうだ? 俺は単なる兵士に過ぎない。いや、より厳密に言うならば、兵士の姿形をした人形とでも言おうか。詩を口ずさむ代わりに銃を手にし、楽器の代わりに操縦桿を握り、歌と慰めではなく破壊と死を振りまく存在、それが俺だ。


 神に祈るにはあまりにもこれまで神に裏切られ続けてきたし、霊感などなく、肉体は壊れやすく、霊魂は、もしそんなものが俺のような人形にあるのだとしたら、黒く汚れ切っているだろう。


 詩人たちは神を信じている。彼らは愚かだが、俺にとってはその愚かさすらも羨ましい。俺も詩を紡ぐことができたなら、俺もせめて人間並みに、自分のための墓碑銘くらいは生み出すことができたなら、とふとした時に思ってしまう。


 そう、俺は今、死を迎えつつある。もちろん、自分自身の意志によってではない。命じられて死ぬのだ。そしてその死は、他の兵士たちと何ら異なるところのない、ごく平凡でありふれたものとなるだろう。統計的に処理され、いずれ記録上の数字として文書保管庫の奥深くにしまい込まれることになる死。


 兵士として生きている以上、いつかは生命を捧げなければならない。それは覚悟していたことだ。それでも俺は考えざるを得ない。たとえ自分が戦争という巨大なおもちゃ箱の中の人形の一体に過ぎないとしても、俺がこれまで生きてきた人生はなんだったのか、と。



☆☆☆



 人形のくせに、任務の時以外は回想に耽ってばかりいる。


 あの世に記憶を持っていけるかどうかは知らないが、せめて良い思い出と悪い思い出の選別くらいはしておきたい。悪いものは捨てて、その分だけ良いものを持っていきたいからだ。


 それでも、思い出すのが苦い記憶ばかりなのは、いったいどういうことなのだろう。


 俺は半年前のことを思い出していた。


 新ヘラス暦852年の、ことのほか寒い冬のある日のことだった。長年にわたって静かな敵対関係にあったアカイア海洋連合とトロイア共和国が遂に開戦し、俺たちアカイア軍が侵略者としてトロイアの大地を踏んでから、既に二年近くが経過していた。


 操縦席のハッチを開けて機体から地面へと降り立った俺を見て、年配のクレタ人歩兵部隊の指揮官はあからさまに顔に失望の色を浮かべた。


 彼の表情は、俺の階級章を見てさらに険しくなった。


「なんじゃい、精鋭を寄越してくれと司令部には頼んだのに、こんな子どもが来るとは……どうにも頼りないな。おまけにセメイオンの兵隊人形かよ。しっかりとわしらを援護してくれるんだろうな?」


 クレタ訛りで発音された「セメイオンの兵隊人形」という言葉には、軽侮の念が少なからず込められていた。


 セメイオン(記号兵)とは、その名の通り記号で呼び表される兵士のことであり、軍においては最下級に属する。奴隷兵と言っても差し支えない。市民権を持つ通常の兵士たちからは蔑みの対象となるのが常だった。


 俺は、そのような態度には慣れていた。十七歳のセメイオンに多大な期待を寄せる方がどうかしている。


 顔色を変えず、俺は敬礼をした。


「イタケーΝΣ(エヌエス)戦隊所属、セメイオンOオミクロン-38号。貴隊と協同し、目標地点奪取のため尽力します」


 指揮官は軽く頷きつつ、煙草に火を点けた。遠雷のような砲声と、単調な機関銃の射撃音がどこかから聞こえてくる。


 煙を吐き出した後、彼はどこか気だるげに言った。


「もう知っているだろうが、一応確認じゃ。わしらはこれから市南西部にある敵の魔力戦車工場を奪取する。とっくに操業は停止されているが、どうやらそこに敵の混合濃縮エーテル液タンクが設置されているらしい。お前の任務はわしらの露払いだ。街路と建物には敵がドブネズミのように蔓延っておる。見つけ次第砲弾を叩きこんでくれ。ああ、あと、状況によってはわしらの盾役もしてくれよ。こっちは全員、れっきとしたクレタ市民なんじゃからな……」


 打ち合わせというにはあまりにも一方的な会話が終わると、俺は自分の機体に搭乗した。冷たい座席に腰かけ、通信機器内蔵のヘルメットを被り、ベルトを締める。


 俺はそっと溜息を漏らした。


 過酷な戦いになりそうだった。俺たちが今攻めているこのトロイア第四十一都市は、敵が要塞化し戦力を集中させている。


 俺は、自分が搭乗する歩行兵器ネウロ・スパストス(νευρόσπαστος、通称ΝΣ、エヌエス)124型の性能を信頼していたが、過信してもいなかった。この強力にしてひ弱な身の丈五メートル弱の軽合金製の「人形」は、扱い方を間違えればただの高価な棺桶となってしまう。


 メインスイッチを入れると、搭載されているアルゴス機械工業製八百馬力ガソリンエンジンが唸り声を上げた。回転数が上昇すると、次に発電機が駆動して大電流が生み出され、機体各部のモーターへと流れていく。姿勢制御用アナログコンピューター「メティス」11型の真空管も温まった。


 これでいつでも出撃できる。


 機体の外で交わされる指揮官と歩兵たちの会話を集音マイクが拾い、ヘッドホンから伝えてきた。


 歩兵たちはなぜか興奮しているようだったが、指揮官の声は平静さを保っていた。


「隊長、この機体を見てくださいよ。これ、すごい数のキルマークですぜ!」

「小型魔力戦車がいち、に、さん……三十八両! それに重戦車七両に、野砲に装甲車まで……こりゃたまげた! 大したΝΣ乗りですよ、コイツは」

「ふん、いくら戦うことしか能がないセメイオンとはいっても、あんな子どもが本当にこれだけの戦果を挙げたのか疑わしいもんじゃ。はくをつけるためにデタラメをペイントしているかもしれんしな……さあ、おしゃべりは終わりじゃ! 前進せい!」


 俺を先頭にして、歩兵たちは暗い都市の中を進み始めた。空は曇っていて、大きな雪片がひらひらと、死にかけた蝶のような動きで舞い落ちてくる。


 他のあらゆるトロイア共和国の都市と同様、この第四十一都市も直線と灰色で構成されており、画一的で陰気な雰囲気を纏っていた。


 連日の砲撃と空襲で建物は破壊されており、街路には瓦礫が積もっている。そこここに兵器の残骸と粉砕された馬車の破片、人間や馬の死体が散らばっていて、白い雪が惨劇を隠すように薄くその上を覆っていた。


 道の中央部に、子どもを背負った母親が倒れていた。雪を被っていないが、二人ともまったく動かない。つい先ほど息絶えたようだった。歩兵たちは親子の死体に目もくれず先へ進んでいく。俺は、二人を踏まないように機体を動かした。


 案に相違して、作戦はごく順調に進展した。


 俺は歩兵の盾となりつつ、機関銃を乱射してくる敵の火点や、曲がり角で待ち伏せをしている速射砲に、右腕で抱え持つ七十五ミリの主砲から砲弾を送り込み、丹念に敵の戦力を削っていった。榴弾が炸裂し紅蓮の炎と黒煙が噴き上がるたびに、歩兵たちは歓声を挙げた。


 十字路を守っていた小型魔力戦車に一撃を加え、弾薬庫を誘爆させた時などは、彼らは俺の機体を叩いて喜びの感情を露わにした。


「ええぞ、ええぞ! 敵の戦車の丸焼きじゃ!」

「あの砲塔を見たか? 五メートルは空中をぶっ飛んだぞ!」

「大した乗り手じゃ、頼もしいぞ! 次もよろしくな、イタケーのΝΣエヌエス屋さんよ……」


 クレタ人たちは、俺の戦いぶりを見て士気が上がったようだった。


 進むにつれて、敵の抵抗はますます激しくなった。敵の歩兵たちは勇敢にも小銃や軍用魔術杖を手にして接近戦を挑んできた。ある者は梱包爆薬を背負い、俺のΝΣを破壊しようと必死の突撃を敢行したが、それも味方の歩兵によって排除された。


 目標地点である工場の前に到達したのは、作戦開始から五時間が経過した頃だった。指揮官は工場突入前に兵士たちに小休止を命じた。


 点検のために機体から降りた俺に、彼は当初の態度を一転させ、親しげな声と表情で話しかけてきた。


「おう、イタケーの精鋭さんよ。ここまではまあ、まずまずのご活躍じゃ。まあ、お前のおかげでずいぶん楽にここまで来ることができた。礼を言うぞ。後は工場だけじゃ。頼んだぞ。煙草はいらないか? クレタ産には及ばないが、ピュロス産の上等なやつをわしは持っておる。吸わないか? 美味いぞ」

「いえ、結構です。セメイオンは喫煙を禁じられておりますので。それよりも、油断しないほうが良い」


 俺がそう答えると、指揮官は興ざめしたような顔をした。


「油断? わしが油断しとるって? 随分な言い草じゃな。いったいなんだ?」

「あのオッサが本当ならば、『奴』が来るかもしれないので」

「何、あの噂? ハハハ、案外子どもっぽいところがあるもんじゃ。何、噂は噂じゃ。『白い化け物』なんているはずがない。気にするなよ、ハハハ……」


 笑いながら指揮官は立ち去った。彼はもう作戦の成功を疑っていないようだったが、しかし俺の心はざわついていた。


 あの噂が、俺にはどうも気になる。この都市に棲息すると言われている、白い化け物の噂だ。


 すぐ傍で俺と指揮官の会話を聞いていた歩兵たちが、お喋りを始めた。


「何じゃい、その白い化け物ってのは?」

「知らんのか? その白い化け物ってのは、正体不明のΝΣらしいぞ」

「はぁ? ΝΣってのは、うちらアカイア軍の専売特許じゃねぇのかよ」

「知らん。敵がパクったんだろうよ」

「噂によるとその白い化け物は、全身を輝くばかりの白い装甲で覆っていて、磨き抜かれた盾と剣を持ち、俊敏な動きで鋭い剣戟を放ってくるとかなんとか。化け物は俺たちの軍のΝΣを好んで目標に選ぶらしくて、これまでに味方が何機か撃破されてるらしい」

「仕留めたΝΣの頭部を切断して持ち帰っていくんだと。その化け物は……」


 魔術文明を誇るトロイア共和国が、高度な機械文明の産物であるΝΣを開発したとは信じられない。噂は単なる噂に過ぎず、あるいは何らかの原因で敵に鹵獲されたΝΣを見間違えただけとも考えられたが、俺はなんとなくそれが真実であると思っていた。


 奴が、白い化け物が、この工場に出現するかもしれない。どうしても心がざわつく。


 こういう時は、かつて習った占いをするに限る。俺は六枚のコインを投げた。その表裏の並び具合で吉凶を占うものだが、結果は曖昧だった。


 それでも俺は、少し落ち着くことができた。ぼそぼそとした黄色い携帯口糧を齧りながら、俺はできる限り入念に機体の点検を行った。


 半時間後、俺たちは工場に突入した。


 工場は既に空襲を受けて半壊していた。広大な構内には途中まで組み立てられた魔力戦車が整然と並んでおり、無数の部品と資材の残骸が散乱していた。


 当然のことながら、工場内では敵の歩兵が俺たちを待ち構えていた。手榴弾を投げつけ、銃剣でえぐり合う壮絶な白兵戦が展開されたが、俺の火力支援の甲斐もあり、次第に敵の数は減っていった。


 敵兵が立てこもる戦車の残骸に俺が徹甲弾を撃った、その時だった。歩兵たちの動揺した叫び声が聞こえてきた。


 彼らはある一点を見て、指さし、銃を向けている。


「なんじゃ、あれは!? 味方のΝΣか!? いや違う!」

「大きな白い奴が出て来たぞ! まさか、噂の白い奴か!?」

「イタケーのΝΣ屋よ、気をつけろ、新手だぞ!」


 彼らは銃床で俺の機体外板を叩いて警告をした。急いでその場で機体を旋回させ、俺もそれを視界に捉えた。


 いつの間に現れたのだろうか。その敵は、組み立て途中で放棄された重戦車の上に屹立していた。


 全高は俺のΝΣと同じほどで、隙間なく白い装甲を身に纏っている。流麗な線で構成された機体は、航空機のような優美さを醸し出していた。右手には丸い盾を持ち、左手には冷厳な輝きを放つ長剣を下げている。頭部に装備された外部視察装置と思しき単眼のレンズからは、怪しげな緑色の光が放たれていた。


 白い化け物だ。俺は息を呑んだ。俺の第六感が告げていたように、やはりここに現れたのだ。


 悠然と、そしてどこか傲慢な様子で、白い化け物は工場内を睥睨している。まるで己の存在を誇示しているかのようだった。


 俺の機体を見つけると、敵は盾と剣を構え、軽やかに跳躍して重戦車の上から降りた。構内に地響きと轟音が起こった。


「撃て、撃てぇ!!」


 歩兵たちは一斉に発砲した。小銃から軽機関銃、拳銃に至るまで、彼らは白い化け物に向かって集中射撃を加えた。


 しかし敵はそれをすべて弾き返した。歩兵たちを意に介することもなく、ゆっくりと、だが着実な足取りで、敵は俺に向かって前進してきた。劣勢だった敵兵たちも、白い化け物の出現に勇気づけられたのか、クレタ人歩兵たちに逆襲し始めた。


 噂の通り、奴の目標は俺らしい。一つ深呼吸をすると、俺は素早く、冷静に、敵を観察した。


 敵は古代の戦士のように、接近戦を行おうとするようだ。間合いに入るや否や、あの長剣で斬りかかってくるだろう。一方で、俺の機体は射撃戦を旨として開発されており、近距離戦闘に関しては限定的な能力しか持たない。


 ならば、採るべき戦法はただ一つだ。常に動き回って距離を保ち、砲撃を加え続けることしかない。


 軽快かつ俊敏な動きをするということは、その分装甲が薄いことを意味するはずだ。小火器程度ならば防げても、この七十五ミリ砲の徹甲弾ならば甚大な損害を与えられるだろう。一発でも食らわせれば、こちらの勝利だ。


 とにかく、当てさえすれば! そのように考えていた俺だったが、数秒後には考えが甘かったことを悟った。


 こちらが後方に跳躍し、走り、主砲弾を発射しても、敵はすべてそれを避けてしまった。彼我の距離は二十メートルほどで、撃てば瞬時に砲弾が敵に命中するはずであるのに、敵はこちらが発射するわずか数瞬の間に機体を動かして、回避してしまう。


 なるほど、化け物だ。最後の一発の徹甲弾を放った後、俺は舌打ちした。


 奴の動きは滑らかで、まるで毒蛾が宙を舞うような邪悪な美しさを秘めていた。照準器に捉えた瞬間、敵は白い残像を残して消えてしまう。もう弾はない。


 次なる手を考えようとして、俺は一瞬だけ動きを止めてしまった。それを見て、敵は俺が砲弾を撃ち尽くしたのを察したのだろう。突然左右の動きを止めて、一直線に突進すると、一挙に間合いを詰めてきた。


 咄嗟に、俺は防御のために主砲を掲げたが、敵の長剣はそれをチーズテュロスでも切るように真っ二つにした。続いて手を休めることなく、敵は鋭い突きを送り込んでくる。俺は身をよじった。


 剣は前面装甲を貫通して計器盤を破壊し、俺の右肩を切り裂いた。飛び散った装甲の破片が上半身に突き刺さる。痛みはなかったが、血が噴き出るのを感じた。俺はそれに構わず機体を後方へ素早く動かし、間合いをとった。


 もはや武器はない。頭部に装備された二梃の機関銃では、とても奴に有効打を与えることはできないだろう。


 白い化け物を見る。奴は剣の切っ先をこちらに向けていた。まるで「覚悟しろ」と言っているかのようだった。


 このまま俺はなすすべもなく奴の長剣で操縦席ごと斬り裂かれ、串刺しにされてしまうのか……黒い絶望感がねばつく触手を伸ばして、俺の心を掴もうとした。


 いや、俺はアカイア軍の最精鋭、イタケーΝΣ戦隊の一員だ! 俺は奮起した。


 こんな奴にやられるわけにはいかない! 真っ赤な敵愾心がぐらぐらと沸き立った。


「舐めるな!」


 叫びつつ俺は操縦桿のボタンを押し、機関銃を奴に向けて発射した。


 奴は既に勝利を確信しているのか、それを避けることすらせず、まるでシャワーでも浴びているかのような佇まいで銃弾を弾き返していた。


 その傲慢さを俺は期待していた。突然、俺は照準を奴の外部視察装置へと向けた。銃弾が吸い込まれるようにして緑色の単眼を叩く。敵はほんのわずかに、たじろぐ様子を見せた。


 それとほぼ同時に、敵の機体の足元で何かが爆発した。見ると、クレタ人歩兵たちが手榴弾を持ち、白い化け物に向かって盛んに投擲をしていた。


 連続する爆発音に混ざって、歩兵たちの声が聞こえてくる。


「前へ、前へ! ΝΣ屋を援護しろ!」

「ここであいつがやられちまったら、次は俺たちの番だぞ!」

「梱包爆薬も持ってこい! 奴にぶつけてやるんだ!」


 歩兵たちの攻撃を受けて、敵の構えが崩れた。それを見て、俺の中の闘志がより一層膨れ上がった。


 次の瞬間、俺は自分から間合いを詰めた。突進しつつ、俺は機体の右腕を振りかぶった。敵は俺の動きに対応しようと、盾を構えようとする。


 間に合うだろうか、と思っているうちに、既にあと一歩という距離に達していた。俺はパンチを繰り出した。


 鈍い金属音が響いた。盾は間に合わず、パンチは敵の胸部の中心に命中した。


 ΝΣ124型のパンチは、小型戦車の前面装甲ならば容易く貫通させられるだけの威力がある。だが、敵の装甲は思った以上に強固だった。パンチは胸部の装甲板を凹ませるだけに留まった。

 

 それを見た俺は、即座にもう一発を食らわせた。二発目はほぼ同じ個所に命中し、装甲板にかすかに亀裂を生じさせた。


 トドメを放とうとして、俺ははっとした。右腕は衝撃に耐えられず、崩壊していた。ΝΣという繊細な戦闘機械には、パンクラチオンの如き打撃戦は荷が重かったのだ。


 それでも、戦いを止めるわけにはいかない。俺は左腕を敵の腰に回し、組みつこうとした。


 だが、敵はそれ以上戦闘を継続しなかった。どうやら、パンチの衝撃で内部の操縦者がダメージを負ったようだった。


 敵は後方へ跳躍して、組もうとする俺から距離をとると、今度こそ敵は油断なく武器を構え、俺を睨みつけた。


 突如、ヘッドホンからノイズが混ざった音声が聞こえてきた。それは若い男の声で、強い闘志を秘めつつも、どことなく爽やかさを感じさせた。


「……なかなかやるではないか、『海の民』のΝΣ乗りよ。歩兵の援護があり、なおかつ捨て身の攻撃だったとはいえ、私にここまで手傷を負わせたのは君が初めてだ……」


 どうやってこちらの無線に介入することができたのか、それを疑問に思っている間にも、敵は喋り続ける。


「……このまま戦えば私が勝つ。それは明白だ。だが、どうやら君の仲間が私の味方を追い払ってしまったようだ……」


 見ると、奴の周りに歩兵たちが近寄りつつあった。指揮官が拳銃を掲げて、部下を督励している。


 どうやら歩兵たちは白兵戦を制したらしい。彼らは今度こそ白い化け物を爆破しようと、収束手榴弾や爆薬を手にしていた。


 通信が乱れ、音声が途切れがちになった。


「……いずれ戦史に燦然……刻まれるで……う我が名はアス……カ……ス……君とはいつか……決着を……やる。天空の神々がその機会……与えて下さるだろう。神々は勇者をこそ愛でる……その時まで壮健であれ。では、さ……ばだ!……」


 敵は軽やかな跳躍を繰り返し、去っていった。


 歩兵たちが追おうとしたが、指揮官がそれを制止した。彼は部下に指示を出すと、俺の機体に駆け寄ってきた。


 その頃には、俺の意識は出血多量で朦朧としていた。操縦席から引きずり出されながら、指揮官が何かを言っているのが聞こえた。


「ようやった、お前はようやったわ! セメイオンの兵隊人形らしからぬ、立派な戦いぶりだった! すぐに包帯所へ連れて行ってやるからな。おい、担架を用意しろ……!」


 その言葉をどこか遠く感じつつ、俺は、あの敵について考えていた。


 奴はいったい何者なのだろうか、どうやってあれだけ高性能な機体を開発したのだろうか、トロイア共和国は、今後もあのような機体を量産するのだろうか、いやそれよりも……


 破れた工場の天井から白い雪が舞い落ちてくる。雪は、あの化け物とまったく同じ色だった。


 俺の真っ赤な血潮とは極端なまでに対照的な白色が、妙に目にちらつく。


 アスなんとか。気障きざな奴だ、気に入らない。俺はそう思った。



☆☆☆



 それから半年が経った。幸い、あの時の傷は無事に癒えた。俺は十八歳になっていた。


 そして、その十八年間の人生は終わりを迎えようとしている。


 また俺は、回想に耽る。


 俺たちセメイオンには本来許されていないそのあまりにも人間的な知的営為は、どこまでも甘美だった。兵隊人形に過ぎない自分には無意味そのものであるのに、俺はそれをどうしてもやめられない。


 第四十一都市を攻略した後、軍は海かと見紛うばかりのスカマンドロス川の渡河作戦を発動した。


 俺は作戦時、小隊長と、同じセメイオンである戦友四人との合計六人で、原隊であるイタケーΝΣエヌエス戦隊から選抜され、ストロピオス将軍が率いる第四軍に独立小隊として派遣された。


 損害を出しつつも、そこに橋頭堡を建設したのがほんの二カ月前だった。


 そして、一挙に敵首都攻略を目指した軍は、しかし急速に戦力を失っていった。


 アカイア軍は敗北しつつあった。それも、甚大な敗北を。


 哨戒や迎撃といった毎日の任務を終え、粗末なテントに身を横たえた後、俺たちはその原因について話し合ったものだった。


 わずか数週間前のこととはいえ、懐かしく感じる。


 理屈っぽいΤタウ-45号は、訳知り顔でこう言ったものだった。


「補給能力に限界がきているんだ。ここから海の艦隊まで距離が遠すぎるせいで、なかなか前線まで物資が届かない。道も悪いし、交通インフラも壊滅している。それに、占領した都市や村々には抵抗組織がバッタのようにどんどん出現している。奴らの妨害のせいで補給が上手くいかん。川を渡るための船だって足りていない。おまけに敵の空軍が妙に元気で、毎日何隻も輸送船や艀が沈められている。貴重な物資を積載したままな……」


 それに答えるように、手帳に何かを書きつけていたΣシグマ-91号が、ぼそぼそとした物憂げな声で言った。


「いや、それよりは伝染病のせいだな。まったく、川を越えてからというもの、全軍のほとんどがこの病気のせいで機能不全だ。俺たちは全員比較的軽い症状で済んでいるが、整備班から聞いたところだと、この病気に罹ると悪寒から始まって二週間の高熱、その後は断続的に寛解と熱発。最悪の場合死に至るか重篤な脳障害を負うことになるんだと。有効な治療法はまだ見つからんらしい。原因の特定すらできてない……」


 規則を破って煙草を吸っていたΔデルタ-34号がそれを聞き、頭を振りつつ大きな声を発した。


「食いもんがなんだ、補給がなんだ! 病気なんて地獄の番犬にでも食わせちまえ! なによりヤバイのは敵の変化だ! トロイアの奴ら、生まれ変わったように強くなっているぞ。最初は俺たちアカイアの機械文明の真似事をしていただけだったのに、奴ら、ついに魔法技術を転用しやがった。そのせいで奴らの戦力は大幅に向上した! 魔力戦車はもっとデカく素早くなって、攻撃力まで増しているし、次から次へと新型が出てきやがる。近頃じゃ俺たちのΝΣの火力に充分に耐えられるようになってきた。薄汚い魔術兵共も、ちんけな花火みたいな魔法じゃなくて、もっと強力な呪文を唱えるようになってやがる。『集団での魔術行使と改良された魔法陣の導入』とか言うらしいが、頭にくるぜ……」


 綺麗な金髪に櫛を当てていたΓガンマ-43号が、半分笑いの混ざった声でそれに続いた。


「俺は魔法文明っていうくらいだから、トロイアにはすごい数の魔物だの怪物だのがいるもんだと思っていた。それが案に相違して拍子抜けだぜ、今までそんなのどこにもいなかったんだからな。そしたら、よりにもよってこんな状況で怪物たちのご登場だぜ。連中、どこから連れてこられたのか、今じゃ戦線のどこに行っても怪物が蠢いてやがる。まったく、怪物なんてもんは空想の世界の中でじっとしとけば良いものを……数え上げてみようか? ライオンの頭部とヤギの胴体に、毒ヘビの尾を持つキマイラ。ハゲワシの体に婆さんの顔を持つハルピュイア。それからやたらとマッチョな体格の、気持ち悪い一つ目の巨人共。あいつら、戦車よりも素早いし、強靭だし、機関銃弾を食らわせた程度ではダメージにならねぇ。特に巨人が厄介だな、背丈も攻撃力もΝΣにほぼ匹敵する……」


 そこまで話してから、Γ-43号がおどけた口調で俺に話を振った。


「で、O-38号さん。あなたのご意見は?」

「悪条件が重なっても、俺たちのやることはただ一つ。敵が来れば戦う。それだけだ」

「おやおや、真面目だねぇ。流石は童貞なだけはある」

「セメイオンは許可なくして童貞を捨てることはできん。お前たちもみんな童貞だろうが」

「おっと、こりゃ一本取られたな、ハハハ……」


 仲間たちは、幾度となく繰り返した話をまた再開した。俺は無言で彼らの話を聞いていた。


 神々がトロイア共和国に味方したとでもいうのだろうか? それほどまでに彼らの転身は鮮やかで、そして俺たちにとって脅威だった。


 アカイア軍はもはや風前の灯火という状態にまで追い込まれている。各部隊の兵員は半分以下にまですり減り、弾薬も燃料も食料もなく、悪疫に苛まれて、何よりも重要な士気は既に地に堕ちていた。


 夜ごと語り合った四人の仲間たちのうち、金髪のΓ-43号を除いた三人は既にこの世にいない。


 彼らはあまりにもあっさりと、冥府の神ハデスの支配するあの世へ旅立ってしまった。


 苦戦続きの戦線において、俺たちは実戦経験豊富なΝΣ部隊として重宝された。しかし重宝されるということは反面使い倒されるということでもあって、毎日充分な休息をすることができないほどに忙しかった。


 忙しいということは、死の機会が多かったということだ。


 最初に理屈っぽいΤ-45号が敵の魔術兵の集中砲火を浴びて乗機を撃破され、その時の傷が元で三日後に死亡した。次に物憂げなΣ-91号が装甲を纏ったキマイラに機体ごと噛み砕かれて戦死した。


 その死を悲しむ間もなく、血気盛んなΔ-34号が空挺降下してきた巨人との戦闘の末に殺された。


 我が軍でも空挺作戦の可能性について研究が重ねられていたが、これで敵に先手を打たれたことになる。共和国の名将アイネイアス将軍が自ら陣頭に立って実行したのだった。しかも、巨人を降下させるという驚天動地の作戦を。


 彼らは橋頭堡きょうとうほの真ん中に降り立って渡し場を破壊しようと計画したが、手違いで陣地の外れに降りてしまった。それでも存分に暴れ回って、ついにΔ-34号を殺したのだった。


 Δ-34号の仇を討たねばならなかった。


 巨人はΝΣを撃破したことに気を大きくしたのか単独で俺たちの陣地の前に出てきて、醜悪な赤い単眼をぐりぐりと動かしながら、もっとΝΣを寄越せと挑発した。


「俺はアイネイアス将軍閣下の部下の一人、剛毅不屈なる巨人キュクロプスのポリュペモス! 俺に挑戦するアカイア人はいないか!」


 俺は小隊長に命じられるまでもなく出撃を決意した。数日前から薄く発熱が続いていて万全の状態とはいえなかったが、戦友を殺されて黙っているわけにはいかない。


 乗機は都市を攻略した時と同じ、ΝΣ124型。主砲は改良された七十五ミリ砲。巨人を倒すため、俺は整備兵に特に頼んで榴散弾を用意してもらった。


 ちょうど機体が目標地点に到達した時、巨人は「食事」の真最中だった。


 我が軍の兵士たちを塹壕から一人ずつ摘まみ上げ、次々と生きたまま口の中へ放り込んでいく。兵士たちの小火器による射撃を蚊の刺すほどにも感じていないのか、巨人はバリバリと音を立てて食事を堪能していた。


 巨人は、腰に下げた大きな革袋の中に詰まったワインをひと息に飲み干すと、さも「今気が付いた」というような調子で、俺に向かって老いた雄牛のような野太い声を上げた。


「やはり人間は踊り食いに限る! 死なない程度に半分ほど噛み砕いてワインと一緒に飲み込むと、絶望に駆られて胃の中で暴れ狂うのがたまらんわ! おい! そこのΝΣ乗り! お前もそうやって食ってやるぞ!」


 その言葉が終わるのを待つまでもなく俺が挑みかかると、巨人はすぐに得意とする格闘戦へ持ち込もうとした。ハンマーを振るいつつ、俺へ向かって体当たりを挑もうとする。


 殺されたΔ-34号は血の気の多い性格をしていた。彼は格闘戦を挑まれ、格闘戦で応じてしまったために、結局ハンマーで操縦室を叩き潰されてしまったのだ。彼の死体は挽肉となって、装甲の破片と機械部品に完全にへばりついていた。


 俺がその二の舞を演ずるわけにはいかない。


 俺はしばらく巨人に付き合ってやりつつ、しかし適切な間合いを保った。避け続けて、敵の勢いが減じたのを見計らい、主砲から一発の榴弾を発射した。


 だが、俺の射撃は外れた。巨人が身を素早く翻してそれを避けたのだった。どうやら、単眼ながらも並々ならぬ動体視力を有しているらしい。


 勝ち誇ったように奴は叫んだ。


「そんなやわな射撃で俺は殺せんぞ! はやく俺の酒の肴になれ!」


 しかし、俺にとって巨人が射撃を回避するのは織り込み済みだった。


 奴が榴弾を避けるのに慣れてきた頃合いを見計らい、俺は榴散弾を奴の顔に向けて撃った。


 奴は俺が放ってくるのがまた榴弾だと思い込んでいたようで、顔をわずかに傾けてそれを避けようとしたが、榴散弾は目前で破裂して、無数の弾子を傘状に撒き散らした。


 巨人は咄嗟に目を瞑ったが、その程度で防げるものではない。弾子は瞼を貫通して巨人の単眼を貫いた。


「グォオオオオッ!! 目が、俺の目がぁあああ!!」 


 巨人は激痛に泣き叫んだ。俺は機を逃さずに機体を突進させ、主砲を地面に投げ捨てると、がら空きになった奴の腹部に向かってパンチを繰り出した。


 殺意を込めたパンチはあやまたず巨人の腹に直撃したが、しかし穴を穿つまでには至らなかった。それでも奴に与えたダメージは充分だった。


「オゲェエエエッ!!」


 数瞬後、巨人は口から胃の内容物を豪快にぶちまけた。濃い赤紫色のワインに混ざって、半分咀嚼された我が軍の兵士たちの死体が出てきた。ピンク色の内臓、鮮やかなまでに白い骨片、肉片と軍服の切れ端。


 そのうちの一人の死体の目と、俺の目があった。死体の顔は絶望と苦悶によって著しく歪んでいた。


 瞬時に、巨人に対する怒りが俺を支配した。追撃しようとしたが、さきほど巨人にパンチを浴びせた右腕は壊れていた。


 あの「白い化け物」の時と同じだ、と俺は舌打ちをした。どうやら、巨人の腹は設計者の想定以上に強靭だったようだ。


 それならば左腕で、と追撃をかけようとした俺だったが、しかしそれは敵の猛烈な援護射撃に阻まれて為し得なかった。


 いつの間にか俺の周囲には敵の空挺兵たちが群がり寄っていて、彼らは小銃や軽機関銃で猛射を浴びせてきた。さらには黒くて長い軍用魔術杖をかざし、口々に呪文を唱えて、青白い火球を何発も放ってくる。改良型火焔フロクス呪文だ。


 銃弾程度ならば弾き返せるが、火焔呪文による火球を被弾するわけにはいかない。ΝΣの防御力は戦場においては厚紙程度のものでしかないのだ。俺は機体を跳躍させて距離を取り、頭部の機関銃で敵兵に応射した。


 敵兵たちは俺に拘泥することなく、巨人を援護しつつ戦場から離脱していった。無線で支援を要求したようで、上空には敵機や空飛ぶ怪物ハルピュイアたちが姿を見せ始めていた。俺は追撃を断念せざるを得なかった。


 去り際、巨人は捨て台詞のように、俺に向かって叫んだ。


「よくも、よくも俺の大切な目を! 俺はお前を許さねぇ! お前の霊魂プシュケーの匂いは覚えたぞ! いつか必ず復讐してやるからな!」


 一騎討ちによって怨敵たる巨人を倒し、空挺部隊を追い払ったところで、アカイア軍の圧倒的劣勢が一変するわけではなかった。


 それどころか、翌日から敵軍の攻勢はさらに猛烈さを増して、今度こそ俺たちはスカマンドロス川に追い落とされることを覚悟しなければならなくなった。


 果たして、我が軍は橋頭堡を死守して全滅するのか、それとも恥を忍んでスカマンドロス川を渡り撤退するのか。


 司令部が最終的な決断を下すのは、もう間もなくと思われた。


 そして俺は、あの敵のことを考えていた。白い化け物、果たして奴はやってくるのか、と。



☆☆☆


 

 吹き抜ける風が、俺を絹のような回想から鉄のごとき現実世界へと引き戻した。粘性を帯びた風はぬるく、あまりにも生臭かった。


 鞭に打たれたかのように、俺は身震いをした。


 そうだ。俺は、自分のΝΣの近くに椅子を置いて、昼食を終えてからずっと、座りながら回想に沈んでいたのだった。


 例の病気によって、俺は軽く発熱していた。熱によって精彩を欠いた頭脳がとりとめのない回想へと俺を導いたらしい。だが、それ以上におそらく俺は、意識的に回想を求めてもいた。


 濃厚なまでに漂う死の予感を忘れさせてくれるからこそ、俺はそうしたのだ。


 俺たちセメイオンにとって死は、いや、より正確に言うならば「死を命じられる」ことは、極度に戦況が悪化した現在において、「あるかどうか」という可能性の次元を超えて、「いつ」という時間的な問題と化している。死刑囚が毎朝、独房の前を通る刑務官の足音を恐れるように、俺たちは今や常に慄いていた。


 軍は必ずや、俺たちに死を命じるに違いない。だが、それはいつなのか? 胸の奥の細胞がぷつぷつと気泡の弾けるような音を立てている。恐れと不安は常に付きまとって離れない。


 しかし、一度醒めてしまったからには、再び回想に戻る気にもなれなかった。


 しばらくの間、俺はぼんやりと空を眺めていたが、ふと思いつくと、軍服の上着のポケットへ手を伸ばした。


 ポケットには六枚の銀貨があった。取り出すと、俺は一枚ずつ投げてその表裏を見た。かつて教えてもらった占いは、空っぽな俺が持つ数少ない「俺らしさ」だった。


 やはり未来は何も見えなかった。過去は嫌というほど見えるのに。


 彼女ならば、見ることができるのだろうか。


 ふと影が差し、誰かに肩を叩かれるのを感じた。顔を上げると、そこには小隊長がいた。


「よお」


 彼の名前はアゲノル、立派なイタケー市民にして兵士の一人だ。二十代の後半を少し越えていて、故郷には年老いた母が一人いると聞いたことがある。至極陽気な性格をしており、俺たちにとっては、上官というよりも兄のような存在と言えた。


 小隊長はなにやらニヤニヤとした笑みを浮かべながら言った。


「大事な占いの最中にすまんな、Oオミクロン-38号。ところで、これから女たちの所へ行かないか? 本当はセメイオンには許されていないが、精鋭たるイタケーのΝΣ部隊ってことなら問題ないらしくてな」


 女たちの所、それが意味することは一つしかない。だが、俺はかぶりを振った。


「いえ、小隊長。自分は行きません」


 きっぱりと断る俺を見て、小隊長はまだ笑っている。


「いつも通りのクールさだなぁ。まあそう言うなって。お前、まだ童貞だろ? セメイオン養成所では『精神と肉体の純粋性と健全さのために童貞を守れ』なんて教えられたかもしれんが、あれ、本当はお前らが外で女を作るのを防ぐための方便だぜ。それからさっきΓガンマ-43号を誘ったら、あいつ『行くぜ、行きます!』って喜んでいたぞ」


 あの金髪のΓ-43号ならばそう言うだろうな、と俺は思った。それでも俺は行く気になれなかった。


 かつての出来事が、そういう場所へ行くことを俺から遠ざけていた。


 あの亜麻色の髪と蒼い瞳。俺に寄り添う細い身体と彼女の言葉……


「いえ……自分はやっぱり良いです」


 思わず暗い色を帯びてしまった俺の声を聞いて、小隊長は初めて申し訳なさそうな顔をした。


「……すまんな。俺の指揮がマズかったせいでΤ-45号もΣ-91号も、それにΔ-34号も死んじまった。アイツらは女を知らずに死んだのかと思うと、なおさら気の毒になってなぁ。せめてお前ら二人には死ぬ前に女を知ってもらおうと思ったんだが……」


 俺はその言葉を聞いて、ある直感が働いた。


「小隊長、もしや司令部は決断したのですか、作戦発動を」


 彼はまたいつものにやけ顔に戻った。


「お、流石に勘が鋭いな。まあ、俺も人伝ひとづてにしか聞いてないんだがな。確かだと思うよ。で、お前、どっちだと思う? 死守か、撤退か」


 少し考えてから、俺はここ数日の間、俺を捉えて放さなかった予感を口にすることにした。


 声こそ震えなかったが、思わず顔が強張るのを感じた。


「……撤退だと思います。撤退となったら、囮として真っ先に死ぬことを命じられるのは自分たちセメイオンですから」


 一瞬、小隊長が泣きそうな表情を浮かべたような気がした。しかしそれは瞬く間に掻き消えてしまった。


 彼は笑いながら俺の肩を叩いた。


「まあまあ、そんな顔をするなよ。撤退ってなった時は、俺も付き合ってやるからよ。あんまり気を張るな。じゃ、俺はこれからΓ-43号と一緒に遊びに行ってくる。心配するな、今日はたぶん敵襲はない。たぶんな。万一の時は頼んだぞ……」


 その翌日、司令部は作戦を発動した。


 作戦名は「エリュシオン」、死後の楽園を意味する古語からとられていた。


 司令部によれば、アカイア軍は「戦線整理のため、やむを得ず」スカマンドロス川橋頭堡を放棄し、総数二十万の主力を五日間という短期間で速やかに撤収・渡河させて、後方五百スタディオンにあるトロイア第四十一都市を拠点として戦線を再構築するとのことだった。


 既に渡河のための船舶は払底している。渡し場も昼夜を問わず敵の爆撃に晒されている状況であるため、重装備はすべて放棄し、数少ない船舶には可能な限り兵士を乗せることになった。


 また、エリュシオン作戦の支作戦として、もう一つの作戦が決行されることになった。


 その作戦名は、安楽死を意味する「エウタナシア」だった。


 では、安楽死を授けられるのは誰か?


 それは敵ではなく、アカイア軍の兵隊人形たる俺たちセメイオンだった。


「で、童貞のO-38号さんのご感想は?」


 三人が消えて広くなってしまったテントで、Γ-43号が俺に訊いた。


「確実に来ると思っているものがなかなかやって来ず、不安と焦慮に苛まれていたが、それがようやくやってきて、かえってほっとした、という感じかな。お前は?」


 Γ-43号がぎこちなく笑いながら答えた。


「相変わらず、お前は冷静だな。でも俺と気が合う。俺もなんだか、ほっとしたような、解放されたような気分がするんだよ。死ぬことが確かになったのに」


 俺たちは、先ほど聞いた作戦内容について話し合った。


「……主力が渡河を完了する五日間、俺たちセメイオンの二万は橋頭堡に残置して敵軍を阻む。主力が渡り終えた後は、持てる全力で敵の一大補給拠点であるトロイア第三十八都市を攻撃する。つまり、血と肉でもって主力が脱出するまでの時間稼ぎをするわけだ」


 Γ-43号は相変わらず髪の手入れに余念がなかった。女たちのところに行ってからは、特に入念になった。


「偉いさんたちの言葉じゃ、こういう時のために俺たちセメイオンがいるんだぜ。俺たちには市民権がないし、家族もいない。だから何人死んでも、たとえ全滅しようとも何も問題はねえってことだ。もしも名前と市民権を持っていて、家族がいる普通の兵隊たちが大勢死ねば、本国の連中の間で戦争反対の声が高まるだろうし、選挙にまで影響する。偉いさんたちからすれば普通の兵隊たちには何が何でも生きてもらわなきゃならない。そのために俺たちセメイオンは何が何でも死ななきゃならないんだ。でも何も、歩兵だけじゃなくて、戦車兵とか砲兵とか、それに俺たちのようなΝΣ操縦者みたいな特殊技能持ちまで、捨て駒にする必要があるのかよ……」


 安楽死とは、よく言ったものだ。俺たちは人間ではなく、兵隊人形に過ぎない。人形に死などあり得ないというのに。


「……軍は取るに足らないお前たち人形に名前を与え、兵士としての技能を授け、生きる場所すら与えた。その上、今回は人間として死ぬ名誉すらも与えるのである。なんとも温情深き我らではないか、ということだ」

「おっ、なかなか偉いさんたちのモノマネが上手いじゃないか、O-38号! 来世は芸人にでもなるのかい」

「来世などと、オルペウス教の信者のようなことを言うじゃないか、Γ-43号」


 俺たちは静かに笑った。どこかその笑い声は乾いていた。


 しかしながら、残留したのはセメイオンだけではなかった。撤退は軍人として恥辱であるから最後まで戦うと主張して自発的に部隊から抜け出す者もいたし、それにラケダイモン人たちは部隊丸ごと残ることを決定した。武勇の誉れ高き彼らは、勝ち戦では常に最前線にあり、負け戦では最後の一兵まで殿を務めるという固い信念を有していた。


 俺の小隊長のアゲノルも残ることを決めた。作戦が発表された次の日、彼は俺とΓ-43号の元へ笑いながら現れた。


「いやぁ、大変だったぞ。俺は残るって言ったら司令部の幕僚たちがみんな信じられないというような顔をしてな。『馬鹿なことを言うな、気でも狂ったのか』とまで言われたさ。俺は、ここは格好をつける絶好の機会だと思ってな、『冗談じゃない、部下を置いていけるか、俺は絶対に逃げないからな!』と言い放ってやった。そしたらあいつらボソボソと相談し始めて、ちょっと待ってくれなんて言い始めるから、まあ煙草をふかしながら待ってやってたら、ストロピオス将軍閣下が直々にお出ましになったから仰天した。将軍も俺に『セメイオンの代わりなんていくらでもいるが、立派なイタケー市民である君の代わりはいない、それに俺も君の戦隊長に申し訳が立たない、どうか同意してくれ』なんて言うんだよ。もうそこからは押し問答の連続でなぁ」


 付け足すように、彼は言った。


「ああ、くたびれた!」


 その言葉を聞いて、俺の胸に熱いものがこみあげてきた。涙はとうの昔に涸れていたが、俺の心はなにやら生温いもので潤いを与えられた。隣のΓ-43号を見ると、彼は俺と違って憚ることなく涙を流していた。


 俺は小隊長を見つめた。Γ-43号も俺に倣った。


「小隊長、自分は最後まで戦います。死ぬ時まで小隊長と一緒に戦います」

「おっと、俺はO-38号とは違うぜ! 俺は死なないぞ! 生き残って女の子と遊ぶんだ。でも、俺も小隊長と一緒なら何も怖くねぇ!」


 そんな俺たちを見て、小隊長はやれやれと首を振った。


「やっぱりセメイオンといっても子どもだなぁ。何もこの程度のことで泣くことはないじゃないか。部下であるお前たちがここに残るのなら、指揮官である俺も残るのは当然なことだ。それに、子どもを置き去りにして大人が逃げ出すなんて、そんな恥ずかしい真似ができるか」


 彼はそこまで言うと煙草に火を点けて、深々と一服した。


「……戦争が正義や善といったものではなく、一種の経済学で動いているのは、まあ、理解しているさ。だからセメイオンたちを平気で見殺しにする。セメイオンは決して反乱をしないし、命令拒否もしない。死ねと言われたらちゃんと死ぬ。それにこういう時には一番、費用対効果が良いからな……」


 小隊長はしばらく考え込んでから、長く煙を吐き出した。


「……だが、霊魂プシュケーの問題はどうなる? これが一番合理的だと言って、子どもを囮にして逃げるのは、霊魂を腐らせる行為じゃないのか? 将軍も司令部の連中も、いやそれだけじゃない、本国のお偉方だって、みんな霊魂まで腐り切ってやがるんだ。もっと悲しいのは、その霊魂が腐り切っているというのがごくごく普通ってことなんだがな。どいつもこいつも腐っているんだ、俺も含めて……」


 小隊長は吸い殻をぷっと地面に吐き捨て、靴で火を乱雑に踏み消してから、決心したように言った。


「よし、最後の戦いの準備をしようぜ! 逃げ出す連中がたくさん部品と武器を置いていってくれたから、よりどり見どりだぞ……」


 俺たち三人は、それぞれの機体へ向かった。


 俺は自分の機体を見上げた。生産性を重視した、直線で構成されたフォルム。戦車か装甲車をそのまま人型にしたような、洗練さの欠片もない無骨な外見。リベット打ちされた増加装甲板。濃い青色を基調とした迷彩塗装。


 数々の実戦で有用性を証明しているΝΣネウロ・スパストスであるが、まだ黎明期を脱したばかりの、いわば生まれたての兵器でしかない。


 小隊長が笑みを浮かべつつ、Γ-43号に言った。


「お調子者でおっちょこちょいのΓ-43号君。ここらで一つ、我らがアカイア海洋連合が誇る機械人形、ΝΣについてご説明を賜りたいのですが、よろしいですか?」


 Γ-43号はわざとらしく踵を揃え、敬礼をした後に口を開いた。


「はっ! 小隊長殿! ΝΣは元々、艦隊戦で用いることを念頭に開発されました! 開発国はアカイア海洋連合の盟主アルゴス。排水量三十億トンの巨艦アガメムノンを首都とするその艦船国家は、当時敵艦を捕獲するための新たな戦法を模索しておりました! 膨大な戦闘データを解析した結果、敵艦に攻め込む海兵隊の火力支援を行う機動兵器の必要性が認識され、ここにΝΣの設計の基本コンセプトが固められたのであります!」


 Γ-43号の淀みない返答はセメイオンとしての徹底的な教育と訓練の賜物だった。小隊長は満足そうに頷くと、今度は俺に視線を移した。


「よろしい。ではO-38号君、続きを述べたまえ」


 俺もΓ-43号に倣い、敬礼をしてから言った。


「最初に登場したΝΣ12型は、艦内の大部分で行動可能とするため全高は四メートル、小型高出力のガソリンエンジンで発電機を駆動させ、その電流で機体各部の小型高出力モーターを回転させて二足歩行をするという電動機構を採用しました。武装は頭部に固定された軽機関銃二挺でした。その後の多種多様なΝΣも基本的にはこのΝΣ12型の拡大発展版といえます」


 小隊長は目で、俺に次を言うよう促した。俺は話を続けた。


「革新的兵器ΝΣを開発したアルゴスでしたが、他の艦船国家との関係改善が進んだことにより、大規模な海上戦の機会は消滅してしまいました。ΝΣはそのまま兵器庫で朽ち果てるものと思われましたが、かねてより静かな敵対関係にあった大陸国家トロイア共和国との戦争の機運が高まると、上陸戦用の兵器として活躍を見込まれ、再度復活を遂げました……」


 俺は極初期型のΝΣである24型に搭乗して開戦時の上陸作戦に参加したが、実際ΝΣは他の水陸両用車両に比べても遜色ない機動力を示し、しかも上陸後はそれらよりもすみやかに火力組織を構築できた。


 小隊長は俺の話が終わると、今度は自分で話を始めた。


「そうだ。それで今、俺たちが搭乗しているのはΝΣ124型だ。武装は七十五ミリ主砲が一門。徹甲弾を使えば正面からトロイア共和国の魔力戦車を破壊可能で、怪物にも致命傷を負わせることができる。副武装は状況に合わせて多様な変更が可能だ。軽機関銃から刺突爆雷といった悪質な冗談みたいなものまで揃っている。とっても賢いアナログコンピューター『メティス』を用いた姿勢制御装置と火器管制装置のおかげで、戦闘力は前の型よりも飛躍的に向上しているってわけだ」


 機体の外板を撫でながら、小隊長はなおもしゃべり続ける。


「生存性に関してだが、これは言うまでもない。ΝΣは戦車じゃないんだからな。一応操縦室の前面のごく狭い範囲にだけ、五十ミリの装甲板が張られているが。だが、そもそもΝΣという兵器は装甲による防御力を考慮していない。ΝΣの防御力は機動力によってもたらされるものだからな。どんなに大きな砲弾も当たらなければ問題にはならん。練習生時代から『ΝΣが足を止める時、それは死である』と徹底的に叩き込まれているだろう……」


 そこまで話してから、小隊長は握りこぶしを作って、装甲板を叩いた。


「と、いうわけでだ。お前たち、特に足回りの調整と整備を入念にやるんだぞ。足をやられたらおしまいだからな」


 俺たちは、各々の機体の整備に取り掛かった。俺は改めて機体を眺めた。


 これほどまでに繊細で、癖が強く、難しい兵器に命を預けねばならない。だが、俺はそのことを誇りに思っている。それは高い適性と天性のセンス、そして弛まぬ訓練の賜物だからだ。


 そう、ΝΣは文字通り「人形」(νευρό=糸で、σπαστος=引っ張られるもの共)と言えた。練習を積んだ人形師によって、初めて人形は霊魂を得て動き始めるのだから。


 俺は十二歳の頃から特に選抜されて毎日のようにΝΣに乗っているが、はじめの頃は失敗続きで幾度も悔しさを味わったものだった。


 俺たちは早速「安楽死」の準備に取り掛かった。


 小隊長の言うとおり、基地には大量の武器弾薬と予備部品が残っており、あれだけ物資欠乏や節約が叫ばれていたのが嘘であったかのように思われるほどだった。


 整備兵たちは脱出船が出る直前まで俺たちの機体を整備してくれた。彼らは俺たち三人に、涙声で言った。


「エンジンから発電機、各部のモーターに至るまで、可能な限り部品交換をしておいた。機体は新品同様と言っても良い。思う存分、戦ってくれ……」


 小隊長は笑みを浮かべつつそれに答えた。


「これまで色々と世話になったな。また会おうぜ」


 仕事を終え、名残惜しそうにハンカチを振りつつトラックに乗って去っていく彼らを、俺たちは見送った。


 本当に、彼らには感謝してもし足りない。この戦争を支えているのは一部の英雄や将軍などではなく、彼ら整備兵を始めとした裏方たちだと俺は思う。


 小隊長は機体を愛おしげに撫でながら言った。


「これだけ念を入れて手を加えたんだ、最後まで動いてくれるだろ。燃料と弾薬の補給は誰か暇人に手伝ってもらえば問題ない。おっと、みんな死ぬのに忙しいから暇人なんていないかな、ハハハ……」


 日が変わって、冷たい月明りが大地に差す午前四時。いよいよエリュシオン作戦とエウタナシア作戦が発動された。


 そして、この時を以て俺たちの命は終わりを告げた。


 払暁後一時間も経たずに空が騒がしくなり始めた。


 どうやら敵はアカイア軍の脱出を予期していたようで、夜間に渡し場に集結していた我が軍主力が次々と船に乗って移動し始めたのを確認するや、爆弾を搭載した航空機と怪物ハルピュイアたちを殺到させてきた。


 残留する部隊からの対空砲火は空一面を覆い、またこの日のために戦力を温存させてきた我が空軍も大挙して戦闘機を出撃させ、熾烈な空中戦を繰り広げた。


 それまで散々敵の空襲に悩まされ、「いったい俺たちの戦闘機はどこへ行ったんだ」と言うのが口癖のようになっていた俺たちは、その数の多さに呆気にとられた。


 Γ-43号がはしゃぎながら叫んだ。


「すげえ、すげえ! こんなにすげえ空中戦は初めて見たぜ! なあ、この後も俺たちが血反吐ぶち吐いてる時に、連中助けてくれるかな!? そうすりゃ俺たちは無敵だぜ」


 遠くの空で行われる死の追いかけっこを双眼鏡で眺めていた小隊長は、Γ-43号の言葉を聞いて首を傾げた。


「いやぁ、どうだろうな。たぶんだが、主力が渡河を終えてここから先はもう大丈夫、無事安泰ってなったら、空の連中は引き揚げると思うぞ。いや、待てよ。ここには俺たちの他にラケダイモン人たちもいるんだったな。うーん、あいつらへの援護のために引き続き空軍が頑張る可能性だってある」


 どっちだろうなぁ、と議論する二人は俺の方を向いた。Γ-43号が言う。


「おい、O-38号、お前一つ占ってみてくれよ。空軍が残るか、それとも残らないか、お前のあてになるような、ならないような占いで」


 俺は軍服の上着のポケットから六枚の銀貨をそっと取り出し、投げて、その結果を見た。


「……占いによると空軍は残らないな。ラケダイモン人たちも去るようだ」


 小隊長は俺の言葉を聞くと、得心がいったように頷いた。


「ああー、武勲輝く戦士の国のあいつらも所詮は人間だからなぁ。ちょっとここで頑張って『最後まで俺たちは奮戦しました』という事実を作って、それから後退するつもりなんだろう。きっと内々で話はついていたんだろうな」


 あっ、とΓ-43号が声を上げた。


「そういや、女たちは逃げられたのかな。まさか敵も女を殺すようなことはしないと思うが……あいつもどうなったんだろう……」


 彼は先日のことを思い出しているようだった。小隊長は腕組みをしながら彼を見ている。


「……我が身可愛さにセメイオンたちを捨て石にして逃げていくような奴らが女たちにまで配慮しているとは思えんな。気の毒だが……」


 大量に残された食糧を使って俺たちは豪勢な昼食を楽しんだ。食糧倉庫の周りはここを先途と馬鹿騒ぎをする兵士たちでいっぱいだった。


 午後になって、いよいよ敵の地上部隊が橋頭堡に攻撃を開始した。俺たちは陣地に籠り、日没までに難なく敵を撃退した。後先を考えずに砲弾をばら撒くのは一種爽快感があった。


 そして夜は夜で、また飲めや歌えの大宴会が開かれた。まごうことなき死の宴であるのに、底抜けに明るい雰囲気がどことなく不気味で、俺はそれに加わらずにΝΣの整備をした。


 作戦初日、敵の攻撃がラケダイモン人たちの陣地に集中したこともあって、セメイオンたちの損害は思ったよりも少なかった。敵としても放棄されたはずの橋頭堡がこれほど頑強に抵抗するとは予想しなかっただろう。


 だが、エリュシオン作戦が完了するまでのその後の四日間で、損害は増した。


 なにしろ数が違い過ぎる。占いのとおりラケダイモン人たちが撤退してから、俺たちは二万弱で陣地を守らなければならなくなったが、攻め寄せてくる敵の数は少なくとも十倍以上はいた。


 計画通りに主力の渡河が完了し、いよいよエウタナシア作戦は第二段階に入った。


 残存兵力のすべてをもって出撃して敵の前線を突破し、トロイア第三十八都市へ突進する。字面の上では壮挙に見えるが、実質的には敵の手を借りた集団自殺に他ならない。


 各部隊が集まって打ち合わせを済ませた後、小隊長は俺とΓ-43号に心中秘めていた案を明かしてくれた。


「いいか、O-38号、Γ-43号。実を言うと俺は死ぬつもりなんて毛頭ないし、お前たちを死なせるつもりもない。もう一度イタケーに帰してやりたいんだ。よく聞けよ。まず俺たちの三機は味方と一緒にここを包囲している敵陣を突破する。それで、その後は第三十八都市までの道をある程度進むが、敵の追撃部隊が味方の本隊に食いついたら俺たちはそっと離れて、スカマンドロス川に向かって戻るんだ。その頃までには充分に仕事をしているだろうから、任務放棄にはならん。どっかに船があるだろうから、それに乗って川を渡って、堂々と原隊に復帰といこうぜ……」


 小隊長はあくまで現実主義者だった。彼は、兵士ならば生き残る方法を可能な限り模索するべきだと考えていて、死というものに特別な価値を置いていなかった。


 午前零時、野砲と多連装ロケット砲が最後の砲弾を敵中央部に叩き込んだ。


 しかしこれは敵の注意を逸らせるためのもので、その間に俺たちは敵右翼方面に集結し、ほどなくして突撃を開始した。敵はまさか俺たちが陣地から出撃してくるとは思っていなかったようで、完全なる奇襲となった。


 幼い頃から軍事訓練だけをして生きてきたセメイオンたちの戦いぶりは、最後になっても猛烈なものだった。


 彼らは軍歌バイアーンを叫びつつ突進し、敵の砲火と火力魔法に捉えられても決して足を止めず、火だるまになっても銃を撃ち続け、車両が撃破されればまた別の車両に乗り換え、味方の死体の山を踏み越えて前進を続けた。


 動けないほどの重傷を負うと、躊躇いなく手榴弾の点火栓を抜いて胸に抱くか、あるいは自分自身に銃を向けた。アカイア軍の兵士は、特に俺たちセメイオンは、降伏を禁じられていたからだ。


 俺たち三機は味方の障害となる目標を優先的に攻撃し、血路を拓き続けた。魔力戦車に怪物共と、戦場には強敵が充満していた。俺たちは側面に回り込んだり、一機が囮となったり、決死の接近戦を挑むなどして、連携してそれらを撃破し続けた。これまでにないほどの最高のチームワークだった。



☆☆☆


 

 戦闘開始から六時間が経過し、夜は既に明けていた。


 俺はたった一人になって、どことも知れぬ暗い森の中を放浪していた。


 機体は両脚部を損傷して足を引きずっており、俺自身も全身に数えきれないほどの傷を負っている。


 最初にやられたのはΓ-43号だった。


 二頭の装甲キマイラに遭遇した俺たちは手早くそれを片付けたのだが、その間に敵の肉薄攻撃班が接近していることに気付くのが遅れた。直前のキマイラの攻撃で機体の外部視察装置が損傷していたΓ-43号はなおさらだった。


 その肉薄攻撃班は、我が軍兵士の死体を利用して編成されたものだった。遺棄された兵士の死体を回収し、どのような魔法によるものか再び動けるようにして、爆薬や銃を抱えさせて損害に構わず突っ込ませるという戦法をとる。


 俺たちはそれを「死霊兵」と呼んでいた。


 その時、俺は、一人の死霊兵がΓ-43号の足元へ飛び込むのを目撃して叫んだ。


「カブリ二号! 足元に死霊兵だ! 爆薬を背負っている!」


 次の瞬間、眩い閃光と共に大爆発が起こり、真っ黒な煙がΓ-43号の機体を包んだ。


 数秒も経たずにそれは晴れたが、そこに見えたのは地面に主砲を投げ出し、両脚を失って大地に崩れ落ちているΓ-43号のΝΣだった。燃料タンクが破れ、真っ赤な炎が燃え盛っている。


 しかも敵兵は完全なる止めを刺すべく、炎に構わず四方八方からΓ-43号に群がり寄った。


 接近戦ゆえに主砲が撃てない俺と小隊長は頭部の機関銃でそれらを薙ぎ払おうとしたが、しかし今度は敵の第二班が小隊長機に接近しつつあった。


 まだ機能していたΓ-43号機の無線が、彼の絶叫を俺の耳に伝えてきた。


「クソ、クソッ! 俺の、俺の脚が! 俺の脚が千切れちまった! クソ……!」


 何とかしてΓ-43号を救いたいが、こちらも敵兵を阻むので精一杯だった。歩兵に囲まれた際は跳躍を繰り返して距離を取ることがΝΣの鉄則だったが、ここら一帯の地盤は軟弱で高く遠くへ跳ぶことができない。


 Γ-43号機からの無線はいつの間にか途切れていた。


 ちらっと視線をやると、数人の死霊兵がΓ-43号を操縦席から引き摺り出しているのが見えた。彼の右脚の膝から先は無くなっていた。敵兵が至近距離から彼に向けて銃を乱射し、Γ-43号は前のめりに倒れた。


 俺の動きは、一瞬止まっていたに違いない。しかし、小隊長からの無線が俺の意識を戦闘行動へと引き戻してくれた。


「カブリ三号、七時方向に死霊兵だ!」


 反射的に機体を旋回させ、俺は機関銃の発射ボタンを押した。半秒にも満たない掃射は敵を捉えて背中の爆薬を爆発させた。その周りにいた死霊兵も何人か巻き込まれた。


 俺が敵を排除したのを確認した小隊長は、数秒間だけΓ-43号の死体を見つめ、それからごく冷静な声で言った。


「行くぞ、長居は無用だ……」


 その一時間後に、俺は小隊長を失った。


 Γ-43号を失った小隊長と俺は、スカマンドロス川へと向けて退却していた。順調に行けば二時間後には川に辿り着けるものと思われた。


 しかし、ところどころで敵に遭遇して、俺たちは弾薬と燃料と、そして何より貴重な時間を消耗してしまった。


 そうこうしているうちに朝日が昇った。こうなるとあの忌々しい敵の飛行機が、獲物を求めるハゲタカのように俺たちに群がり寄ってくる。


 トロイア第三十八都市へ突進する友軍本隊も、ほどなく猛空襲を受けて全滅するだろう。


 俺はその時、一晩中続いた激戦のためか、例の病気が再発して熱が出ていた。正確な体温は分からないが、今までにないほどの高熱であることは何となく分かった。


 そのせいだろうか、俺は上空への警戒を怠っていた。 


「カブリ三号、警戒! 上空に敵機!」


 小隊長の声がした瞬間、身に沁みついた習慣によって半ば無意識に機体を跳躍させることができたが、しかしそれでも遅かった。


 敵機は最初から俺に狙いをつけていたようで、六門の機関砲で掃射しつつ四発の爆弾を投下した。機関砲弾は俺のΝΣの左腕を破壊し、爆弾は至近弾となって無数の破片を撒き散らした。


 猛烈な爆風がΝΣに襲い掛かり、装甲板で囲まれた操縦室内部にも侵入する。いくつかの破片が隙間から飛び込んで、耳障りな金属音を立てて飛び跳ねた。俺はそれに傷つけられて全身から血が流れ落ちた。


 敵は単機だったようで、反復攻撃をすることもなく去っていった。


 幸運に恵まれたが、機体と俺自身のダメージは甚大だった。無線機からは小隊長が俺を気遣う声が聞こえる。


「大丈夫か? 動けるか?」

「……両脚部を損傷しました。歩くことはできますが、走行と跳躍は無理です」

「足をやられたか。困ったな……まあ良い、俺が援護してやる。今は一刻も早く川へ行くんだ」


 その時、十スタディオン向こうの丘の上でピカピカと何かが光るのが見えた。数秒後、俺たち二機の周りに何発かの砲弾が落下して爆発した。それは敵の魔力戦車部隊だった。


「クソ、さっきの飛行機が仲間を呼びやがったな! 俺たちたった二人を相手に御大層なことだ……おい、なんだあれは」


 ひとしきり毒づいた後に、小隊長が疑問の声を漏らした。彼はある一点を見つめている。俺も、その方向へ視察装置を向け、望遠機能に切り替えた。


 戦車部隊の先頭に、白い何かが立っていた。


 白い外装に丸い盾、鋭利な長剣。朝日を浴びて不気味なほど美しく輝いている。見間違うはずはない。


「小隊長、あれは、白い化け物です」


 俺がそう言うと、小隊長は「ははぁ」と声を上げた。


「そうか、あれが噂の白い奴か。このタイミングで来るとは、随分と手が込んだ真似をしやがるな、クソッ、舞台役者でもあるまいに……」


 小隊長は何かを考えるように沈黙した。


 一方で、俺も考えていた。ついに奴と雌雄を決する瞬間がやってきたのかもしれない、と。


 トロイア第四十一都市の工場、あの戦いで奴と結ぶ羽目になった因縁に決着をつけることが、ただの人形に過ぎない俺の、ちっぽけな生の終幕としてふさわしいような気がする。


 それに……俺は思った。死ねば、彼女とまた会えるかもしれない。


 その考えには、仄かなぬくもりが感じられた。


 密かに決意を固めていると、ヘッドホンから思いもよらない言葉が聞こえてきた。


「カブリ三号……いや、O-38号。お前まだ動けるよな。逃げろ。あそこの森に逃げ込めば戦車も追ってこないだろ。俺があいつらを食い止めてやる。それにちょうど良い。前から白い化け物と手合わせがしてみたかったんだ」


 俺は思わず叫んでいた。


「逃げるなら小隊長が! 動けない自分が時間稼ぎをするほうが合理的です!」


 それに、どうせ死ぬなら奴を道連れにしてやりたい。


 そう思っていると、小隊長は今までに聞いたことのないような大声を出して俺を叱った。


「馬鹿野郎! これ以上部下を失えるかってんだ! もう俺に恥をかかせないでくれ……」


 そこまで言うと、小隊長は機体の搭乗ハッチを開け、俺に向かって油と塵で真っ黒になった顔を見せた。頭からは血を何筋も垂らしている。


 彼はニッコリと笑って、俺に言った。


「今まで色々と世話になったな。何としてでも落ち延びて、イタケーに帰るんだ。いつか、死ぬことなんか全部忘れて、大手を振って楽しく生きていける世の中が来る。その時まで戦い抜いてくれ。生きている限り、俺たちは戦い続けなければならないんだ……」


 いつの間にか、白い化け物は駆け出していた。敵の戦車も土煙を巻き上げて迫ってくる。


 小隊長は付け加えるように言葉を続けた。


「あと、できればで良いんだが、俺たちの最期をみんなに伝えてくれないか。せっかく頑張ったのに誰にもそれを知ってもらえないんじゃ悔しいからな」


 彼は丘の向こうから驀進してくる敵の群れを一瞥いちべつすると、機体の中に姿を消して、嫌に耳に残る音を立ててハッチを閉めた。


「さあ、行け! もう俺には弾がない。あまり足止めはできんぞ。じゃあな!」


 小隊長は敵集団へと真っ直ぐに走っていった。敵は突っ込んでくるΝΣに夢中で、俺には砲をまったく向けてこなかった。


 連続する砲声と機関銃の射撃音を背にしながら、俺は森の中へのろのろと逃げ込んだ。



☆☆☆



 森の外から声が響いてくる。拡声器で増幅されたその声はノイズが混ざり、機械的な調子を帯びているが、その言わんとするところははっきりと俺の耳に届いた。


「アカイア軍のΝΣ乗りよ! ただちに森を出て投降せよ! 私はトロイア共和国軍のアイネイアスである。君は勇敢に戦った。私は君の武勇をよみするものである。身の安全は保証する。ただちに森を出て投降せよ! これ以上の戦いは無益である……」


 アイネイアス。彼は困難な第一年目の撤退戦を戦い抜き、そして精鋭部隊を率いて我が軍を幾度となく苦しめた勇将だ。


 わざわざ俺一人のためにここまで出向いてくるとは、よほどアカイア軍の切り札であるΝΣにご執心らしい。俺はぼんやりとそう思った。


 敵は以前よりΝΣの情報を躍起になって集めていた。俺たちは、軍事機密の塊である機体をどうしても捨てなければならない時は、必ず自爆装置を作動させることになっている。弾薬庫に内蔵された自爆用の爆薬は、機体を粉々にするだけの威力がある。


 声を無視して、俺はさらに森の奥へと進んでいった。アイネイアスの声は次第に遠ざかり、そして聞こえなくなった。


 ΝΣよりも遥かに背の高い樹々が鬱蒼と生い茂る森は、俺を敵の航空機からも、地上の索敵班からも隠してくれた。


 俺の機体が立てる機械音の他に物音一つしないその深閑さは、ここがあたかも神々や妖精が住まう場所なのではないかと錯覚させるほどだった。


 俺の意識は朦朧としていた。脳裏に去来するのは戦死した仲間たち、死霊兵の手にかかって無惨に散ったΓ-43号、そして俺のために敵に突入し、白い化け物に立ち向かっていった小隊長のことだけだった。


 うわごとのように、俺の口は何度も同じことを繰り返していた。


「みんな……なんで先に死んでしまったんだ。なんで俺を置いて行ったんだ……小隊長、なんであなたは俺の身代わりになったんだ……なんで俺を生かしたんだ……」


 俺は俺自身がΝΣの部品の一つとなったように、フットペダルを踏み、エンジンの回転数を調整し、レバーと操縦桿を動かしていた。


 操縦席は血で濡れ、床は漏れ出たオイルと俺の血液でぬるぬるとしていた。焼き付いたモーターの焦げた臭いが鼻につく。


 ふと気が付くと、俺は開けた場所に出ていた。


 そこは一本も木が生えておらず、円形の広場のようになっていて、分厚い雲の切れ目から柔らかな日の光が降り注いでいた。赤い花と白い花が咲き乱れ、蝶々がふわふわと舞い踊り、小鳥が歌を歌っている。


 疲労と出血と高熱で霞んでいる目を上げると、そこには敵がいた。


 それは機械だった。巨大で、まるで全金属製の航空機のようにスマートな機械だった。


 人型という点では俺のΝΣ124型に似ているが、洗練さでいうと二十年も先のような印象を受けた。


 白い化け物と同じ、敵の新型ΝΣ。そうとしか思えなかった。


 俺たちのΝΣが各部をリベット留めしている無骨な見た目をしているのに対し、それは流線形の美しいボディをしていた。


 頭部は人間のそれのような造りになっていて、双眼の外部視察装置が赤い光を発している。全身はまるで鎧兜で覆われているようで、胸の部分は女性のように大きく膨らんでいた。頭から爪先まで磨き抜かれたシルバーピンク一色で、日差しを受けて幻想的な輝きを放っている。


 何より、その手に長く巨大な槍を持っているのが目についた。その穂先の鋭利さは鋼鉄すら簡単に穿うがつだろうと予想できた。


 敵は動かなかった。俺の動きを観察しているようだった。


 既に主砲に残弾はなく、機関銃も弾切れだった。


 俺は地面に主砲を捨て、最後の手段として機体背面に装備されている、ある兵装へ右腕を伸ばした。


 刺突爆雷。長い柄の先に成形炸薬弾が装着されており、ただ敵の装甲に信管を激突させ爆発させる、それだけの兵器。ΝΣ本来の運用から考えると、自殺兵器と言っても良い。


 互いに槍を構える俺と、正体不明の敵ΝΣ。


 対峙していたのは数分間だったのだろうか、それとも一時間だったのだろうか。


 俺の方から先に仕掛けた。一直線に、しかし走ることができないので歩きながら、兵器というにはあまりにも粗末な槍を真っ直ぐに敵に向けて、俺は遅く、鈍く前進した。


 敵の動きは素早かった。その動きはまるで人間そのものだった。


 刺突爆雷を槍先で跳ね除けると、一気に俺の機体の内懐に入り込んで、槍の柄で胴体を殴りつけ、後ろへよろめく機体の頭部をさらに槍先で突いた。


 轟音を立てて、俺のΝΣは仰向けに転倒した。


 連続して凄まじい衝撃に襲われた俺は、倒れる前に既に操縦席で意識を失っていた。

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