第10話 紫苑流

王子失踪から3日が経ち、噂の勢力が弱まってきた頃。銀霧はぴかぴかに磨かれた廊下を歩いていた際に、とある女性とすれ違った。

「おや、君は……新入りか?」

銀霧は振り返って、くるみ色の髪をした女性に目を留めた。どこかで会った人だろうか。少しくすんだ水色の鎧は、兵士のものと似ているが、少し違う。困惑していると、女性は続けて言った。

「名乗るのが遅れたな。私は副騎士長の深藍みらんと申す。君は銀霧兵士ではないか?」

―副騎士長。銀霧は兵士長に言われた言葉をぼんやりと思い出しながら、うなずいた。それにしても、どこかで……見たことがある風貌をしている。きりっとした藍色の目に、すっと通った鼻筋。暑苦しくないのに、不思議と目を惹く顔立ちをしている。本人もそれを分かっているのだろう、髪を払う仕草は実に優美だった。

深藍はふっと意味ありげに微笑むと、言った。

「手合わせ願おう、銀霧殿」


「模擬試合は木刀で行う。私は真剣でもよいのだが、後輩を傷つけるわけにはいかないゆえな」

銀霧は深藍に案内されながら、王宮の中庭にやって来た。きちんと、王宮内に模擬試合を行うための場所が設けてあるらしい。深藍は次いで、普段はここで訓練をしているのだ、とも教えてくれた。

「さて……木刀を。少し血がついているが、気にするな」

深藍は、中庭の中央にでんと根を張る、大木付近に置かれた木刀を、銀霧に投げてよこした。銀霧は危なっかしくそれを受け取り、汚れを確認した。しかし、使い込まれているのだろう、木刀は黒ずんではいるものの、血らしきものは見つからない。銀霧が眉をひそめると、深藍は意地悪に微笑んだ。

「冗談だよ。血が付いた木刀は、ここにはない。しかし……君は反応が薄いな。血に慣れているのだろうか。」

心を見透かされたようで、銀霧はびくりとした。深藍は方眉を上げてから、木刀を構えた。それは、あまりに見覚えがある型だった。

(まさか……)

銀霧も木刀を構え、臨戦態勢に入る。空気が張り詰めたものに変わり、風が止んだ……と思われたとき、双方は同時に動いた。がんっと鈍い音がするとともに、双方の木刀がクロスする。―どちらも、同じ角度で。

「……!?」

深藍は驚きに目を見開いた。目の前には、銀霧の涼しい顔がある。……知っていたのか。私たちが、同じ技を出したことを。

深藍は、ゆっくりと木刀を下ろした。

「……少し、話さないか」

銀霧は、静かにうなずいた。


二人がやって来たのは、都付近の商店街だった。一応外出には許可が必要だが、二つ返事でおりた。この国は平和だ、と改めて感じる。

「おすすめの喫茶店があってな……」

深藍が、自分が働いていた喫茶店の方向に向かっていることに気が付き、銀霧はたじろいだ。しかし幸い、深藍に導かれたのは、違う店だった。意外に渋い外観。アンティークな扉には、色鮮やかなステンドガラスがはめられている。

中に足を踏み入れ、銀霧は声を漏らしそうになった。外からは想像もつかない、秘密基地のような不思議な内装。天井からは、ジャングルに生えていそうな植物のデザインをした明かりが、いくつもぶら下がっている。カウンターの前を通り過ぎる際に、初老のいかにもベテランそうな店員に頭を下げられ、銀霧もつられて一礼した。礼が兵士風だったせいか、店員は少し目を細めてから、微笑んだ。

深藍は、銀霧が律儀にお辞儀をするのを背中に感じながら、人の視線に気づき、何気なくあたりを見渡した。向かいの壁際の隅の席に、一人の女性客が座っている。その視線は、紛れもなく銀霧に向かっていた。それも、ただの興味のものではない。その視線には、ある感情が秘められている。

深藍は思わず振り返った。しかし、銀霧はその視線に気づいていないようだ。兵士たるもの、もっと気配に敏感になれよ……と思いながら、深藍は、ためらいがちに尋ねた。

「知り合いか?」

銀霧は訝し気な表情をしてから、深藍が視線を移した方を見た。自分たち以外にも、客がいる。目を合わせようとしたが、顔を逸らされてしまった。あまり見かけない黒髪は、どこかで見たことがあるような気もしたが、銀霧は首を振った。多分、知らない人だろう。

「……さようか」

深藍は低く呟いて、再び歩き出した。二人が座ったのは、壁際の、黄色いステンドガラスが埋め込まれた窓付近の席だ。扉といい、この店はステンドガラスにこだわっているのだろうか。銀霧はそう思い、あたりを見渡すと、それぞれの窓からは違う色の光が入ってきていた。日差しが温かくて、心地が良い。目の前の副騎士長も、同じことを思っているのかもしれない。窓から差したレモン色の光を受けて、愛おしそうに目を細めている。

深藍はしばらくの静寂の後、言った。

「いい店だろう?料理ももちろん良いが、この隠れ家めいた雰囲気がたまらなくてな、つい何度も来てしまう。……私のような魅力を持っているよ」

冗談かどうかわからない、最後のフレーズに困惑していると、深藍はメニュー表を銀霧に手渡した。

「おすすめはパンケーキだが、君の好みを知らないゆえ。ああ……味の、な」

ぎこちない手でメニュー表を開く。中はメニュー名だけが簡潔に書かれており、とても見やすかった。

(前の喫茶店のメニュー表は、星夜が作っただけあって、もっと凝ってたからな……。)

”店長にメニュー表を全部書かされた”と星夜が文句を言っていたのを、込み上げる懐かしさとともに、思い出す。

銀霧は一瞬の瞑目の後、メニュー表から顔を上げて、マイペースに水を飲んでいる深藍に言った。

「自分も、同じものを」


「おお……」

運ばれてきたパンケーキを見て、銀霧は思わず声を漏らした。きつね色のパンケーキは、予想以上の大きさで、その上にはフルーツやホイップクリームが惜しみなくのせられている。食器を手に黙々と食べ始めた深藍にならって、銀霧はおそるおそる、一口大に切ったパンケーキを口に運んだ。シロップの染みた生地を噛むたびに、濃厚な甘さが口いっぱいに広がって、とても美味しかった。

深藍は、不意に食器を持ったそれぞれの手を止め、言った。

「試合のことに戻るが……君のあの型は、紫苑しおん流ではないか?」

―紫苑流。銀霧が師匠に教わった、女性のための流派だ。師匠が、この流派は母に教わったものなのだ……といつの日か言っていたのを、ぼんやりと思い出す。紫苑流は一般的には教わらない技だから、もしかしたら、目の前の副騎士長と、師匠の母には、なんらかの繋がりがあるのかもしれない。

銀霧がうなずくと、深藍が言った。

「てっきり、紫苑流は私の母だけが知っているものと思っていたのだが……。実に不思議だ」

「紫苑流は、お母さんに教わったんですか?」

深藍はその言葉に、労わるように目を細め、うなずいた。

「お母さんか……かわいいな。実は、私の家は、代々道場を営んでいてな。実際に道場を経営しているのは父だが、紫苑流は、母に個人的に教わった」

その時、不意に目の前の副騎士長が、師匠の姿と重なり、銀霧は、はっと息を呑んだ。だれかに似ていると思っていたが……師匠だったのだ。銀霧は、探るように問いかけた。

「ご結婚は……されていますか」

「なんだ、唐突に。プロポーズか?……残念ながら、しているよ。娘と、息子が一人ずついる」

銀霧の予感が、確信に変わりつつあった。

「娘さんの名前は……藍珠、ではないですか」

深藍は、目に怪訝そうな色をたたえながら、うなずいた。

「そうだ。……なぜ知っている?」

(やっぱり、副騎士長は、師匠の……)

銀霧は口を開きかけて、やめた。まさか、あなたの娘さんに剣を教わったからです、などとは口が裂けても言えない。深藍は、パンケーキの最後のひとかけらを飲みこんで、言った。

「……君は、本当に不思議だな。まあ、その純粋な目に、偽りは無さそうだからな。問いただしたりはしないよ。ああ、その代わり」

「……?なんでしょう」

深藍は口の前に、その長い人差し指を立てて見せた。

「私が結婚していることは、皆に内緒にしてくれ。……とくに、騎士長には、な」

「騎士長に?」

深藍は無言でうなずいた。理由は、教えてくれないらしい。

「さて、長居してしまった。……そろそろ出ようか」

すたすたと歩き始めた副騎士長の背を、慌てて追いかける。急いでいるのかと思ったが、副騎士長は遠回りをするように、たった一人の客の方まで歩いて行った。黒髪の客の横を通り過ぎる際に、深藍は、小さく呟いた。

「頑張れ、麗しきお嬢さん」

お嬢さん、と呼ばれた客は、はっとして、鎧を着た女性を振り返った。その目線に気が付いたのか、相手は、客に向かって上手なウインクをして見せた。その後ろに佇む銀髪の青年も、続いて振り返り、ぎこちない仕草でお辞儀した。黒髪の客もおずおずと会釈を返してから、花が咲いたような笑みを見せた。

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別れのボロネーゼ 望月凛 @zack0724

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