第78話
壊された世界をひたすら歩く。
肌で感じる。終末は近い。
ドラゴンの姿を長時間続けていると、肉体の本来がドラゴンに引き寄せられるのだという。デアデフイ、前にゼアット、後ろにポポタマ。三人に会話はない。心の奥底を暴くジールデールに掻き乱されたものは、中々修復しないようだ。
「素朴な疑問なんだけど」
後にしろとゼアットが云い放った。俺はムッとしながらも言葉を続けた。随分逞しくなったもんだと、自画自賛する。
「人の時と竜の時と、食べる量は同じなのか?」
「け。お前はほんと、食いもんの話ばっかりだな! お気楽で結構」
「そうだ、食べることの話だ。俺は料理人だからね」
ゼアットは俺を睨みつけた。以前の俺が街中ですれ違う男にそんな顔をされようものなら、無言で道の端に寄っただろうが、今はもう違う。
ゼアットは舌打ちをした。
「料理人風情が魔王退治だからな。なめた話なんだ、ハナっから」
「でもゼアットもご飯食べるだろ」
「当たり前だ。だがな、食いもんなんて腹こわさなくて実になりゃなんでもいいんだ。そんなもんに時間も労力もかけてられねえ」
「うまくても不味くても構わない?」
「そうだ」
「甘い林檎と酸っぱい林檎があったら、どっち食べる?」
「両方食うよ」
「一人ならね。大切な人が一緒にいたら、甘い方をあげないか?」
「酸っぱいのが好きかもしれねえけどな」
「それならそれで構わない。どっちでも同じことだ。大切に思う人がいる。その人に美味しいものを食べさせたい。これはごく自然な感情じゃないか?」
そうやって俺は料理人を続けてきた。食べ物を軽んじる奴は大成しない。これは親父の持論だ。
「我らは竜に変わることのできる者です。食べるものは人と同じ……」
そこまで云ってデアデフイの語尾が消えた。ジールデールの言葉がまだ影響しているようだ。
真相は語られてはいないが、デアデフイはどうやら、過去愛しく思った誰かを食べてしまった可能性がある。それはとても恐ろしいことだ。
殺して食べたのか、死んだものを食べたのか。なんとなくそんなことが気になった。
それでも必要な力だと割り切るしかない。いや、人だって、牛や豚、鳥や魚にしてみれば天敵でしかないのだから。多分それは同じことだ。
「そうだ、同じだ」
俺は食事の支度をした。保存のきく食材ばかりの簡素なものだが、料理して食べる、この行為こそが人の営みには大切だ。
歩きながら食べると強情を張るゼアットをポポタマが宥めすかし、俺たちは小休止を取った。
時刻は夕方、随分傾いたがまだ太陽の光はとどいている。ユーリップは蝙蝠の姿で木陰にぶら下がっていた。
人間の食べ物は摂らない。俺は蝙蝠に近づき声をかけた。
「腹減ってないのか」
蝙蝠は首を振った。空腹なはずだ、俺は腕を差し出した。蝙蝠は小さい頭を振って拒否を示す。
「だめだ。食べないといけない」
早々に食べ終え出発を急かすゼアットを、ポポタマが嗜めている。そうだ、いまは休む時間だ。急ぎの旅だろうと休息は大切にしなくてはならない。だいたい何より大切なお姫様はまだ食事の途中だ。
蝙蝠のユーリップと押し問答を続けているうち、いつしか日は沈んでいった。
ユーリップが蝙蝠から、本来の破壊的に美しい姿に戻り、俺のほおに触れた。
「カザン、わらわは空腹じゃ」
ああそういうことかと、俺は首を差し出した。
牙が俺の首に食い込み、皮膚を破る。鋭い痛みに筋肉が収縮する。
「平気か」
「ああ」
「すまんのう。本当にすまん」
「君は昔からそう謝りながら人の血を吸ってきたのかい?」
「いいや。吸血鬼に生まれはしたが、ずっと人から血を吸うのが苦手でのう。じゃからわらわはずっと眠っておった」
「レレスカー城で?」
「あの城に来る前からじゃ」
「それじゃあレレスカー城には、どうして来た?」
ぐ、と力がこもる。
「云わなかったか?」
俺は吐息を漏らした。
「花婿を求めに」
もう行くぞとゼアットの怒鳴り声が響いて、俺は我に返った。
それからまた俺たちは歩き続け、やがて鼻腔にきな臭い匂いが届き、アネムカ王都に到着した。
幸か不幸かフロイはまだいない。
「今更だが、あの、ゴシャという魔王信頼するに足るのか」
ゼアットの問いかけももっともだ。
信頼とは。
俺は首を振るしかない。ゼアットは俺を見つめ、やがて鼻白んだ顔をしてアネムカの夜空を見た。そこここで復興の篝火が焚かれ、弓張月でもじゅうぶん明るい。
フロイは本当に来るのか。もはやトガとの乖離は無理なのか。
ユーリップの二の腕が粟立った。
月が黒雲に隠れ、雷鳴が轟く。滝のような雨が降る。
雨の中を男が歩いてくる。
紅い髪の魔王、フロイ。そして横には眷属と成り下がったクネヒァイスが、幼女のままのフィを従えて続く。
「ドロヴァデッド、会いに来てくれると信じていた」
多分その声にその姿に、ユーリップは弱い。理屈ではない、身体に染み込んでいるなにかが常に狂おしくフロイを求めている。
「フロイ」
ユーリップは銀色の髪の毛を逆立たせた。雨の雫が入ったか目が潤んでいる。牙を剥き、大きく広げた皮翼は臨戦態勢だ。
「フロイ、もうやめよ」
「なにをやめる?」
ユーリップは悲惨なアネムカを見渡した。
閃光が迸る。
「破壊じゃ」
ゲラゲラとフロイは笑った。
「我輩の土地に勝手に住み着いた虫けらを駆除しただけだ!」
本気でそう思っている。魔王とはそうしたものである。
ギブンフプケの力を使い完全に覚醒したフロイは、力と若さがみなぎっていた。匂い立つほどの色気と才気。
呆気ないものだ。できれはキルシマの無念を晴らしたいと、そう思っていたが。キルシマを殺したギブンフプケは、恐れていたフロイにより斬殺された。
「ドロヴァデッド! 戻る気はないか」
ユーリップは言葉に揺らぐ。
ユーリップを信用していないわけではない。俺がそうすべきだと思ったのは、俺が彼女にそばにいてほしいからだ。人と魔物であろうと、なにもかもが違おうとも、俺が。
俺はユーリップの手を握った。
「だめだ、そばにいろ」
「カザン」
「そんな青瓢箪じゃ、お前は満足できんぞ。さあ我輩とともに、昔のように楽しむのだ」
ユーリップの足が動きかけた。
「ユーリップ! 君が好きだ!」
雨は止んでいた。
だから今、ユーリップの頬を伝うのは雨の雫ではない。
「やっと云ってもらえた……」
フロイはまた雷鳴のように笑い、高らかに宣言した。
「よろしい、それでは開戦だ!」
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