第70話

 静かに出ていくはずが、起き出してきた若い夫婦に恐縮しながら礼を云い、俺はものはついでにと尋ねた。


「このあたりは吸血鬼が出ると聞きました、本当ですか」


 父親が答える。


「ああまあ。しかし、ドラゴンなどよりも見かけません。いや、もしかすると吸血鬼ですから、人に紛れていると我々には区別できないだけなのかもしれませんが」


 まあそうかと俺は得心する。ユーリップも顔色が悪いただの美人だ。


「この山を越えたところに少し大きな町があります、そこに行かれるといい」


「そこに吸血鬼が?」


 父親は笑った。


「違います。泊まるところや食べ物もそこなら調達できる。夫婦ふたり食べていけるだけの仕事や家も見つかるかもしれない」


 俺はそう聞いて耳が熱くなった。強く否定するのも妙だから、敢えて礼を返すにとどめた。ベノンは平然としている。いや、職業柄平静を保つことに長けているだけかもしれない。


 そして俺たちは云われた通りの方向に進み続け、またいくつかの夜を越えた。


「あれか……」


 固い岩の山肌を切り崩したような、ひとつの町が見えてきた。


 ノノカ。


 カラフルなテントの下で市場が開かれ、肉や野菜が売られている。俺は久しぶりに心が躍った。持ってきていた金貨も銀貨ももう底をついていたため、道々拾い集めた木の実や薬草、香草と食料を交換する。


 小麦粉に、塩、かん水を練り込み麺を打つ。ベノンは俺の手つきを真剣に見つめている。その熱い眼差しに俺は照れてしまう。


「そんなに見ないでくれ」


「どうしてだ。見せてくれ」


 打ち上がった麺を蒸している間、八百屋からもらった野菜の切れ端、鮮度の落ちた果物などを鍋で煮崩したものに手持ちの調味料とスパイスを投入して、所謂ソースを作る。


「何ができると思う?」


 ベノンは首を振った。俺は葉野菜とソーセージとともに蒸し上がった麺を炒め、仕上げにソースをかけ回した。ソースの焦げる殺人的な薫香に、道行く人々が足を止めた。


「いいかベノン、焼きそばの匂いに人類は抗えない」


 ベノンはおおと感嘆の声を上げた。


「魔法のようだな、カザン」


 先に一皿ベノンに手渡し、それから俺は焼きそばを売りまくる。とにかく町に来ても、お金がないのではどうしようもできないからだ。売り上げで宿を取り、俺は本来の目的である吸血鬼についての情報収集をはじめた。


 まともに眠らずこの町に到着し、そのまま露店で商いをして日銭を稼ぎ、上がりを持って町に繰り出す。当然身体は疲れきっている。足の裏にできた血豆は何度も潰れ、膝も腰もガタガタだ。唇はどれだけ水分を摂ってもひび割れたまま。限界はとっくに過ぎていた。このまま野垂れ死ぬかもしれない。この町に吸血鬼の云い伝えが残っていたとして、それがそのままユーリップに繋がっているわけではないのだ。


「だったら兄ちゃん、ユル城だな」


 ユル城とはこの町からさらに北に向かったところに建つ、今は誰も棲んでいない古城とのこと。


 夜明けにはまだ間があったが、俺はベノンを連れユル城に向かった。期待や不安、疲労と諦観がごちゃごちゃになった感情は重く、足取りは軽いとは云いがたい。


 ユル城は、キルシマやジャゴと訪れユーリップと出会ったアネムカのレレスカー城と、どことなく趣が似ている。外観はほぼ同じと云っていい。ただ、大きさが二回りほど小さい。


「さあ行こう、カザン。私は覚悟ができている」


 それは魔物に遭遇する覚悟か、徒労に終わる覚悟か。


 ベノンの言葉に俺は頷き、松明に火を点した。


「松明など待って、標的にならないか?」


「この城に本当に吸血鬼がいるなら、奴らは闇夜でも見通せる目を持ってる。火をつけようが鼻歌を歌っていようが関係ない」


 当然城の中は暗く、そして酷く寒い。


「まずは地下に見に行こう」


 ベノンは吹き抜けになっている正面大階段から上階を眺めながら、俺の言葉に無言で従った。


 ユル城はレレスカー城よりもずいぶん乾燥していた。北にあるせいか鼠も少ないようで不快な匂いもない。


 ベノンの表情が冴えている。ひとつも物音も聞き流すまいとしているのだろう。


 地下に降りる階段を見つけ、俺は片手に松明、片手にナイフを持った姿勢で一段一段確認するように降りた。


 吸血鬼がいるかもしれない。


 ユーリップはいないだろう。


 地階に着く。


「泣き声がする」


 ベノンの囁きに、俺は動くのをやめ息を殺した。たしかに女のすすり泣く声が途切れ途切れに聞こえてくる。


「幽霊は勘弁だ」


 ベノンの言葉に思わず俺は笑った。


「ベノンも幽霊が苦手か。ジャゴと同じだな」


 ベノンはなにか反論しようとして言葉を飲み込み、そのかわりにキルシマが大枚叩いて鍛えさせた流星刀を引き抜いた。


 泣き声は続いている。


 目を凝らすと、地下室の奥の奥で蠢く影を見つけた。流星刀の鍔が鳴った。


「待て」


 俺はゆっくりと、その影に近寄った。


 期待するな。泣き声で誘い込んで俺の首に齧りつく算段かもしれない。期待するな。探し求めた影は、もう失われているかもしれない。期待するな。そもそもユーリップはフロイのものなのかもしれない。


 期待するな。


「ああ」


 ユーリップが、トガを抱きしめて泣いていた。


「カザン……カザン、カザン……っ!」


 俺の顔を見て大粒の涙をぼろぼろ落とす。


「大丈夫か」


「ああああああああ……ッ」


 涙も鼻水も涎も滝のようだ。本当にこの子は残念美人だ。そして俺はトガを見た。死んでいるように静かだが、どうやら眠っているだけのようで安心する。


「わらわがこうしてあやしているうちは、この子供からフロイは現れん。じゃから、じゃから」


 俺はユーリップの頭を何度も撫で、そのまま強く抱きしめた。


 気づけば俺も泣いていた。

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