第65話
山岳の小国キューネイは、首都の名も同じくキューネイという。真っ白い岩山の間にあるこじんまりとした国。
冷涼で湿度の低い空気が、風に乗ってゆっくりと流れていく。
ユーリップの故郷、そして目覚めの国。
宿を決めた後、俺は情報を得ようと町に出た。キューネイに吸血鬼伝説はたしかにあり、過去に実在したとされているが、特別なにがあるわけでもない。魔王のひとりギブンフプケについても聞き込みをするも、成果はなかった。
アシダカはネイロを預かってくれる孤児院を探しに出ている。ゼンガボルトはいつも通り教会に祈りを捧げに行き、エンデミュートも久方ぶりの故国ということで墓参りに出向いていた。
聞き込みに徒労感を覚えつつあった俺は、小銭を手にキューネイの名物でも食べようと小体なレストランに入った。
出されたのはバターの効いた鶏肉のクリーム煮で、これがとても美味かった。
レストランで紹介してもらった古老の許に出向いて話を聞くも、吸血鬼は知っていても魔王となると皆目見当もつかないとの答えだった。
まるでユーリップに近づかない。こうして足踏みしている間に、再びアネムカが襲撃されないとも限らない。
不図ユーリップの肩を抱くフロイを妄想して、俺は眉間が熱くなる。頭を振って余計なものを振り払い、今度は小さな飲み屋に入った。愛想のない店主がちらりとこちらを一瞥する。
「あの」
「注文は」
「あ、ああ、」
酒を飲みにきたんじゃないとその一言が云えず、俺はまた余計な金を支払うことになる。
「あの、この国にギブンフプケと名乗る人、というか、存在はいませんか?」
俺は出された酒のグラスを横に置き、初老の店主の小さな目を見た。店主はウンともスンとも返さない。
「し、知りませんか?」
「あぁ」
キューネイはアネムカやゼメトと比べるとずいぶん小さな国だ。エンデミュートが暮らしていた当時と比べて、人は減り空き家も目立つとのこと。寂れていく故郷を見るというのは、なんとも云えない気持ちになると、異国で高き地位を得た竜騎士は呟いていた。
「ちなみに吸血鬼って、見たことあります?」
店主は鼻で笑った。
「いま忙しいんだ」
あくびをしながらそう云って、スツールに腰掛けた。
昔はいた。爺さんの爺さんが子供の頃に見た。友達の友達が夜空を飛んでいるのを見た。そんな話はどうでもいい。確実ななにかが欲しい。ユーリップに繋がるなにかが。
「困っておるな、カザン殿」
その言葉遣いに一瞬どきりとしたが、声が違う。キルシマではない、この声は魔王ゴシャだ。
「あんた、今までどこにいた?」
「いろいろだな。貴殿らは足が遅くて困る」
「魔」
俺は店主を見た。店主は舟を漕いでいる。
客も、店に入った時は二人ほどいたようにも思ったが、今は俺とゴシャのみだ。
「魔王と人を比べるな。遅くて苛々するなら、なんか魔法でも使って俺たちの足を早くしてくれ」
「苛々などしておらん」
俺は再度店主を盗み見て、やはり居眠りしているのを確認した。
苛立っているのは俺の方だ。
「ギブンフプケはここにはいないぞ」
「知ってるならどうして教えてくれなかったんだっ」
「私もこの国に来てから知った」
魔王の情報網か。
使い魔だよとゴシャは云う。
「ゴシャ、あなたはなにを狙っている?」
情報集めなど、人間との折衝役を俺に期待しているようなことを云っていたが、その使い魔とやらを使役すれば良さそうなものだ。
ゴシャは薄い皮膚を歪ませて、にやりと笑った。
「残念なことにあまり勤勉ではない。さて、私が思うに、眠れる獅子を起こして回っている奴がいる。おそらくそれがギブンフプケ。覚醒を司る魔王」
店主が目を覚ます。ゴシャはゆっくりと店主のそばに寄る。
「だめだ」
「案ずるな」
ゴシャはゆったりとした動きで店主に歩み寄り、その皺とシミだらけの顔を両手でやんわりと挟んだ。
「少し場所を貸していただきたい」
無愛想だった店主は何度もうなずいて、腰が抜けたように立ち去った。
「ギブンフプケの狙いはなにか? それがわかった時、事態は大きく動き出す」
ゴシャは適当に酒の瓶を棚から出し、適当なグラスに、適当に注いだ。匂いを嗅いで顔を顰め、一口飲んで顔を顰める。
「狙い。世界征服とか、人類滅亡とか」
ゴシャは笑いながら、グラスの酒を捨て別の酒を入れた。一口飲む。ウンと唸ってもう一口飲む。
「いいな、魔王らしい。だが現実的ではない。世界を手に入れてどうする? 人間を滅ぼしてなんになる。たとえば私は人間の作る食べ物が好きだ。滅ぼしては二度とそれを食べることができなくなる」
そうだろうとゴシャは俺を見た。
「世界を征服などしてしまったなら、その後に管理運行しなくてはならない。そんな面倒なこと、私はごめんだ」
「他の魔王も同じように考えていると?」
「いや。そもそも視界の端にも入っていない人間というものに対し、滅ぼすだの支配するだの、本来考えるはずもない」
それは道理だ。
「ネロドマイガも封印できなかった。俺たちはただ逃げた」
「あいつは矢鱈に大きいものな、真っ向から立ち向かえる人間はおるまいよ」
「他の魔王が邪魔なら、あなたがネロドマイガをどうにかできなかったんですか?」
それを期待して俺はゴシャと手を組んでいる。ゴシャはグラスの酒を飲み干して、うんうんとうなずいて見せた。
「時が来たれば。カザンも知っていようが我々魔王の多くは封印、もしくは永い眠りに就いている。その身体を本来のものとするには相当の時間を要する。フロイは一晩でアネムカの王都を焼いたが、あれの本当の力はそんなものではない」
「あなたはいつになったら本調子になるんです? そのための協力なら」
「まあ待て、焦っていいことなどひとつもない」
ゴシャは酒の味が気に入ったのか、酒瓶を小脇に抱え飲み屋から出て行った。
俺は落胆して宿に戻った。
エンデミュートの部屋から明かりが漏れている。ドア越しに声を掛けると中から喚く声と激しい物音がした。
「あ、え?」
血塗れの包丁を手にしたネイロが、白の寝巻きを真っ赤に染めて飛び出してきた。俺はネイロを止めようとして逃げられ、慌てて部屋の中に入ると、そこには胸と腹から血を流したエンデミュートが呼吸を荒くしてベッドに寝そべっていた。
「なにがあった!」
「いきなり刺された」
ネイロは子供だ。子供がどうして?
「あ、あの子供は、逃げたのか?」
俺が開いたままのドアを見ると、真っ青な顔をしたアシダカが立っていた。
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