第17話

 月明かりの下、町を出て東に向かって歩くとやがて大きな石橋が見えてきた。作った職人から名を取りエベ橋と呼ばれている。川幅はそれほどでもないが、霧のせいで向こう岸は見えなかった。


「よし行こう」


 橋を渡りきり、俺はあたりを見回した。平地が続き見通しはいい筈が、やはり霧が視界を遮っていた。川を離れれば霧も晴れてくるだろう。


「おいでなすったな」


 俺たちの目の前に現れたのは大きな鹿の魔物だった。脅威等級は5等。D級の冒険者には荷が重い、やや上のクラスの魔物になる。


 魔鹿の枝分かれした凶々しい角には、おびただしい数の人骨が絡まっていた。


 ユーリップは鹿ごときと云いながら前に出たが、その足元はまったくおぼつかない。ここ数日なにも口にしていないのだからふらつくのも当然だ。


 俺は走った。走ってユーリップを追い抜き、背に負った大きな盾を鹿の眼前に立てた。


「邪魔じゃ、カザン」


 長大な盾は目隠しにもなる。俺の背を蹴り、キルシマが飛んだ。魔鹿は凶暴な角を振り回してキルシマを弾き飛ばした。


 キルシマに気を取られた一瞬を利用して、鹿の前脚をジャゴがへし折った。


 吹き飛ばされたキルシマが跳ね起き、一刀のもと魔物の首を切り落とす。


 俺は魔物が事切れたのを見て取り皮を剥いだ。鹿皮は売り物になるが首が落ちたのでは価値はない。


 それはいい、それよりも。


「カザン!」


 ユーリップが呼ぶ。俺は無視する。云わんとしていることがわかったからだ。


「カザン、わらわは畜生の血など飲まぬぞ!」


 俺は鹿の内臓を選り分け肝臓を取り出した。肝臓には鉄分が多く含まれ、摂取することで造血作用を見込める。


 俺は生の肝臓を貪った。


 キルシマは珍妙な声をあげた。


「腹壊すぞ。いや、新鮮だから平気か」


 俺は思い切り血なまぐさくなった口の中を強い蒸留酒で洗った。


「さあユーリップ、俺の血を吸え!」


 ユーリップは溜め息を吐いた。ただでさえ青白い顔がますます蒼くなっている。


「あほう」


「ずっとなにも口にしてないだろ?」


「飲めんと云ったじゃろ」


「飲まないと君は死ぬ!」


「死にはせん。前にも云ったがわらわは不死身じゃ。ただ、また眠りに就くことになるじゃろうな。わらわは北の国で生まれた。そこで永い眠りから覚め、この国に来た。あの城は故郷の雰囲気に近くてな。空き家ゆえ使わせてもらった。またあそこで眠る」


「どうしてアネムカに」


 何気ない質問だったのだが、ユーリップは頬を赤らめ俯いてしまった。


「どうしても血を吸わないのか?」


 キルシマが口を挟んだ。


「別嬪さん、拙者たちはあんたの攻撃力に期待している」


 音が出るほど鋭い目つきでユーリップはキルシマを睨んだ。


「わらわを矛としてのみ見ていると云う意味かえ?」


「当たり前ではないか、拙者たちがなぜここにいるのかを考えい」


「おい、キルシマ」


「もうよい! そういうことならその辺をうろつくごろつきの血を吸う!」


「だめだ」


「うるさい! わらわは貴様の下僕ではない! なにが不満じゃ? パーティを強くしたい、人の血は吸うなではわらわもどうにもできん!」


「他人の血を吸えば、俺は君を魔物として退治する!」


 キルシマは笑った。俺にユーリップを倒せるわけがない、返り討ちに遭うのが関の山だとそういう意味だろう。


「それが君をこのパーティに引き込んだ、俺の責任の取り方だ」


「……」


 ユーリップは俺の覚悟に絆されたのかゆっくりと近づいてくると差し出した腕を掴んだ。冷たい唇が触れ、鋭い牙が皮膚を突き破る。


「う……」


 頭が冷えていくがわかる。背筋に悪寒が走り、瞬時に立ち眩みがした。ユーリップの口元から俺の血が滴り落ち、胸に赤い斑点を作る。


 ユーリップは口元の血を拭いながら、じっと俺の顔を見つめた。


「ユーリップ、君の食事はこれからすべて俺が用意する」


「おもしろいのう。カザンは本当におもしろい」


 トラツグミの寂しげな声が止み、かわりに山鳩と郭公の鳴き声が聞こえてきた。もうすぐ夜が明ける。


「よし、休憩しよう」


 適当な日陰でもあればいいが生憎見つからなかった。


 俺は盾の内側に仕込んでいた骨組みを組み立て、遮光性の高い布を張った。盾を屋根がわりにした簡易的な小屋だ。ユーリップが眠っていた棺をイメージして木工職人に作ってもらったものだ。


「光が入らないよう用心した。安心して眠れるぞ」


「至れり尽くせりじゃな」


「寝心地がいいかはわからないけど。寒かったら云ってくれ、毛布を渡そう」


 ユーリップは中に入り、しばらくごそごそ動いていたがそのうち静かになった。


 俺は腰を抜かすようにその場に座り込んでしまった。暑くもないのに厭な汗が出る。貧血を起こしているようだ。


「無茶するな随分」


「それだけの価値がある」


 キルシマは鼻を鳴らし、小声で云った。


「相手は妖のモノ、つかず離れず便利に使うのがいいぞ」


 ジャゴが水を手渡してくれた。


「ありがとう、少し休んだらご飯を作るよ」


「しかし日が昇ってから休み支度をすると云うのも、妙な塩梅だな」


 キルシマの言葉に力なく笑う。そしてふと思う。他の冒険者たちは長期の依頼の時、食事はどうしているのだろう。


 多分二の次三の次なのだと思う。うまいものを食べてこそ力が湧くというのに。


 どうにか動けるようになった俺は魔鹿の肉を使い料理をはじめた。


 まずは鍋にたっぷりの赤葡萄酒、赤身とスジ肉を入れ、香草でじっくり煮込む。持ってきた豆を入れる。トマトなどの野菜と果物を丁寧に煮崩し煮詰めたものの瓶詰めを鍋に入れ、蓋をして待つ。鹿肉のシチューだ。それ以外に、表面を炙ったもも肉を薄切りにし、すりおろした山わさびを添えたものも作った。こっちは差し詰め鹿肉のたたきと云ったところか。


 ジャゴは鼻息を荒くしてシチューをパンにつけて食べた。キルシマは鹿肉のたたきを肴に酒を飲む。


「まあ朝酒も嫌いではない」


 夜間の移動はたしかに効率が悪いのかもしれない。それでも、魔物が活性化する闇夜に休息をとる危険を冒すよりは、日中に割合安全に休むのもひとつの手ではある。だが、明るい中を歩きたいと云うのが人情だろうし、明るい中眠ると云うのも中々慣れないものだと思ったが、疲れがすべて押し流した。


 カラスが森に戻っていく。


 俺たちは起きだして簡単な食事を摂ると、また歩きはじめた。


「カザン殿。たとえば馬車でも用意して、それにおなごを寝かせ昼も動くと云うのはどうかな」


「そうすると俺たちは昼に動いて夜に眠ると云うことになるけど、その場合ユーリップは夜に活動することになる。あの戦闘力を寝ずの番のみに使うと云うのは贅沢な話だ」


「そうか」


「キルシマが云いたいことはわからないでもないが」


 前の方で俺とキルシマがそんな会話をしていると、後ろからユーリップが声を投げてきた。


「まだ揉めておるのか」


「拙者たちはお天道様に見守られて生きているからな」


「ならばわらわの守護は月輪かえ?」


 また一日が過ぎていく。そうしてやっと、ヨロフトの塔が見えた。


 月を背にしたその威容に、俺たちはしばし見惚れた。


「すごいな」


「すごい。人の手でここまでのものを作れるのか」


 ジャゴも塔を見上げて感嘆の声をあげた。


 俺たちが塔に入ろうとすると、入れ替わりに人影が出てきた。


「よう、カザン! 捕まったと聞いたが、脱獄でもしたのか?」

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