第15話
血が滴って石畳に染みを作った。
俺は少しも動けないまま、ユーリップの顔を見た。
ユーリップは素手で剣を握り締めて止め、空いた片手で俺を突き刺そうとした小柄な男の顔を掴んでそのまま突き飛ばした。わあと集団の輪が縮み俺とユーリップに襲い掛かる。
その衝撃を、大袈裟に云えば生涯忘れない。
それはそれは美しい。月光に輝く銀糸のような長髪、躍動する長い四肢。
皮の鎧を身につけ、鋲を打った鉄槌を手にした無頼漢数人を相手に回し、ユーリップは舞うように戦った。
「ユーリップ、血が!」
「案ずるな、補う!」
ユーリップは手近な一人の男を引き寄せその首筋に咬みついた。見る間に、音を立てながら男の水気と生気が失われていく。
俺は叫んだ。
「殺すな!」
解放された男は頽れた。
「化け物だ」
「吸血鬼だ」
口々に喚いて無頼漢たちは逃げ去った。
「カザン、私はお前を許さない!」
最初に俺に刃を向けた小柄な男のみが、腰を抜かしながらも喚き続けた。
いったいどこで恨みを買ったものか。
「ライホは私の許嫁だ!」
俺は言葉を失った。
ライホは隣国の出身で男はずっとライホの帰りを待っていたのだと語った。名をトリポカ。材木問屋の十三代目であるとのことで、ライホを幸せにするに足るものが自分にはあると鼻息荒く云う。
「結婚式当日にライホは逃げ出した。私は彼女の行方を追い、そしてようやくここアネムカにいるとの情報を掴んだ。そうだ、お察しの通りライホは私と結婚したくなかったんだろう。私がこんなちんちくりんだから、いやになって逃げたのだ!」
たしかにトリポカは短躯で顔つきも子供のようだ。しかしカザンは、それは違う気がした。ライホはそんなことで他人を判断したりはしないと思った。
トリポカは泣いている。
「ライホを返せ、頼む返してくれ! あんたが旅に連れまわして殺したんだろ?」
俺は答えられなかった。直接俺が何かしたわけではない、そしてライホは死んだわけではない。それでも俺自身に、ライホの身体が石のようになってしまった責任がないとはいえない。その覚悟なくして安易にパーティを組み旅に連れ出してはいけない。だからライホがああなったのもやはり俺にも責任がある。
俺はライホの現状を嘘偽りなくトリポカに説明した。トリポカは今すぐ連れて帰るようなことを云ったが、仮にもし連れ帰った後ライホに掛けられた呪いが解けたのだとしても、ライホが結婚式から逃げ出した理由がわからないのならば元の木阿弥、同じことの繰り返しではないのか。それともそれは、余計なお世話なのだろうか。
トリポカは俯いた。
ユーリップの切り傷はすでに癒えている。男数人などものともしないその戦闘力に惚れ惚れする一方で、トリポカが雇ったごろつき相手の市井の喧嘩に毛が生えた程度であっても空恐ろしいものを覚えた。
とんでもない人を仲間にしてしまったのか。いや、自分の目を信じよう。
トリポカはせめてライホをもっといい場所に移したいと申し出た。たしかに俺のジリ貧財力では、本当に雨露が凌げる程度の場所しか用意できず、正直心苦しかったのも確かだったから、その申し出は有り難く思った。
「金も私が出す。それぐらいさせてくれ。いや、金ならいくらでもあるんだ、あんたは彼女の呪いを解く方法を見つけてくれればいい。裁判所に訴えたりはしない」
そこまで委ねると責任逃れをしているような気もする。俺が悩んでいると、後ろから袖を引っ張られた。
「ライホって誰よ」
「え?」
「ライホって、誰」
「ああ、少し前まで一緒に冒険してたんだ。今は呪いで動けない」
「許婚がいる人に手を出したの?」
「は? 出してない!」
トリポカが犬の皮をひん剥いたような顔で俺を睨んだ。
「やっぱり出したんだろ! ライホは、彼女は本当に愛らしい人で」
「出してない! 俺はライホにそんな感情は抱いていない!」
「それはそれでむかつく」
とにかく今よりいい環境に移せるならばと割り切って、俺はトリポカにライホを委ねることにした。ライホの事情心情は分からない。だが、俺にはトリポカが悪い人間には思えなかった。
「おい、カザン。そのライホとかいう娘、動けるようにできなくもないぞ」
「どうやって?」
「わらわが咬めばいい。まあ当然、わらわと同じように吸血鬼になってしまうがな。そなた吸血鬼好きじゃろ?」
「別に好きじゃない」
ユーリップは口をあんぐりと開けた。
「ユーリップは黙っててくれよ、もう」
俺はライホを預けている療養所をトリポカに伝え、新たな場所が決まり次第教えてくれるように頼んだ。絶対に呪いは解く。それまで少しでもいい環境にライホを置く。
「トリポカさん、決して自力でどうにかしようと考えないで」
受付で報酬を受け取りやっとのことで酒場に向かうと、すでにキルシマは出来上がっていた。半分眠っている。ジャゴは丁寧に食い丁寧に飲むタイプのようで酒にも強い。筋骨隆々の大男なのだが、口数少なく物静かな男だ。普段身につけるものも質素ながら品が良い。なんだかいい匂いもする。
テーブルの上には鶏の丸焼きが乗っていた。
ジャゴは一本一本骨を外しては皿に乗せ、ナイフとフォークで器用にほぐしては口に運び、赤葡萄酒を飲んでいる。
椅子に腰掛けた俺は、手羽先を捩じり取りながら次の依頼の話をした。
「この先どんどん依頼を受けていくからそのつもりで」
金も名声も手に入れる。
見聞を広め料理の腕も上げる。
そしてライホの呪いを解く。
どこか生真面目で漠然と辛気臭い俺は、ユーリップがいまだ外で口を開けたまま呆然と突っ立っていることなど忘れていた。
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