幸せのサイフォン
@smiling
幸せのサイフォン
さえない男、木下 望(きのしたのぞみ)は、40代半ば、結婚もしていない。10席ほどの小さな喫茶店「キノシタ珈琲」を細々と営んでいた。コーヒーに対するこだわりは人一倍強く、特にサイフォンで淹れるコーヒーの味には自信があった。しかし、店には客もはいらず、常連客もほとんどいない。
ある晩、閉店間際に奇妙な客が現れた。長身で痩せた、銀色の肌を持つ男――いや、人間ではないようだ。おそらく大きな青みがかった目をした、その宇宙人は、静かにカウンターに座り、木下を見つめた。
「……ブレンドコーヒーを一杯、頼む」
驚きつつも、木下はいつものようにサイフォンで、時間をかけて丁寧に淹れた。コポコポと音を立てながら、抽出される琥珀色の液体。その香りが漂うと、宇宙人の表情が少しだけ柔らいだ。
一口飲んだ瞬間、宇宙人の目が驚きに見開かれる。
「……これは……なんて幸せなんだ……!」
彼は深く感動しながら、ゆっくりとコーヒーを飲み干した。そして、言った。
「私はエスメラルダ星の使者だ。この星では戦争が絶えないと聞いていたが、この一杯には、争いを忘れさせる力がある。もしこのコーヒーを世界中に広められたら、人々は戦争をやめるのではないか?」
木下は苦笑した。
「そんな大げさな……ただのコーヒーですよ?」
「いや、このコーヒーには『幸せの波動』がある。我々の科学では作れないものだ。ぜひ、広めてほしい」
木下は戸惑った。コーヒーを淹れるのは好きだが、世界を救うなんて大それたこと、できるはずがない。しかし、宇宙人は真剣な目で続けた。
「私の使命は、平和をもたらすものを探し、広めること。これはまさにその答えだ。君には、その力がある」
半信半疑のまま、木下はエスメラルダ星人の協力を得て、「幸せのサイフォン」を広める活動を始めた。戦争の続く国々に赴き、一杯のコーヒーを振る舞った。すると、敵同士だった兵士たちが涙を流しながら語り合い、武器を置くようになった。
「こんなに心が温まるなんて……もう戦うのはやめよう」
次第に「キノシタ珈琲」の名は世界中に広まり、木下の淹れるコーヒーは平和の象徴となった。エスメラルダ星人は最後にこう言った。
「君はもう、ただの珈琲店主の男ではない。この星の未来を変える存在だ」
木下は初めて、自分の存在が誰かの役に立ったと実感し、心からの幸せを感じた。
そして今日も、サイフォンの火を灯し、一杯のコーヒーに幸せの願いを込めて、世界に届けている。
幸せのサイフォン @smiling
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