第13話 最悪な時間 3
課題の締切直前、二人は教室に残り、パソコンを挟んでプレゼン資料の最終調整をしていた。画面には、瑠璃が作成したスライドが映し出されており、整理されたグラフや図表がびっしりと詰め込まれている。
「ここ、文字を詰め込みすぎてないか?」
霧がパソコンを指差しながら言う。
「それは重要なデータだから仕方ないの。内容を省略したら説得力がなくなるわ」
瑠璃はキーボードを叩きながら即答した。
「説得力があっても、読んでもらわなきゃ意味ないだろ?みんながこれをじっくり読むと思うか?」
「……」
瑠璃は少しだけ手を止めて考え込んだ。
「ほら、ここは箇条書きにするだけで十分伝わるって」
霧はスライドの一部を削除して、簡潔に書き直してみせた。 瑠璃は画面をじっと見つめた後、ため息をつきながら頷く。
「……まあ、悪くはないわね。でも、レイアウトが少しずれてる」
「細かすぎるって」
霧が苦笑すると、瑠璃は冷たい視線を向けるが何も言わない。
そんなやり取りを続けながらも、二人は手を止めることなく作業を進めていく。霧はスライドの文章を簡潔に直し、瑠璃はその隣でデータをまとめる。画面に向かうキーボードの音だけが、静かな教室に響いていた。
しばらくして、霧が何気なく隣を見ると、瑠璃は机に腕を置いたままうつ伏せになり、目を閉じていた。
「……寝てるのか?」
霧は思わずつぶやいた。
普段は冷徹で完璧主義の彼女が、こうして無防備に寝ている姿を見て、霧は思わず笑みを浮かべる。いつもピリピリとした空気を纏っている瑠璃が、今はただの子供に見えた。
「いつも完璧ぶってる奴も、こういうときは普通なんだな……」
霧は小声で呟く。
「起こしてもうるさくなるだけだし、もう少し俺がやっておくか」と霧は静かにキーボードを打ち始める。
眠る瑠璃を起こさないよう音に気をつけながら、霧はスライドの細かい修正を進めていった。
教室の中はざわめきに包まれていた。次のプレゼンが桐崎霧と鳳条瑠璃のペアだと発表された瞬間、クラスメイトたちの視線が一斉に二人に向けられた。
「大丈夫かな、あの二人。全然息合ってなさそうだったけど」「でも鳳条さんがいるし、なんとかなるんじゃね?」と小声でひそひそ話す声が聞こえる中、霧は軽く肩をすくめ、瑠璃は冷静そのものだった。
「それでは始めます」と霧がプレゼン用のスライドを操作しながら口を開いた。
教室が静まり返る中、プロジェクターに映し出された最初のスライドにクラスメイトたちの視線が集中する。
「みなさん、スーパーで廃棄される食品の量って、一年間でどれくらいか知っていますか?」
霧は大げさに両手を広げながら問いかけた。クラスメイトたちは一瞬顔を見合わせ、誰も手を挙げない。霧は得意げな表情で答える。
「答えは、約5000トン! これは野球場15個分の広さに相当する量の食べ物が捨てられているってことなんです。でも、これをゼロに近付ける方法があったらどうですか?」
霧が目配せすると、横に立っていた瑠璃がスッと前に出た。彼女の手にはタブレットが握られており、霧が口にした数字を裏付けるデータがスライドに映し出された。
「ゼロにするのは理想的ですが、現実的には難しい。そこで私たちが提案するのは、食品ロス削減を地域住民の行動とエネルギー効率化に結びつける新しい仕組みです」
彼女は滑らかに話しながら、次のスライドを映し出した。
「例えば、スーパーやコンビニで賞味期限が近い商品を購入すると、“食品ロス削減ポイント”が貯まります。このポイントは、地元のお店で割引として使えるだけでなく、地域全体の電力効率向上にもつながる仕組みです。」
瑠璃の指差す先には、ポイントの流れを示すフローチャートが表示されていた。
霧が補足に入る。
「簡単に言えば、ポイントを貯めると、地域の電気代が安くなる仕組みです!例えば、蓄電施設の電力に還元されたり、再生可能エネルギーのインフラ整備に使われたりします。だから、地元で頑張った分が地域全体の利益になるんですよ」
瑠璃が少し表情を和らげながら続ける。
「さらに、この仕組みを支えるのが“分散型エネルギー供給モデル”です。これは、地域ごとに独立した電力管理を行うもので、食品ロス削減ポイントのデータが蓄積されるたびに、効率的な電力分配が可能になります」
霧はすかさず手を挙げる仕草をしてクラスメイトの注意を引いた。
「ちょっと難しく聞こえるかもしれないけど、要するに“食品ロスを減らして電気代も節約!”ってことです」
反応を伺うように霧が少し間を取ると、瑠璃が自然な流れで次のスライドを切り替える。
「このポイントシステムを可能にするのが、地域限定の分散型エネルギー供給モデルです」と瑠璃が続ける。プロジェクターには、地域ごとのエネルギー消費量を示すグラフと、改善後のシミュレーションが映し出された。
「例えばこのデータをご覧ください。食品ロス削減行動が進むと、どれだけ地域のエネルギー効率が改善されるかを示しています。これにより、年間で約10%のエネルギーコストを削減できる試算が出ています」
「そしてそれが、そのまま地域の新しいインフラ整備にもつながるわけです」と霧が補足する。
「新しい蓄電施設を建てたり、再生可能エネルギーの導入を進めたり、未来に投資できる仕組みになるんですよ」
クラスメイトたちは画面と二人の話に真剣に耳を傾けていた。霧は小さく頷いて、次のスライドを指差した。
「最後に、みなさん自身がこのエコシステムの主役になるという点です。たとえ日々の行動が小さなことだとしても、それが積み重なれば、地域全体の環境と経済に大きな影響を与えるんです」
「そうですね」と瑠璃が続ける。声に少しだけ柔らかさが感じられた。「私たちが提案するのは、ただの制度ではありません。“個人の行動が地域全体を変える”という考え方そのものなんです」
スライドの最後には、笑顔で手を取り合う地域住民のイラストが表示された。
「以上が私たちの提案です。ぜひご意見をお聞かせください」と瑠璃が締めくくった。
二人がほぼ同時に頭を下げると、教室に拍手が響く。ちらりと隣を見ると、瑠璃はわずかにほっとしたような表情を浮かべていた。
その日の放課後、霧が校門を出ようと歩いていると、後ろから聞き慣れた冷たい声が飛んできた。
「桐崎君」
振り返ると、瑠璃が静かに近づいてきた。
「……今日のプレゼン、悪くなかったわ」
霧は目を丸くした。
「 鳳条さんが褒めるなんて、明日は雪でも降るのかな?」
わざとらしい驚きの仕草に、瑠璃はすかさず睨み返した。
「褒めてないわ。ただ、思ったほど酷くなかったってだけ」
そう言い捨てた瑠璃は、少し気まずそうに視線を逸らした。
霧は肩をすくめて、ニヤリと笑った。
「俺のシナリオ構成があったおかげで今日は上手くいったからね。次も俺が助けてあげるよ、鳳条さん」
いつもの調子で軽口を叩く霧。
「助けてもらった覚えなんてないから。次、ペアを組むことがあったらもっと上手く仕上げてほしいわ」
「え?それって“次も一緒にやろう”って遠回しに言ってる?」
瑠璃は鼻で笑ってそっぽを向いた。
「そう聞こえるなら、相当おめでたい頭ね。勘違いしないで」
だが、去り際に見えた彼女の横顔には、ほんのわずかだが確かに笑みが浮かんでいたように見えた。
瑠璃の背中を見送りながら、霧はポケットに手を突っ込み、呟いた。
「ほんと、嫌な奴だよな。でも……まあ、ほんの少しだけ可愛いところもあるって認めてやるか」
照れ隠しのように自分で言葉を呑み込むと、霧はその場を後にした。
その頃、瑠璃も夕陽に染まる道を歩きながら、ふと足を止めた。
「桐崎君……次はもっと役に立つところを見せてほしいものね」
そう言いながらも、その声はどこか柔らかく、ほんのりとした笑みが浮かんでいた。
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