未来の花道

ひとつ はじめ

第1話

“次の作品の開始まで三十秒です”


素菜緒(すなお)は机の上のマウスをさっと動かし、モニター右上の×印をクリックした。少し前の恋愛映画を観終わったばかり。胸の奥では心臓が普段よりちょっとだけ早く強く鼓動していた。

背もたれに体重を預け、両腕を上にぎゅっと引き上げた。力を抜き弛緩すると口からふぅっと十四歳の独特な甘い香りと“くすんだ”感情が吐き出された。窓の外では蝉が暑い暑いと鳴いていた。

土曜の夜、素菜緒はいつも親の契約した配信アプリで映画を観ている。視聴履歴が親バレしてしまうので変な作品は選べない。もっとも素菜緒の好みはラブストーリーやアニメなので気にしなくても良いのだがお母さんから「昨日のあの映画良かったでしょー」とか言われるのはなんか恥ずかしい。とは言え大好きなお母さんを無視する訳にもいかない。


翌日、少し遅めの日曜の朝ご飯の時も同じような会話になった。この日は素菜緒から話題を振った。

「昨日のよかったよ、お母さんも観た?」

「あれはお父さんと初めてデートした頃に似てるのよねー、懐かしかったわ」

「はいはい、親ののろけ話なんか聞きたくないわ」

「何言ってるの、そのうち素菜緒だって」

「もういいもういい、おしまい」

家族とこの手の話ははむず痒かった。話題にしなければよかった。

「そうそう、今日の午後お姉ちゃん帰ってくるから」

「え、いきなりだね」五つ上のお姉ちゃんが素菜緒は大好きだった。たまには喧嘩もしたけれどそれでも最後にはごめんねと言ってくれる優しいお姉ちゃん。何して遊ぼうかな。

「何かあるの?」そういう素菜緒に

「明日こっちで誰かと会うとかいってたかな」

じゃあ今日は空いているのかなとニヤつく。


太陽がが真上から少し傾いた頃、お姉ちゃんは帰ってきた。

「ただいまー」

「おかえり、東京土産はなに?」

「元気な私の笑顔^_^」

「原宿とかで売ってるのが良いのに」

「売ってるよ、安物だけど」

ふたりは昔から当たり前のようにしていた無駄な会話に花を咲かせていた。

「おかえり、今日はご飯どうするの」

お母さんは台所からお姉ちゃんに声をかけた。

「素菜緒を借りていいかな?」

何事だ?

「いいけどどこ行くの?」

私の意見は?

「映画のチケットもらってさ、素菜緒まだ映画館で映画みた事ないでしょ」

えっ、おっ、映画館!

「あら素菜緒よかったね、行ってきなさいな」

嬉しい、嬉しいのだけれども、あまりに急な事にテンパってしまい上手く言葉が出てこない。

「どうする、行く?」断る訳が無かろうに。

「いくー」

なんの映画かまだ聞いてなかったが、行きますとも。


お姉ちゃんの運転する真っ赤な軽自動車で市内のシネコンに向かった。駐車場に停めた車の助手席を飛び出した素菜緒は辺りを見回し、大きいねーと口をついた。

「今は何やってるかな、素菜緒は何観たい?」

「え、選んでいいの?」

「チケットは劇場の入場券だからどれでも良いよ」

「うぉ、そんなの聞いてないよ、どうしよ、えっと今はコレとコレと...」

中で決めようよと言ってお姉ちゃんは、素菜緒の手を掴んでキラキラしたエントランスに引き入れた。


結局話題の邦画を観ることにしてお姉ちゃんは手元のチケットを座席指定券に換えに行った。そんなルールがあることも初めて知った。

受付前で待っていると、壁一面には上映中の映画のポスターがいくつも並び、その下には様々なチラシが置いてあった。夢のような場所だった。

新作のチラシを何枚か取って見ていると、端の方にふと目が行った。


“映画出演者大募集、未来のスターは君だ!”新人俳優のオーディションらしい。なになに、年齢は十二歳以上、書類選考で写真を二枚、事務所は渋谷、うわぁこの女優さん知ってる。それは誰もが知る国民的女優の所属事務所のオーディションだった。


すっと手が延びて一枚手に取った素菜緒は、すでに女優になった気になってうっとりしていた。


映画を観ている最中にはこの画面の中に私が入って一緒にお芝居したいと半ば本気で思っていた。影響されやすい性格も昔からだ。

そして家に帰る車の中で素菜緒はお姉ちゃんにその思いを一気に捲し立てた。

「お姉ちゃん私女優になる、さっきの映画みたいなキラキラした映画に出る、それでいっぱいいっぱい映画に出てテレビにも出て、だから女優になる」気持ちが先走ると早口になってしまうのは昔からの癖だ。

「どうやって?」否定されなかった。

「これ、映画館で貰った」あの未来のスターのチラシを運転中のお姉ちゃんに向ける。

「頑張れー」

「うん、でもこういう時は普通止めない?」

「東京に染まっちまったのかな」そう言ってお姉ちゃんは笑った。



「......素菜緒さん、素菜緒さん、そろそろ出番ですよ」

眠ってしまったらしい、お姉ちゃんに起こされたと思い目を開けるとそこは車の助手席ではなく、四畳半ほどの小部屋だった。前には大きな鏡に眩しいほどの電球が私を照らしていた。鏡の中の私はやけによそゆきの格好をして化粧までしていた。中学生とは思えないし思わない。

ほんの一瞬だけ今どこかがわからなくなり、直ぐに今の状況を理解した。

「はい、いまいきます」大きな声で扉の向こうに返事をし、素菜緒はメイク室の扉を開けた。


最近は昔の自分の夢を見る。しかもリアルで生々しい当時の手触りのままの記憶だ。誰でも一度や二度は経験しているかもしれない。でも私の場合、戻った今がどの地点かすぐには分からない事がよくあり、それが問題なのだ。何を言っているのかと思われても仕方がない、ほかに説明のしようがないのだから。


日によっては十八歳の誕生日だったり、新宿でアルバイトをしている二十五才の事もある。その場合は大変だ、まだ夢から覚めていないという事だ。一刻も早く目覚めて本当の今に戻らなければ周りの皆に迷惑をかけてしまう。今回は控室でメイクをしていた。つまりすでに私の年表的には三十歳を過ぎているはずだ。上手くすればちゃんと目覚められたはず。しかし三十二歳なのか三十四歳なのかでも大きく違う。スタッフの顔を見る、見知った顔ばかりだけれども年齢まではわからない。手にした台本にふと目を向ける。

「戻ってる」

安堵の声が溢れた。

なんですか?と前を歩くADが振り返り声をかける。

「なんでもない」

そういってスタジオに向かい歩き始める。



私は夢を叶えて女優になった。

大好きなお姉ちゃんが呆気なく事故で逝ってしまったのが五年前。それからよく昔の夢を見る。夢の中で夢をみる事もあり、今が夢の中なのか現実世界なのか不安にもなる。

でも、いつも夢の中にはお姉ちゃんがいた。だから怖くはなかった。夢の中のお姉ちゃんはいつも私を応援してくれる、遊んでくれる、守ってくれる、愛してくれる。


今回の作品は、時空を超える能力に目覚めた少女が家族と共に苦難を乗り越えアイドルになってのし上がるエンタメ作品だ。私がその主役。まさに私のために書かれたような作品のタイトルは


“未来の花道”

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未来の花道 ひとつ はじめ @echorin

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