第4話:鏡の中の影
夜の静寂が旅館を包み込む。
二日目の夜、敬介は布団に入る前に、無意識のうちに鏡の前で立ち止まっていた。
そこに映るのは、いつもと変わらない自分の姿——のはずだった。
だが、ふと違和感を覚えた。
鏡の中の自分が、わずかに遅れて動いた。
悪寒が背中を這い上がる。
敬介は目を凝らした。
(……光の加減か?)
そう思いながらも、喉の奥が妙に乾いていくのを感じる。
だが、それ以上に気味が悪いのは——
鏡の中の自分が、どこか違う"何か"に見えることだった。
見れば見るほど、顔つきが変わっているような錯覚に陥る。
まるで、誰か別の人間になっていくように。
敬介は息を呑み、勇気を振り絞って鏡に近づいた。
その瞬間——
"それ"が、ゆっくりと顔を上げた。
「……っ!」
敬介は反射的に後ずさる。
その視線が、敬介を突き刺す。
「……思い出せ。」
ぞわりと鳥肌が立つ。
心臓が鷲掴みにされたような感覚が広がる。
(何を……思い出せと?)
頭の奥に、何かが浮かび上がる。
——煙の臭い。
——燃える畳の熱さ。
——炎に包まれた廊下で、誰かの悲鳴。
(……これは、何の記憶だ?)
敬介は額に滲む汗を拭いながら、鏡をじっと睨みつけた。
「……お前は、誰だ?」
すると、鏡の中の"影"は、微かに唇を歪めて笑った。
そして、敬介の声で囁いた。
「……おまえは、知っている。」
その瞬間——
鏡が、バリンッ!と音を立てて砕け散った。
敬介は反射的に目を閉じ、飛び退いた。
破片が床に散らばり、静寂が戻る。
敬介は震えながら、声を絞り出した。
「……何なんだ……これは……」
しかし、答えはない。
ただ、砕けた鏡の破片が、じっと敬介を見つめ続けているだけだった。
そして、その破片の中で、影が再び囁いた。
「……忘れてはいけない。」
敬介の頭の奥が、軋むように痛み出す。
それは、"思い出してはならない"はずの記憶が、強引に扉を開こうとしている証だった。
何かを、思い出しそうだ。
だが、その先にあるものは——
きっと、思い出したくないものだった。
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