追想之音
K.M
追想ノート
埼玉のとある高校。
「えーここは、移項することによってここで打ち消しあうので……。」
教室に子守歌ともとれる先生の声が響いている。
「ねぇねぇねぇ。」
「んあ?」
「今寝かけてたでしょ。」
決してそんなことはない。昼下がり、満腹で、かつ苦手な数学だからといって寝かけてなんていない。断じてない。
「まぁ、いいや。ここの問題なんだけどさ……。」
「んー?」
「これ、何使うの?」
「知らないよ。」
まったくこいつは。私が数学が苦手だということをわかっていて聞いてくる。本当に性格が悪いと思う。
「ふーん。でも、本当は数学めっちゃ得意だったり?」
「ない。」
本当に他人に過度な期待をかけないでもらっていいかね。本当にプレッシャーって人を壊すんだからね?
学生の本分は勉学だ、と先生たちはいつも言うけれど、大人になったらなったで待ち受けるのは仕事だけだ。それじゃ一生つらいまま死んでいっちゃうじゃないか。先生だってどうせ学生の頃は実るはずもない哀れな恋に狂わされてたんでしょうよ。
それなのに、今の学生には偉そうに勉学最優先、なんて言えるんだから、ますます大人ってものはわからない。
「ともかく、私は勉強は全部嫌いだから。」
「むぅ。」
「何がむぅ、よ。ほら紫織、前向かないと先生に目、付けられるよ。」
「それは勘弁。」
紫織はそう言ってようやく前を向きなおした。
が。
「んんっ!風野紫織さん?授業中に私語は慎むように。」
「……はーい。」
一足遅かったようだ。
こういうのを、「乙としか言いようがない」と言うのだろうか。
私は試しに、そっと「乙」と言ってみた。そしたら、紫織の方から「チッ」と舌打ちが聞こえてきた。ちゃんと紫織に聞こえたらしい。
「……であるからして、ここも打ち消しあいます。あとはもう出ましたね。じゃあ答えを、紫織さん。」
「はーい、えっと、-13.23πですか?」
「はい正解です。じゃあ今日はここまでです。」
キーンコーンカーン……。
チャイムよ、もうちょっと早くなってくれてもよかったんだぞ。
コーン。キーンコーンカー……ガガガgブツッ。
ん?なんだろう。機材の調子が悪いとかそういう類かな。
「何かあったのかな。」
モヤモヤした気持ちのまま私は家に帰る。
家に帰ると、私はそのモヤモヤを晴らすかのようにベッドの上で暴れたのち、そのまま寝てしまった。
ん。今、何時だ?
時計は1月27日20時44分を指していた。今日は部活動が休みだったので、いつもより早く帰ってこれたのだ。
私は少しけだるさを感じながらも、体を起こした。
灯りの消えた暗い部屋の中で、私は照明のリモコンを手探りする。やっと何か手に触れた、と思ったものは、照明のリモコンではなかった。
何か、本のようなものだった。教科書でも開いたままにしていたのだろう。私は特段気に留めることもなく、やっと見つけたリモコンで照明をつけた。
すると、ようやく私が手に持っていたものが何だったのかを見ることができた。
私の手の上に乗っていたのは、一冊のノートだった。グレーの表紙に、紐で留めている部分を隠すために黒のテープが用いられている、そして、クラス、番号、名前と、学習用の、百円均一ショップでよく売っているようなありふれたものだった。
表紙には、ただ一言、「追想ノート」とだけ書かれていた。
「追想ノート……?まあ、いいか。」
きっといつかの私がふざけて書いたものだろう。
私は疲れていたので、その意味を考えることもせず、棚にしまってしまった。
その日は冷凍食品で軽く食事を済ませた。高校から1人暮らしを始めて、忙しい日は大抵こんなものだ。
あとは普通に寝た。
この日が安心して眠れる最後の日だとも知らずに――。
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