カラスは吾輩なんて使わない
弱石もやし
第1話 くたびれた夜明けとカラス
いつもの光景だ。
くたびれている夜明けの下。人目のないゴミ袋に嘴を突き刺し、強引に破り散らかす。重ねてゴミを巻き散らかしながら食い物を器用に喉に流し込んでいる。清い秋風が臭気を運び、山のようなビル群がハシブトカラス達にあきれているように見えてしまう。私は、そんな光景を少し離れた電柱の頂上から見ていた。
私は頭が良い。これは生まれつき頭が良かったという訳でも、単なる自慢でも無い。一人の見知らぬ人間に捕らえられ、見知らぬ場所で見知らぬ飯を食わされ続けた結果、私は高い知能を得た。それゆえ本来知る由もなかった世界に触れ、学ぶことが可能になり私は自分自身の大きな可能性に気付いた。恥ずかしい話、鳥籠の中で、様々なことが出来るという優越感に 酔っていたような気がする。
だが同時に「じゃあ頭の良い自分はどう生きるべきか」という考えたこともなかった疑問が生まれた。疑問は、いくら考えても見当がつかないくせに生活の隅々でしつこいほど頭に浮かび、そのたびに行動の必要性を意味もなく考えてしまう。私は、初めて知る解の無い問題に悩まされた。それは見知らぬ場所から脱走した今も変わらない。毎日、私は電柱の上で頭を抱えて考えた。そんなことをせずに飯を探せば良いとわかっていながらも辞めることができなかった。変な不安が私を放してはくれなかった。
しかし今日、私は一つの希望を嫌々見出した。軟禁されていた頃に出会った天才、ハシボソガラスのポピーに会いに行くことだ。ポピーは私を捕らえた人間に大事に飼われていた。もちろん、その人間は名前のない私に食わせた餌を愛するポピーには与えなかったが、大食らいのポピーは私が残した餌を人間が見ていぬ隙に掻っ攫い、こそっと食べていた。あの時の美味そうに食べていた様子は今でも忘れることができない。結果、私よりも高い知能を得た。その後、私を脱走へ導いてくれたのだが以降、姿を消した。
そんな行方知れずなハシボソガラス一匹を見つめる。正直言って厳しい、というか無理だ。この世界にハシブトガラスが何百万羽居ると思っているんだ。私は考えを振り払い、再度ゴミを漁り散らかすハシブトガラスを見た。
彼らは変わらず散らかしながら飯を食い、人間の視線を感じると近くの木に登る。視線が無くなったら、また散らかしながら飯を食う。これの繰り返しだ。人間を気にしておきながら、なぜ飯を散らかすことは気にしていないんだ。だから人間に敵対視されるんだろうが。私は思わず目つきが鋭くなったが、彼らは気づく素振りすら見せず食事を続けていた。
やはり私はポピーを探すしかない、そんな気がした。これは自分自身でも見当がつかない悩みであり、仲間に聞いたとしても.......解は得られる確率は低い。私よりも賢いポピーなら正解を知っているはずだ。どんな風に暮らしているのかはわからないが、きっと私のように悩んでばっかの生活は送っていない。私は口から汚い空気を吐ききったのち、空中に浮遊した。そして昇りゆく太陽を背に故郷である新宿を滑空した。
1
「悪いが、誰かもわからない奴を群れに入れるわけにはいかない」
三本の電線並ぶ空中、50羽ほどのハシブトガラスの群れの手前で2羽の巨体なカラスに私は差し止められた。新入りも大歓迎という謳い文句を言っていたくせに嫌な態度をとるもんだ。
「はよ、帰れや。気色わりぃ」
方言が抜けてないリーゼントヘアーのカラスが大声交じりに足踏みする。そのたびに電線と朝日に照らされた立派な二つのカラスの髪型が小さく揺れていることには私以外気づいてもいなかった。
私から見て左の電線には押し黙るオールバックヘアーのカラス、右の電線には、大きな声でべらべらと悪口を飛ばす訛りカラス。それらが阿吽の呼吸のように私が立つ中央の電線を遮る様子を眺めていた。いや、迫力ある見事な連携プレイだったため見とれていたの方が正しい。こんなものを見せられたら誰もが怖気づいて逃げ出すだろう。対処を知らない私以外は。
私は息を吸い、わかりやすく喉を鳴らした。二羽のカラスの威嚇が一瞬緩む。その隙に吽のカラスの耳元に嘴を近づけ、言葉を囁いた。
「お前、何勝手に動いとうねん。はよ、かぇ――」
破裂音にいた軽い音が響く。電線の下で歩いていた人間がビクッと反応した。
「黙れ……どうぞ、お入りください」
オールバックヘアーのカラスが滑らかに、空中に浮遊し、真ん中の電線が切り開かれた。私は呆然とした顔で叩かれた口をさするカラスを横目に集団へ歩を進めた。後ろでは、ぶつくさぶつくさ方言交じりの怒り声がこぼれていたが、耳打ちされたのか無邪気な声へと変わっていった。マヨネーズの隠し場所一つで大抵の取引は成立する。私は、この単純な事実に毎度、驚かされる。他の生物でも通用できるのだろうか。
まぁ、とりあえず、口下手な私が群れへ入ることができた。それは良いことなのだが一つ確かな問題が生まれた。あの訛りカラスには、どう謝れば良いのだろうか。
2
近づいて見て、わかったが群れには比較的、若い者が多かった。赤黒い口内からして、まだ1歳から2歳程度の社会を何も知らない若者。気分屋で、周囲には目もくれず好き勝手に動き、大きい声で騒ぐ。聞こえは悪いが、その様子は、たまらなく可愛らしかった。
私は少しの間、感傷に浸った。何度も思い出した懐かしい日々が脳内に浮かぶ。父と母の包み込んでくれるような温かな眼差し。かつての群れの仲間たちとの考えなしのバカ騒ぎ。それらはもう手に入れることはできないが、私に柔らかい安心感を与えてくれる。私は意を決して、近くにいた一羽に声をかけた。
「はじめまして。これから、よろしくお願いします」小さな声ではあるが相手は反応した。
「あっ.......はい」
その後、相手は迷惑と謝罪が混ざったような絶妙な顔で私に背を向けた。これがたった一回の現象であれば良かったのだが、その後も誰に声をかけても好ましい反応は得られなかった。
私は出来るだけ無心を貫いたが腹が立ってたまらなかった。他人から話しかけられるのは確かに嫌なのかもしれない。群れの中でメンバーがもう決まっているのかもしれない。だとしても、あの反応はないだろう。私は周りにばれないように足の爪を立てた。
「大丈夫ですか?」
唐突に私は声をかけられた。見ると老いた小さなハシブトガラスがそこにいた。ハシボソガラスに見間違えてしまいそうなほどに小さい。私は一瞬、怒りをぶつけてしまいそうになったがやめた。なんか可哀そうだなという哀れみに似た失礼な気持ちが私を支配したからだ。
「さっきから色んな人に話しかけてるので」
「いや、大丈夫ですよ」
「あの、もしかして仲間がまだいない感じなんですかね?」
「まぁ、はい」私に怒りが少し戻った。
「そ、そうなんですか。実は私もなんです。私も」
老いたカラスは意気揚々に答え、続けざまに名前はロン、年齢は7歳などの個人情報を答えた。あとは何かしらのことを言っていたが、あまりにも話が長くて聞き取りきれなかった。
「すいません。久しぶりに誰かと会話できるのが嬉しくて」
ロンは嬉しそうな困り顔で白髪混じる頭を掻いた。まだまだ話し足りなさそうな様子だった。私は、それは良かったですと適当な言葉を返した。色々気になることがあったからだ。
しかしロンは、また話し始めたので、疑問は飲み込んだ。私はロンの長話に付き合った。本当に他愛もない話の繰り返し。けれど不思議と、その時間は楽しく周りのことなど気にする余地もなかった。
3
「群れの皆さん。集まってください。大事なお知らせがあります」
突然、大きな声があたりに響いた。私はロンと話すのを中断し、音の出る方へ近づこうと思ったが、次から次へとカラスが集まりおしくらまんじゅうが形成されていく光景を見て、私とロンは後ろに大きく下がった。
「はい、皆さん。おはようございます」
大きいが、なぜかパッとしない挨拶が周囲に響く。挨拶に答えるものは少なく、ロンのかすれた返事しか聞こえなかった。
「はい、元気な挨拶ありがとうございます」どこがだ。
「わたしが、この群れのリーダーです。声と姿だけでも覚えてもらえたら幸いです。よろしくお願いします」
あいにく私とロンからは何も見えなかった。見えるのは大量の真っ黒な後頭部だけ。黒い芝生があたり一面に広がっているようだった。
「早速ですが、皆さんに大事なお知らせがあります」
周囲の騒ぎ声が違和感を感じるほど一瞬で静まり返る。
「今からですね、他の群れとの交流会のために移動してもらいます。目的は......もうわかってらっしゃいますよね。それでは皆さん、私についてきてください。もしはぐれそうな仲間がいた場合は手助けしてあげてくださいね」
羽同士が擦れる音が連続的に聞こえ出す。たぶんリーダーの話をしっかりと聞いているのは私だけだろう。手前のカラス達は貧乏ゆすりを隠せていなかった。無理もないことだ、気持ちは理解できる。
「それでは、出発します」
カラス達は一斉に鳴き声を上げたのち、一瞬で飛び去った。無数の黒い羽毛が空から、静かに落ちてくる。
あまりの速さに慌てて私は羽を広げ、空に飛び込んだ。無理な姿勢のせいか地中に向かって真っ逆さまに落ちていったが、なんとか体制を修正して、飛んでいくカラスの群れを視界にとらえた。見るとロンは、もう私の前を飛行していた。老いを感じさせないほど身軽で安定した飛行をしている。
「大丈夫ですか。ちょっとでも遅れたら、はぐれてしまいますよ」
ロンが後方の私に大きな声をかけた。少しでも止まる気配はなさそうだった。普通そのセリフは私がロンに言う言葉じゃないか、と考えたが、すぐに切り替え羽をばたつかせた。確かにこのままじゃ本当に置いていかれてしまう。こうなることはわかってはいたが、予想よりも熱量が凄まじい。皆が交流会のために必死で羽を動かし大移動をしている。私はロンの忠告通り、全力で飛んだ。視界に入る山のようなビル群や歩いている人間を気にする余裕はなかった。
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