トラスピア

偏奈 汝(へんな なんじ)

独りの花人

『月の花園』からはるか遠く。地平線まで広がる大地の中に、一人分の足音が響く。文字通りのかすり傷がついた身体で、古代文字の書かれた紙切れを手に、それはたった一人で旅を続けていた。


 名前はシュレディンガー。緑色の葉の髪に小さな白い花を添えた、アネモネの花人である。

 

 それは一つため息を吐くと、その感情をもってして自分を立ち返る。

 そもそも、なぜ自分が考えているのか。周りにいる動く生物と異なる自分が、なぜ思考をしているのか。明らかに植物である自分が、どうして「倦怠感を覚えて、ため息を吐いている」のか。

 

 シュレディンガーは誰かに見つけられたわけではない。一人で出現し、一人で育ってきた。そのため、自分自身が何者なのか。この世界がどういうものなのかについての興味関心が強い。他の花人と会った際には自身と同じような生物がいる驚きで放心し、言葉を知ったときには胸をときめかせた。


 そして今、それは真実にたどり着こうとしている。


 鉄壁の硬さを誇る石のような遺跡。その奥底には、誰にも解読できない古代文字が書いてあるという。その場所がどこにあるのかを、先ほど立ち寄った花人の集落でようやく知ることができた。


 きっと、そこに世界の、そして花人の真実が書いているに違いない。そしたら、自分が何者かもわかるはずだ。そう思ったシュレディンガーは、集落からはるばる遺跡へと歩を進めた。


◆◇◆


 明らかに曲線の加工が施された石よりも硬い建物の中に、シュレディンガーはズケズケと入っていく。中には剪定者と呼ばれる硬質の化物が、大量にそれを狙ってきた。しかし、シュレディンガーも伊達に一人で生きてはいない。


 球体が連なる関節部分に攻撃を当て、次々と剪定者を倒していく。旅の道中も何匹かと遭遇していて、すでに対処法は抑えていたのだ。


 そして、一つ一つの遺跡にある古代文字を読んでいく。花人が使っていた文字体系とは、明らかに違う文字。しかし、その文字に法則性はあり、同じ文字もある程度は使われている。つまり、その文字が何を意味するのかさえわかれば、古代文字も解明はできるはずだとシュレディンガーは考える。


 しかし、明らかに文字の情報が足りない。集落から持ってきた紙切れや、遺跡に刻まれた文字だけでは、明らかに情報量が不足している。その考えにたどり着いたシュレディンガーは、勢いよく剪定者の群れに突っ込んでいった。遺跡の奥地に行くために。


◆◇◆


 身体はかなりボロボロ。腕と思われる枝が、一本ダメになりながらも、シュレディンガーは前へ前へと進んでいく。


 一人。コツコツと、シュレディンガーは木でできた足音を鳴らして前へ前へと進む。ただ自分が何者なのかを、知るために。


 行き止まり。古代文字が書いてある。今まで見てきた文字とは明らかに違う文字。あまり役には立ちそうにない。うなだれるシュレディンガーは、おろした目線の先に、一つの紙を見つける。紙切れではない。しっかりと現存された、一つの紙。そこには、一つの文字の上に小さな二つの文字が書いてあった。


 一つはよく見る文字。複雑な文字と複雑な文字を繋げる時に使うものだ。よく前の方にあって――。


 ……花人が発生する言葉と、酷似している。


 これが物事を行うもののことを繋げる言葉であるのなら、花人も言葉としてよく使っている。「わ」や「が」。である。それなら、他の言葉も同じように繋ぎの言葉があるかもしれない。そう考えたシュレディンガーは、今までの文字も含めて必死に解読を進めた。


 ようやく、自分のことがわかる。そんな思いに、胸を躍らせて。


 そこに、剪定者が襲ってくる。数は三。今までなら大したことのない数なのだが、右腕をやられている今はそうはいかない。


「…………っ!!」


 それでも、シュレディンガーは必死に剪定者と戦い続ける。ようやく、解読ができそうなのだ。何もわからないまま、倒れるわけにはいかない。


 その場にあった剪定者だったものを使って、何とか攻撃を続けるシュレディンガー。しかし、身体の動きが鈍い。怪我のせい……だけではない。それの意識は、古代文字の解読に持っていかれている。


 それでも、一人で戦い続けた勘は鈍りはしなかった。一つの剪定者を壁に激突させ、身動きが取れなくなったところを蹴り上げる。そして、蹴り上げたガラクタは、もう一体の剪定者にぶつかり、動きを止める。


 残った最後の一体には、長細い棒をペンのように回し、間接に詰まらせる。たちまち、動きを止めた剪定者の腕にすかさず蹴りをいれ、花人を刈り取ろうとする腕を剪定者自身に叩きこんで切断した。


 もう、シュレディンガーはほとんど動ける状態ではない。それでも、剪定者を殲滅させたシュレディンガーは急いで紙を確認する。そう、剪定者と戦いながらも、ずっと考えてきたこと。自分の真実……。


 シュレディンガーは、一つ一つ確認するように、言葉を紡いでいく。


「は、な、ひと、わ、われわれの、かたち、を、うばっ、て、できた……」


 少しずつ、シュレディンガーの声が小さくなっていく。


「ひと、げん、の、もぞう、ひん……」


 これが、真実。

 花人は我々の形を奪ってできた、人間の模造品。


 そうか。だから、違和感があったんだ。他の生物の真似をして在り方を奪ったから、いらない機能が多いんだ。

 シュレディンガーがひとしきり納得すると、そこに剪定者が襲い掛かってくる。バチバチと響く音。先ほどの戦ったモノの一体を倒し損ねていたのだ。


「私は人間の模造品、か……」


 シュレディンガー右の口角だけ上げると、そのまま剪定者に身をゆだねる。

 ――大きく振りかぶった刃が、それの身体を引き裂いた。

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トラスピア 偏奈 汝(へんな なんじ) @kizashi_vantan

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