5 そして波乱へ
◇ ◇ ◇
そんな会話をして別れた二年後。
「あの日、僕とキミは運命の出会いをした」と、待ち伏せのうえ告白されるとは、夢にも思わなかった。
「無理、付き合えない」という断りはスルーされ、逆に問われる。
「二年前の4月9日午前9時25分。僕の潔白を鮮やかに立証してくれた滝川さんを、好きにならない方がオカシイと思わない?」
オカシイとは思わない。それよりも、「断れないよ」と断言して、他の男と付き合い「二年も僕を待たせた」と責める方が、断然オカシイと思う。
ただし、この男相手には、良識とか常識はまず通用しないので、告白されてからというもの、わたしはひたすら逃げつづけた。
しかしどうやっても、どこに隠れていても「滝川さん」と見つかる。この追いかけっこに不毛さを感じはじめ、もういっそのこと「受け入れてみるか」となったのはは、元彼から復縁を迫られるちょうど一週間前。
「お試しで三か月。それでどう?」
切れ長の目尻をピクリピクリと二度ほど痙攣させた西湖は、「うん」と喜んだ。
表情筋がほとんど機能しない西湖だけど、それからというもの会話と行動だけは一気に甘くなった。
「今日は何時までいっしょにいられる?」
「明日の初デートだけど。お試し期間中の泊まりはアリ? ナシか……」
そんな西湖を見て、親友の詩織は「信じられない」と、人文学部での様子とのちがいに慄いた。
このように対人コミュニケーション能力が著しく低い西湖であるが、学生という身分とは別に、公にはできないもうひとつの顔を持つ。
これはわたしも付き合いはじめてから知らされたことだが、
「滝川検事のことは僕も知っているよ。捜査協力で何度か顔を合わせたから」
犯罪心理分析官——学生でありながら犯罪心理学研究の分野において注目の論文をたてつづけに発表し、昨年から難事件の捜査協力を求められるようになった彼は、秘密裏に大学内で、専用の研究室を与えられているという。
「滝川さんは僕の恋人だから、研究室に入れてあげられるよ。今からこない?」
誘われたものの丁重にお断りした次第である。
そうしてはじまった西湖始との恋人お試し期間。
その一週間目に、キャンパスの中央にある大銀杏のしたで元彼・太一に「やり直したい」と言われたわけだが、春の嵐はこれだけに留まらなかった。
窓際のカフェテラスから20メートルは距離のある壁に設置された複数の自販機。
それと並行するように置かれたベンチに座り、わたしと西湖の座るテーブルを見つめてくるのは——マリンちゃんだった。
わたしと目が合ったとき。香坂マリンはうっとりとした歪んだ笑みを見せてきた。
マリンちゃんから視線をはずして、「気づいているでしょ」と西湖の顔をみれば、無表情ながらこちらも口角をピクリとさせ「もちろん」と、わたしにだけわかる笑みを浮かべる。
「異常性欲型に分類される香坂マリンが略奪好きなのは、他人の者を奪うという行為が自己を保てる手段であると同時に、性欲を満たす要件にもなっている」
「ロックオンされたみたいだけど」
「迷惑な話だ」
表情筋がないくせに、この男は自分が一番魅力的にみえる角度を熟知しているので、マリンちゃんにその横顔を見せつけるようにして囁いてくる。
「ここでキスでもしてみせたら、あきらめてくれるかな。軽いのにする? それとも濃厚なのがいい?」
その耳元で「阿呆」と囁き返してやった。
「そんなことをしたらマリンちゃんは、あきらめるどころか、火がつくタイプでしょ。キスするまでもなく、西湖君が奪われるなら、元彼みたいにすぐに別れてあげる。今からでもマリンちゃんの誘いにのってきてよ」
西湖の下唇がわずかに震えた。
「ひどいよ。そういって、キスもさせてくれない。香坂マリンに僕を押し付けて、さっさと捨てる気でしょう。僕が好きなのは滝川さんだけだって知っているくせに……他の女の誘いに乗れとか……」
下唇が震えるのは、悲しいときなのだと知った。
「ごめんね」
さすがに言い方が悪かったと謝り、顔が近いのをいいことに自分から西湖の頬に、そっと唇を寄せた。触れるか触れないかのキス。表情に乏しい男でも、赤面はするということを今日知った。
頬を染めた西湖はフリーズしている。
その顔をしばし観察しながら思った。
この春嵐は、いましばらくつづくだろう。
少し前、元彼の太一からは『やっぱり、あきらめきれない』とメッセージが入り、その場でブロックした。
しかしその太一が、カフェテラスの窓の外。春の雨に打たれながら植え込みの影からジッとこちらを見ているのを、わたしも西湖も気づいていた。
そして、20メートル先にいるS級性欲モンスター・マリンちゃん。
春の季節は、待ったなしの展開をみせてきた。
恋人・西湖とのお試し期間がどうなるか。
平穏には過ぎないだろうなと、わたしは波乱を覚悟した。
午前9時25分、サイコな彼と会う 藤原ライカ @raika44
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