ほろ酔い幻想記/さまよう心

秋色

第1話 命令

 時計を見る。午後十時。こんな時間に僕は公園をさまよっている。コンビニで買ったチュウハイを少し飲んだだけで足元がおぼつかなくなり、そしていつの間にか、知らない公園にたどり着いていた。

 こんな時に寄り添ってくれる人もいない。当然だ。会社に就職してからの三年間、いつもパソコンに向かいっぱなしだった。人の顔もろくに見ていない。もうパソコンの中に入ってしまったんじゃないかと思えるくらい。

 今夜、夜空には不思議なくらい、星が輝いている。でも酔ってそう見えているだけなのかもしれない。

 三年前、出社一日目に、会社のカフェテリアでランチメニューのスープを手渡してくれた調理スタッフの人の笑顔がうれしかった。その日、いつかここの人達と仲良くなって、気さくに話せるようになると思っていたのに。

 今日、久しぶりに会社のカフェテリアに行っても、誰一人知った顔はなかった。三年間、カフェテリアに行く事もなく、パソコン前の自分の机でコンビニのおにぎりや弁当を食べてたんだから、知らなくて当たり前か。三年前に戻って人生をやり直したかった。 

 入社式の時、隣の席の新入社員と自己紹介し合った。名札の名前は西藤。大きな声の挨拶に笑ってしまった。社会人初めての友達が出来るんだと思っていた。

 それなのに今日、改めて社員配置表を見てみると西藤なんて社員はいない。訊いてみたら、二年も前に辞めていた。

 入社試験が終わって帰る時、電車の中で見た、夕陽を受ける土手や河原。受かって社員になれたら休みの日にいつか行ってみようと思っていた。でもいまだに行っていない。


 今日、内示を受けた。僕が三月から地方の人口密度の低い営業所へ行かされる事の決まった内示を。


 二十二才から二十四才までの人生で一番良い時代を無味乾燥なオフィスの中で過ごして棒に振った。その時間はもう戻ってこない。

 おまけにここを離れる前に、引継書をパソコン上に残しておくよう、上司からの命令だ。代々ここの業務をする社員は、新しいアイコンを作り、そこに自分なりにまとめた引継内容を残すようになっているのだとか。

 最後の最後に面倒な仕事で頭が痛かった。ようやく終了し、帰る途中コンビニでアルコールを買って味わったところ。本当にこの三年って……。



 一人つぶやきながら歩いていると、公園のライトアップしたモニュメント横の白いベンチに、誰かが腰掛けていて、こちらを見ている。よく見ると上品そうなおばあさんだ。冬だというのに、藤色のワンピースの上にはクリーム色のカーディガンしか着ていない。

 こんな時間に、と思ったけど、それは向こうのセリフかもしれない。


「三年がどうかしたの?」と僕に訊いてくる。

「すみません。変な事を口走ってしまって。酔ってつい訳が分かんなくなって。

 三年間って月日を無駄にしてしまった事を思うとやりきれなくて」

「三年間、どこかへ行っていたの? 」

「いいえ、そういうわけでは。ただ三年間パソコンの前にばかりいて、ろくに陽の光も浴びていないんです。ひたすら仕事ばかりしていて」

「何の前ですって? 逃げ出せないの?」

「さあ。三月から田舎の営業所へ送られる事になりました。そこは逆に暇で仕方ないという話も聞きます」

「田舎へ行くのね。ゆっくりできるわね」

「全然良くないですよ。田舎はつまらないですし、それにこれまでの僕の三年間は一体何だったんだって思います」

「田舎はいいものよ。それに三年、三年って、時間だってそんなになじられると悲しむと思うわ。時間は誰にでも平等よ」

 おばあさんは、そんな詩みたいな事を言う。

「平等なんかじゃないです。時間は、僕には意地悪です。時間を取り戻す魔法があればいいのに」

「時間を取り戻す魔法……。あるといいわね」おばあさんは深いため息をついた。


 僕はここでお喋りしていても仕方がないから、家に帰りがてら夜風で酔いを覚まそうと思った。「じゃあ行きますね」

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