第五章 3 ボクのパドドゥ・本番 1

 まさか!?

 先程の、くるみ割り人形が帽子と仮面を外して素顔になっている。


 でもゆっくりと身体を持ち上げたその姿は、山本さんじゃない。

 違う、明らかに違う。


 そう。

 その姿こそは、夢にまで見ていた先輩の、

 ネギお姉ちゃん、その人だったから。


 ボクの表情が、ハッと驚いた、まさに驚きの表情になった。

 しかし、これは演技ではない。本当に驚いていたから。


 ほんのわずかだが、思わず演技を忘れて立ちつくした。

 ここが舞台の上だという事すら忘れていた。

 顔と顔を合わせ、お姉ちゃんはにっこり微笑み、

 すぐ顔を引き締め、目と口パクで『続けて』と伝えた。

 我に返った。ここは舞台の上だった。


 音楽が追いかけてくる。

 それに合わせて、演技を再開させる。

 喜びに両手を広げ、相手に向ける。鏡のように同じ仕草をするネギ王子。

 2人の両腕が、ハートマークを作るかの様に動く。


 そして互いに距離を取ったところで、くるっと振り向いて、顔と顔で見合わせる。

 やっぱりお姉ちゃんだ。

 でもその表情は演技ではなく、それぞれが本当の喜びの表情になった。

 喜びを通り越して、少し情けない顔になった。

 涙は、堪えた。必死で堪えた。


 でもその仕草と表情が、観ている観客にも伝わったらしい。

 何か起こった。何かが違うと。

 2人の間にある、喜びと、驚きと、そして信頼・心と心でつながる何かと。



「ねぇ、ちょっと、アレ」

「うん。コレ、本物だよね」

 客席で、小さくうなづき合う観客の女の子。

 この2人は、本当に今、恋をしている!!


 プロであれば、その演技はもっとスマートだ。決まった型の『恋する2人』を決まった段取り通りに完璧にこなす。こう来れば、こう返す。コンマ数秒のタイミングで、流れる音楽通りの振り付けで踊る。

 もし演ずる人が代わったとしても、微妙に表現方法が変わるかもしれないが、見る方はその予定調和の中で流れるように動く演技を安心してみる事が出来る。

 同じ曲は誰が演奏しても、誰が歌っても、基本的には同じ。同じ台本なら、誰が振り付けても誰が演じていても、基本的には同じだから。


 でも、この2人はそうではない。微妙に狂う予定調和が、見る方を不安にさせる。

 ヘタなのではない。確かにプロの演技には及ばないが、そういう次元のものではない。

 互いに探り合っている。これで良いの? 触れていいの?

 見つめ合う微妙な表情の中で、ふと目をそらす瞬間。まるでそれぞれが、互いに気持ちを確認し合っている様に。


 だから分かる。これは演じているのではない。

 本物だ。本当に今、恋に落ちた瞬間を、見ているのだと。


 一体、この2人は何なのか?

 もう、一切目を離せなくなった。


 そして、この王子様は明らかに、先程のくるみ割り人形氏ではない。

 あの力強く、筋肉質の武闘派ではない。

 同じ軍服に身を包んではいるが、背はかなり小さい。身体も華奢だ。それより何より、明らかに胸がある。

 この人は女性。男装の麗人。

 まさにタカラヅカの様に、舞台に映えている。


 アリだ。

 これは、絶対にアリだ。

 

 もはや観客は先程までのくるみ割り人形と、完全なる別人であるこの王子様を受け入れ、見惚みとれた。



 クララ・アユミが見ている前で、ネギ王子様は自己紹介をする様に、起立してアンオー。一歩進んでターン。片足を後ろに伸ばしてポーズ、片手を上に掲げてターン。

 そして後ろに駆け足で戻って、大きくジャンプして回転。クルクルと反動をつけて回転した後、さあどうぞと手を前に差し出すポーズをした。

『どうだ? 僕の王子様は』そんなお姉ちゃんの声が聞こえてきそうだ。


 それを見てボクも、ゆっくりとステップを踏んだ後、大きくアラベスクから、パドブレでちょこちょこ歩いてまたターンして、左手を大きく上に上げてのアティテュードで、また見合わせる。

 見て欲しかった。ボクは練習したんだよ。お姉ちゃんに見て欲しくて。こんなに。

 ネギ王子はゆっくり頷いた。


 そこから2人で向かい合って踊ったかと思うと、ボクはつま先立ちでちょこちょこパドブレで逃げていった。

 音楽に合わせて染みついてしまった振り付け通りだが、同時に追いかけてきて、と誘っているのだ。

 それを王子様は、後ろからゆっくりと大股で追いかけてきた。途中大きくペアテで空中回転。追いつかれて、その後ろに立って、一度手と手を取った。

 その触れた指が電気が走った様に痺れた。それを感じて王子様はしっかりその指を、でも優しく包み込むように握ってくれた。ギュッと握りあって、ペアで同じ舞を踊る。共に両腕を大きく振って、重なる様に大きくジャンプする。

 そして、再度手と手がしっかりつかみ合う。ギュッと握る、安心感。幸せ。

 一歩、前に歩いて右足を大きくバットマンで蹴り上げる。そして一歩進んでくるっとターン。


 ボクは山本さんとは、さんざん合わせて練習したが、お姉ちゃんとは一度も組んで練習していない。

 なのに、ピタっと動きが合っている。こっちの動きを予測していて、必死でお姉ちゃんが合わせてくれているのか。

 凄いけど、驚かない。だってお姉ちゃんだから。



「凄いのだ!。ネギもアユミも、一回も合わせで練習していないのに」

「ああ、一応俺が、アユミちゃんとこう練習したよと、王子の振り付け練習というか打合せしたり、花江さんが代理で相手して練習したけどね」

「そうなんだけどさぁ」

 袖から、花江とキーちゃんと山本さんは心配そうに舞台の方を見ていた。

 ある意味、ぶっつけ本番。

 そして一回こっきりの舞台。失敗しても後は無い。

「でも、息が合っているのだ」

「そりゃそうよぉ。あの二人だもん」

 それを信じて、皆が舞台を整えた。皆が共犯者グルだ。

 皆、息をのんで舞台を見守った。



  ――― 第5章 4 に、続く ―――

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