第三章 5 日曜教室の補習

「ふぅ……」

 一気に詰めてやったから、30分で結構クタクタになった。

「どう、何とかなりそうじゃない?」

 先生が心配そうに聞いてくる。

「はい。これなら、なんとか余裕持って対応できそうです」


 先生も、これまでの教えた経験も多かったからか流石にこっちが困っている事が良く分かってくれて、特訓はかなり効果があった。

 よく使うアンジェヌマン、つまりは連続した一連の動きに合わせて、専門用語が覚えやすい様な流れで指示を貰って、また間違えた場合もどう間違えたか、間違えやすいポイントを分かりやすく説明してくれた。

「でも覚えるだけじゃダメよ。しっかり一つ一つ、完成度高めないと」

「分かっています。今までだったら、多分置いて行かれてお仕舞だったけど、これなら、なんとか」

 覚える・間違えないのは最低限として、その流れでいかに綺麗に正確に出来るかも含めて、この短時間に特訓してくれた。


「でも、やっぱり専門用語は難しいです。フランス語なんですよね。これまで全然聞いた事無い言葉ばっかりで、せめて英語だったら、まだ分かる言葉もあったかも」

 そうボクが言うと、先生はちょっと眉をひそめ、

「バレエはね、発祥こそイタリアだけど、それを大きく文化にしたのはフランス。その後ロシアやイギリスでも盛んになったけど、私はバレエ文化の本質の部分はフランスにあると思っているの」

 と、かなり熱く語った。


 それを聞いてふと、聞いてみた。

「ひょっとして、先生。フランス語出来るんですか?」

「ええ、何回か短期留学していた事もあるわ」

「じゃ、フランス語はお手のものですね」

 そう聞くと、ちょっとだけ表情を曇らせた。


「ペラペラって言いたいけど、ダメね。フランス語は難しくて」

「やっぱり、そうなんですね」

「英語はそこそこ出来るつもりなんだけどね。フランス語は文法もややこしいし、男性名詞・女性名詞があるし、何とか日常会話が出来る位。それもかなりデタラメっぽい感じの」

「はぁ……」

 バレエも難しいし、言葉も難しい。正直前途多難だ。


「でもね、言葉は凄く難しいんだけどね」

 先生はそう言った後、ニヤっと笑顔なった。

「フランス語って、とっても美しいの」

「え?」

 言葉が、美しいって……


「多分、洗練してきているんでしょうね。日常の間でも、より美しく聞こえるように。だから文法ルールから外れたりする事も多くて、覚えられないけど」

「そうなんですね……」

「というかフランス人気質がそうなんだと思う。何でも美しさが一番の価値観的な。何でも、より美しくしないと気が済まないというか」

「あ……」


 その会話に突然だけど、ちょっと前に感じた感覚の事を思い出した。

「あの、先生。言葉じゃないんだけど、ちょっと前に感じた事で」

「どうしたの?」


「ボク、トウシューズだけは最初から履いていたけど、ポワントワーク(つま先立ち)するようになったのは、比較的最近で……」

「そうね。そうだったわね」


「初めてポワントでしっかり立てる様になった時、ちゃんと出来ているか鏡、見たんだけど」

「うん」

「鏡の中の自分を見て、何か凄く、言葉に出来ない何かを感じたんです。

これが、ボク? って」

 そう言って、その時のポーズを取った。


 腕を上にアンオーにして、直立して足を前後に重ねて、そのまま、まっすぐに立った状態を見せた。

「そうね。その状態だと、下から上までまっすぐ1本の筋が通っていないと、ちゃんと立てないわ。ある意味、基本中の基本ね」

「そうなんです。この時の自分の状態を、言葉に出来なかったんだけど、今のを聞いて、これが『美しい』って事なんだな、って」

「そうね」


 先生は満足そうに、息を吐いてから、一言、つぶやくように言った。

「Tu es três belle, être confiant.(貴方はとても美しいわ、自信をもって)」


「え? 今、何って?」

「何って言ったと思う?」

 と、意地悪そうな顔して見てくる。


「あの。もっと頑張れ、って?」

 そう言うと、ぷふっと笑って、

「そうね。そういう事よ」

 と、微笑んだ。


 あ、多分、違う。

 でも、でも……

「あの先生、ボク。ボク、またもう少しバレエが好きになりました」


「そう。それは良かったわ」

 先生は先生で満足してくれた様だ。

 

 でもこれで、今週から何とかついていけると思う。

 不安があったら、また来週もしてくれると約束してもらったし。



 今日からは、何とかぐっすり眠れそう。

 ベッドの中で、ボクはそう実感できた。



  ――― 第4章 1 に、続く ―――


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