16 逃亡劇
「うぉぁあああああっ⁉」
屈強な男たちがまるで蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
怪我人が出るような大規模な爆発ではなかったが、追っ手がひるむには十分だった。逃げる二人との間に距離が生まれる。
「
「まさか! そういう名前の植物なのか?」
「正式名称は別にあるが、通称そう呼ばれている。刺激を与えると爆発四散する実は、自然の遊び道具なんだ。親が子供に触らせたくない物の一つさ」
「なるほどな。バルヒェット邸の中庭で拾ったんだ。俺の知ってる植物に葉や実の形が似てたから、もしかして同じ特徴があるんじゃないかとは思ったが」
もちろんここまでの爆発は予想外だった。
植物は種類によって様々な生存戦略を持つ。元いた世界ではホウセンカやカタバミに見られるその特徴は、わずかな刺激でぎっしりと種子を閉じ込めた実が弾け飛ぶ。種子を遠くの地面まで飛ばしたり鳥の羽毛にくっつけて運んでもらったりするのだ。
「お勉強中のとこ悪いが、二人が乗り込んだらすぐ出すぞ! 合図しろ!」
ジンとシュテフィは荷台に駆け戻った。
数秒後、飛び込んできたドミニクとオリーヴィアを受け止め、それぞれ荷台に引っ張り上げる。
「イーヴォ、頼む!」
「よし、全員しっかりつかまってろ!」
「お嬢様ぁ!」
「ごめんなさい、ルトガー! 元気で!」
オリーヴィアの興奮と惜別の入り混じった叫びが甲高く尾を引いた。
ピシッと勢いよく鞭が打ち下ろされる音がして、
それからアバクスを出るまでどのようにして町を走り抜けたのかはあまり覚えていない。
というのも、悠長に外の様子を伺う余裕はなかったからだ。
イーヴォの積み荷、オリーヴィアとドミニクの旅支度、そして四人を荷台に乗せた馬車は尋常じゃないほどに揺れた。
立っていることも座っていることもままならない。そもそも人を乗せる想定でなく特につかまる場所もない荷台に、なんとかしがみついていないと全身に青あざを作るはめになる。最悪、荷台から放り出される。
猛スピードで通りを駆け抜ける馬車は案の定周囲の大
悲鳴と怒声が後ろから追ってくる。覆面しているのをいいことに、どうやらイーヴォは手加減なしにぶっ飛ばしているらしい。たしかに追いつかれては困るのだが。
「ヒョーォ! 一度やってみたかったんだよなァ!」
そう叫んでいたのは確かだ。
もう一人、明らかに興奮を抑えられていない人物がいた。
「すごい、すごいわ」
「オリーヴィア様、姿を見られます!」
「おい、危ないって! ちゃんと引っ込んでろよ!」
ドミニクとジンの静止も聞かず、幌の隙間から首を突き出してオリーヴィアは外を見ていた。
彼女の視界では今、生まれ育った街並みが爆速で遠ざかっているのだろう。
「本当に。私、逃げるの。本当に」
言葉の意味を噛み締めるように、オリーヴィアは何度も繰り返した。
やがて馬車はスピードを落とした。
激しかった揺れも畦道を走る細かい振動に変わった。どうやら町の外に出て追っ手も振り切ったようだ。
シュテフィはずっと自分の手を見つめていた。
「一体なぜさっきは魔法が使えなかったのだろう。こんなことは生まれて初めてだ」
「今は使えるのか?」
「
ジンの目の前で崩れ落ちた積み荷が綺麗に積み重なっていく。
「しかし翻訳の魔法だけは途切れなかったようだね」
「本当だ」
あの瞬間、全ての魔法が使えなくなっていたとすればジンは誰の言葉も理解できなかったはずだ。こうなるとますます分からなくなってくる。
魔法が使えない状況と使える状況、使えた魔法と使えない魔法にどんな違いがあるのだろう。
オリーヴィアとドミニクは馬車の後部に並んで座り景色を眺めていた。
いつの間にか辺りはのどかな田園風景に変わっていた。
家からアバクスやストウブまでの道中もそうだったが、人家の集まる町の周辺は栄えているものの、それ以外はどこまでも自然豊かな土地が続いているというのがこの辺りの地形の特徴らしい。
RPGの緑色のフィールドマップの中にぽつぽつと町が点在するイメージだろうか。以前、竜の背中から地上を見下ろしたときもそんな景色だったなとぼんやりと考えた。
二人の後ろ姿を見ながら、ジンは屋敷で聞いたオリーヴィアの話を思い出していた。
オリーヴィアとドミニクが出会った場所もひょっとするとこんな街道だったのだろうか。二人がたまに言葉少なに交わす会話は聞こえなかったが、ひょっとすると思い出話をしているのかもしれない。
気がつくとジンは微笑みを浮かべていた。
捕らえられたときはどうなることかと思ったし、ルトガーたちに追われたりシュテフィの魔法が使えなくなったりと予定外のトラブルもあったが、なんとか全て上手くいきそうだった。
初めは二人を手伝うことに葛藤もあったが、睦まじく寄り添っている二人を見ていると、まあとんだ巻き添えを食ったが協力してよかったと思えるのだった。
そのとき、ふと馬車が止まった。
「お客さん方。見えたぜ」
イーヴォに促されるまま一行は馬車を降りた。
三百六十度、地平線まで見通せるようなだだっ広い大地。進行方向の空は今、沈みゆく夕日で真っ赤に燃えている。
橙色に染まった畑に挟まれて真っ直ぐに伸びている農道の先に小さく町が見えていた。エッケだ。
「悪いが町までは送れない。誰かに見られて足がついたら困るからな。ここから歩けば三十分もしないうちに町の入り口に着けるはずだ」
「ええ。もちろん、それでかまいませんわ」
オリーヴィアは素直に頷いた。
三つある旅行鞄のうち、取っ手に布の巻かれた二つがオリーヴィアとドミニクの荷物だった。
何も巻かれていない鞄を開けると大金が入っていた。確かに500万ツェルクある。
夕日を背にしてオリーヴィアとドミニクはジンとシュテフィに向き直った。
「ここまで送り届けていただき、本当にありがとうございました。……あなた方には随分とご迷惑をおかけてしまいましたけれど」
「もういいよ」
ジンは苦笑した。わだかまりはもはや一つもなかった。
シュテフィが一歩進み出る。
「どうぞ、お元気で」
「二人で仲良くな」
「はい……! わたくし、必ず幸せになりますわ。ドミニクと……お二人みたいな素敵な夫婦になりますわ」
若干誤解があるようだったが、別れに水を差すのもはばかられ、ジンは背中越しに手を振るに留めた。ゆっくり歩いて馬車まで戻る。
馬車に乗ってからというものドミニクは口数も少なく、最後までジンたちと目を合わせようとしなかった。きっと照れているのだろう。二人が幸せになれるのなら何でもいい。
背後でオリーヴィアのはしゃいでいる声が聞こえる。
「ねぇドミニク、明日の朝……夜が明けたら、一番最初に何をしたい?」
「すみません。オリーヴィア様」
ボフッという枕を力いっぱい殴りつけたような音とくぐもった呻き声がほぼ同時に聞こえた。
ジンは後ろを振り返った。
「ど……して……」
かろうじて言葉を漏らし、オリーヴィアはドミニクの腕の中に崩れ落ちた。
「は?」
「鞄を渡せ」
無機質な声音でドミニクが言い、空いた左手を催促するように動かす。
「ドミニク。おい……なんだよこれ」
「交換条件だ。鞄と引き換えにオリーヴィア様を引き渡す」
御者台で一部始終を見ていたイーヴォが怒鳴った。
「ふざっけんなガキ! それはオレらの金だ!」
「――分かった。俺の取り分の150万ツェルクを払うよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます