9 おじいちゃん
ジンが自転車からアンネを降ろしていると、落ち葉を踏みしめてシュテフィが歩いてきた。
「妨害?」
「うん。チェーンを外されただろう? それに私の飛行魔法を無効化する魔法を使ってきた」
「魔法って……この森に他の魔法使いがいるのか?」
「アルドスだとおもう」
答えたのはアンネだった。
「待ってくれ。アルドスも魔法が使えるのか? 妨害ってどういうことだよ」
「わかんない。でもアルドスはもりにはいってほしくないんだとおもう。ずっと、ちかづくなっていわれてたから」
アンネは俯いた。
「お前はアルドスの病気を治すために医者を探してたんだろ? それなのに、なんで妨害されるんだ?」
「そういうことか」
考え込んでいたシュテフィが言った。
「そういうことならば、おそらくもう大丈夫だ」
「何が大丈夫なんだよ」
「さっき私は警告したんだよ。手を出すな、とね。そして、分かってもらえたと思う。森に入ってほしくないのが彼の望みらしいが、私たちはもう入れているだろう? 今は攻撃もされてない」
「危うく死ぬところだったんだぞ」
やけに確信めいた口調だったがジンには信じられなかった。もう一度攻撃されない保証がどこにあるというのか。
しかしシュテフィは首を横に振った。
「さあ行こう。防護魔法は完璧だがこの森に長居しないに越したことはない。アンネ、アルドスのところまで案内してくれるかい?」
「……うん!」
自然にシュテフィは話しかけ、アンネも当初の目的を思い出したようにはっとして歩き始めた。
俺の心労は一体なんだったんだ? ジンは思わず愕然としたが、ついていくほかない。鞄を背負い、二人の後を追う。
アンネの案内でジンたちは森を歩いた。先頭にアンネ、その後にシュテフィ、ジンが続く。
シュテフィは一体何を根拠に安全と判断したのだろう。半信半疑のジンはしばらく周囲を警戒していたが、シュテフィの言う通りその後不可解な出来事は起こらなかった。
様子がおかしいのは彼女自身だった。
道すがらシュテフィは時折足を止めてぼーっと遠くを見つめていた。
裸の木々が立ち並ぶ森は殺風景で特に注目すべきところもない。目的地に着いて気が急いているのだろう、アンネはどんどん先へ行ってしまうので放っておくとはぐれてしまう。その度にジンがシュテフィに声をかけて歩かせた。
森に入ってからというもの彼女はどこか上の空だった。そんな姿は初めて見る。
「大丈夫か?」
四度目にジンが声をかけたとき、シュテフィは枯れた低木の側に立ち尽くしていた。ジンに気がつくと我に返ったように顔を上げた。
「ああ……すまない」
「ひょっとして、痛むのか?」
元はといえば自分が仕掛けた罠だが罪悪感はある。片頭痛には素直に同情する。ジェスチャーでこめかみを指し示すと彼女は苦笑した。
「まあね。でも、今はその方がいい」
そう言って再び歩き出す。
シュテフィの表情がやけに胸に引っかかった。どこかいつもの彼女とは違うような気がする。それが何なのかは分からないが。
どこまでも同じような景色が続いていた。枯葉の敷き詰められた地面、白化した木々。まるでセピア写真の中に潜り込んだようだ。
ジンはダメ元で道端の木の枝を折ったり樹皮を剥がしたりしてみた。どれも見事に枯死していた。やはりここへ来るまでに見た森と同じく元々は幹が褐色のトウヒの木のようだ。おそらく化学反応の影響で枯れるときに白化している。あるいは、魔法というべきか。
地面に突き立った枯れ木は巨大な生物の骨を思わせた。まさしくここは墓場だ、とジンは感想を持った。
やがて道は緩やかな上りになった。坂と平坦な地面とを何度か繰り返し徐々に傾斜がきつくなり、小高い丘を登っていたとき、ほとんど小走りになっていたアンネが頂上付近で急に立ち止まった。
「アルドス!」
到着の報告代わりにアンネは斜面を向こう側へと駆け下りた。遅れてシュテフィ、ジンも丘の上に立つ。
話に聞いていた通りだったが実際に姿を目にすると呆気にとられる。
見上げるような大樹がそこにあった。
幹の下半分は既に白化している。遠目にも巨木であることは分かっていたが、近くで見ると凄まじい大きさだ。ジンの立っている場所からは大樹の側面を見ることすら叶わない。幹の直径がシュテフィの家を優に超える太さだ。
周囲の地面には真っ白な太い根が張り巡らされていた。それですら大人の身長を越える高さだ。アンネは走っていき根の一つに飛びついた。
――やはりお前だったか――
そのときジンの脳内に声が響いた。
耳では何も聞こえない。しかし確かに誰かが話した。思わずシュテフィを見る。彼女は視線を大樹に向けたままゆっくり頷いた。
根に抱きついたアンネがはしゃいだ声を上げる。
「あたし、アルドスのびょうきをなおしてくれるおいしゃをみつけてきたの!」
――ここに戻るなと何度も言っているだろう――
「きょうはだいじょうぶ! どくがきかないまほうかけてもらってるから!」
ざわりと風が吹き、枝に残ったアルドスの少ない葉を揺らした。ジンには彼がかがんでアンネを覗き込んだように思えた。
――たしかに高度な防護魔法がかかっている。覚えのある魔法だ――
「私です」
シュテフィが斜面を滑り降りた。アルドスの前に進み出て上方を見上げる。
唐突に突風が吹いた。
丘の上のジンは風に煽られてバランスを崩した。両腕で顔を覆い必死に地面にうずくまる。腕の隙間から、森の中を風が四方の枯葉を巻き上げながらこちらへ向かってくるのが見えた。暴風の中心にいながら微動だにしないシュテフィの巻き上がる長い髪が見えた。
――驚いた――
やがて風は止んだ。アンネは根と根の間で風を逃れていた。再び脳内に声が響く。
――たしかに覚えのある波長だった。まさかとは思ったが。同時に、この波長の主ならば安全に森に入れるだろうと思った――
「そう受けとってもらえると思いました。お嬢さんをこれ以上毒気に晒すわけにはいかないのだろうと」
シュテフィは目を伏せて答えた。
アルドスは続ける。
――それで、何をしに来た。もはや国にどうこうできる土地でもあるまいに――
「軍は退役しました。今は西の森で調合師をしています」
――ほう。君は対人専門と思っていたが。植物も守備範囲かね――
「あ。それは俺です」
会話に交じる隙をうかがっていたジンは慌てて斜面を下りた。途中よろけて無様に転びそうになったが何とか体勢を立て直しシュテフィの隣に立った。
改めて前にすると大樹は荘厳だった。あまりの巨大さと神々しさに本能的に畏怖を覚える。
子供の頃に教科書で見た世界自然遺産の屋久杉をジンは思い出した。写真でしか見たことはないがそれよりもはるかに大きい。
目や顔があるわけではないのにじっと観察されているのが分かった。ごくりと唾を飲み込んだ。
「ジンといいます。彼女の元で庭師をしています」
――ほう――
「アンネの依頼を受けたのは俺です。俺があなたを診察します」
ジンは手近な根によじ登った。先に上っていたアンネが手や足がかりになる場所を教えてくれる。どうやら手伝うつもりのようだ。
木の根元に着くとジンは鞄を地面に下ろした。
シュテフィに渡された鞄には薬剤が詰まっていた。治療の際にはヒントをもらうとして、まずは植物の状態を把握する必要がある。
ジンは鞄から十徳ナイフと木槌を取り出した。元の世界から持ってきた物とシュテフィの家にあった物。今日のところは間に合わせだが、いずれきちんと道具を揃えるつもりだ。
持ってきた植物関連の本の中に樹木医に関する本があった。付け焼刃の知識だが植物の状態ぐらいは判別できるはずだ。
失礼します、と声をかけ、白化した部分の樹皮をナイフで少し剥がす。他の木同様、内部は乾燥していて枯れている。厳しい状態ではあるが想定の範囲内だ。次に、密度を確かめるべく木槌で幹を叩く。
「え?」
思わずジンは瞼を見開いた。繰り返し二度、三度、叩く。
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