5 魔女の理由

「ここは元々は知り合いの家でね。縁あって私が引き継いだんだ。この春から、ここで調合師をしている」

「調合師?」

「魔法薬の。材料に魔法動植物を使ったり、作業工程で魔法や魔力を要する薬のことだ。私の専門なんだ。調合師としての腕もなかなかだぞ? 君にもよく効いただろう」


 仁ははっとした。再び夢の情景が蘇る。

 たしかに、池のほとりで目を覚ましたときは異様に体が軽かった。それで大事ないだろうということで病院に行かずに直帰したのだ。今度こそすべてが繋がった。


「あの夜、池に落ちた俺を助けてくれたのはあんただったのか」

「たまたま君を見つけたんだ。ここ最近、私は異世界にここと似た条件の場所を探し求めていた。そこで君の世界にたどり着いたというわけさ。あの日も、あの公園で植物の生態や庭の管理方法を調査していた。まさか溺れる人間を観測するとは思いもよらなかったけれどね」


 シュテフィが屈託なく笑い、仁は頬が熱くなるのを感じた。不覚だ。


「君は完全に気を失っていたし、あの場ではどうしようもないからここに連れてきた。大分衰弱していたけれど調合薬を投与したら回復したので、頃合いを見て池のほとりに戻しておいたんだ」


 まるで野生動物を保護したような言い方だったが、仁は腑に落ちた。

 道理でやけにリアルな夢だと感じたわけだ。やっと謎が解けた。

 しかし、まだ分からないことがある。


「なぜ俺を探してたんだ?」


 シュテフィは苦笑した。


「ご覧の通り、私は植物の世話が不得手だ。調合師としてやっていこうにも、これでは材料の管理すらままならない。独学で学ぶのにも限界を感じている……そこで、君の力を借りたい」

「……なるほど。動機は理解した。たしかに俺は他人より少しは植物に詳しいかもしれない。でも、所詮は素人レベルだ。ましてやこの世界の植物のことは何も分からない。教わるならもっと他に相応しい相手が――待てよ。そもそもなんで俺に植物の知識があると知ってるんだ?」

「それはほら、これさ」


 シュテフィが何か投げて寄越した。仁は片手で受け止める。USBだった。


「君の世界の記録媒体だね、それは。池の周辺に落ちていた。悪いが勝手に中を見させてもらったよ」

「……見たなら尚更分かるだろ。俺の専門は植物じゃない」

「たしかに君の言う通り、中のデータは植物とは無関係の建物の設計図や積算資料だった。こう言っては申し訳ないが、正直全く情熱を感じなかったよ。あれらはただの義務感から描かれた空虚なものだ」


 仁は怒る気にもなれない。

 シュテフィの感想は的を射ている。仕事に対する情熱は全く無い。けなされたところで何も感じなかった。


「ただ――ある一つのデータを除いては」


 シュテフィの視線が真っ直ぐに仁をとらえた。


「それは、ある庭園の設計図だった。自由で、奔放で……無謀で荒唐無稽だった。予算や環境、現実的な問題を度外視した夢の塊のような庭だった。その他の設計図と比べてほとんど実現不可能の代物だ」

「別に、仕事の息抜きに戯れで描いただけだ。本気で作ろうなんて思っちゃいないさ」


 反射的に仁は反論していた。シュテフィが驚いたように目を丸くする。


「君、それは嘘だろう? あの設計図を見れば分かる。あれはなんとか理想を現実にしようともがく人間の跡だ」


 彼女はパチンと両手を打ち合わせた。頬が興奮したように上気している。


「素晴らしかったよ……! あれは、情熱を感じる素晴らしい仕事ぶりだった。これを描いた人間ならば間違いなく植物に詳しく、そしてきっと助けになってくれると思ったんだ」


 仁は黙ってシュテフィに背を向けた。

 赤くなった顔を見られたくなかった。


 人にとって子供の落書き帳のようなものだった。退屈な仕事、現実の苦痛から目を逸らし、逃げ込むための夢の庭。

 最初はそれだけだった。だから現実的なことは考えず、己の理想を詰め込んだ。

 しかし、いつからか実現可能なものを作りたいと考えるようになった。たとえ一生手の届かない星でも、たどり着くまでの航路を考えることはできる。それからはいかに現実を理想に近づけるかに注力した。


 誰にも話したことのない、自分だけの拠り所。

 何もかも初対面の彼女にあっさりと見抜かれてしまった。


 やがて仁は観念したように嘆息した。

 窓際に立つシュテフィの隣に並ぶ。先程彼女が置いた鉢を手に取る。


「この子は――おそらく日当たりと風通しの良い場所が好きだ。窓辺も悪くないけど、一番は外に置いてやるのがいい。むしろこれだけ広い土地があるのなら地植がいいと思う。鉢と違って根を伸ばせる範囲に制限がないからどんどん大きくなれるはずだ」

「そうだったのか。では、早速今日からそのようにしよう。今まで窮屈な鉢で失礼した」


 彼女は身をかがめて植物に顔を寄せた。言葉の後半は〝彼〟に向けられていた。

 植物の世話が壊滅的に下手だったり、説明もなくいきなり人を異世界に連れてきたり。破天荒で謎めいているが、悪い人間ではないのかもしれない。そう仁は思う。


「誰にでも苦手なことはある。俺に分かることなら、アドバイスくらいしてもいい。命を救われたみたいだしな」

「……本当に?」


 シュテフィの青い瞳が真っ直ぐに仁を見つめた。今までにないほど真剣な眼差しだった。仁はうろたえながら頷く。


「……ありがとう。本当に助かる」

「ああ。気にするな」

祝祭のパイフェストクーヘン作りをためらうな、だ。そうと決まれば早速契約書にサインを貰ってしまおう」

「なんて? ――……契約書?」


 仁が顔を上げると、シュテフィが机の引き出しから一枚の用紙を取り出したところだった。

 黄みがかった用紙にアルファベットの筆記体のような文字が書き込まれている。最下段に署名欄がある。仁には何が書かれているのか読めない。シュテフィが朗々と読み上げる。


「以下の者を、雇用主シュテファニ・リュッゲベルクの名の下において正式に雇用するものとする。職業、庭師。職務内容はこの家及び敷地内の庭すべての植物の管理。給与は──相場程度しか出せないが、そうだな……新生活を始めるにあたって何かと入用だろうから、給与一月分として祝い金を出そう。雇用期間中は住み込みで勤務してもらう。三食寝床付き。その他必要最小限の生活にかかる費用は徴収しないものとする。以上の」

「ち……ちょ、ちょっと待て!」


 シュテフィの朗読を仁は途中で遮った。

 それはまるで雇用契約じゃないか。


「これは雇用契約だ。ここで私の専属の庭師になってほしい」

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