月と篝火
銀竜の四肢がひび割れ、砕けて散った。
雪上に投げ出されたフランは、辺りを見回して途方に暮れた。
「……はは……」
降り注いだ雪崩は、あたり一面を再び雪景色に変えていた。
わかっている。今すぐ、クルーエルを助けなくちゃいけない。
もし魔力で身体を包んでいたとしても、そう長くは持たない。
そもそもクルーエルは、もうオドのほとんどを消費してしまったはずだ。
でも。
フランは一面の白を見渡す。
この状況で、わたしに何ができる?
キャンプやルクレツィアの異次元鞄も、すべて雪に飲み込まれてしまった。
箒がなければ、助けを呼びにいくこともできない。
かといって、他に使える道具もない。
あるのはこの身体と、一振りの杖だけ。
「どうしろってのよ……!」
焦りが思考を邪魔する。
急がなきゃいけない。でも、どうすれば?
手当たり次第に魔法で雪を溶かす?
駄目だ、いくらなんでも魔力が持たない。
大声をあげて走り回る?
雪は音を吸い込む。埋まったクルーエルに届く確証がない。
どうしよう。どうすればいい。どうすれば、あの馬鹿に手が届く?
それとも──もう諦めるか、フランドール。
「冗談でしょ」
浮かんだ弱音をすぐに打ち消して、フランは杖を握りしめた。
ご冗談がきつい。それじゃ、クルーエルの勝ち逃げじゃないか。
一生、水面の月を追いかけるなんて絶対ごめんだ。
手を伸ばすなら、天高くとも、確かに在る月がいい。
いつか必ず掴まえるから、そこに在る月がいい。
†
篝火のようだ。
寄る辺ない闇夜を照らす、真っ赤な炎に似ている。
初めて会った夜からずっと、クルーエルはそう思っている。
いつも強気で、誇り高くて、負けず嫌いで、堂々としていて、クルーエルが望むすべてを持っている。そんな女の子。
本当は、ずっと憧れていた。
約束をくれたあの日からずっと。
ハイドランドの薄暗い森の奥で、湖の底まで凍てつくような長い冬を越えることができたのは、たったひとつ、フランとの約束があったからだ。
物心ついてから魔法の練習ばかりで、母が死んでからはずっとひとりぼっちだったから、どんな顔でどんな話をすればいいのかわからなくて、素っ気ない態度ばかり取ってしまったけど。
自分のことが嫌いで、自分なんていないほうがいいと思っていた時間が長すぎて、長く踏み固められた根雪のように凍りついた心が、それを認めようとしなかったけど。
本当は、友達になりたかった。
特別な、一番の友達に。
真実を知って、それでも怖がらずに近づいてくれて、嬉しかった。
人気のない場所で手を繋ぐたび、これが夢じゃないことを祈っていた。
その度にフランの小さくて柔らかい指の感触が、これが現実であることを教えてくれた。
今さら本心を打ち明けることなんて出来なくて、口先ではずっと憎まれ口を叩いていたけど、本当はずっと、どきどきしていた。
お出かけしたときも、一緒に温泉に入ったときもそう。
どきどきして、楽しかった。
子猫同士が柔らかい爪で引っ掻き合うような下らない言い合いのひとつひとつに、胸が跳ねて堪らなかった。
だから、気がつけば竜を操っていた。自分ではなく、フランを助けるために。
間に合って良かった。
誰よりも綺麗に燃えている、私の
どうか、こんなところで消えないで。
凍てつくような雪の下で、今にも消えそうな魔力の殻に身を包んだまま、ただ祈る。
そうして、どれくらい時間が経ったのだろう。
ほんの数分だったかもしれないし、何時間も過ぎたような気もする。
なにか、声が聞こえた気がした。
耳を澄ますともう聞こえなくて、幻聴だったかと思い直す。
魔力の殻も限界だ。断熱効果が失せて、寒さが肌に沁み込んでくる。じきに呼吸もできなくなるだろう。
もう長くは持たない。
後悔はしていないが、心残りがないといえば嘘になる。
一度くらいは、素直になっておけばよかったな。
ひどい眠気が、クルーエルを包み込んだ。
意識が闇に落ちる寸前、もう一度声がした。
「………エル!」
また幻聴?
「……こえるなら、返事しなさいよ! この、ばか! ばかーっ!」
……じゃ、ない?
「──わたしはまだ、諦めてないからね!」
今度は、はっきり聞こえた。
嘘。嘘だ。いや嘘じゃない。
どうやってかは知らないけれど、すぐ近くにフランがいる。
くたばりかけた心臓が脈を打つ。
意味がわからない。いつもいつも、どうやって私を見つけてくるんだ。
でも、本当に、そこにいるのなら。
クルーエルは、尽きる寸前の魔力の殻を光に変えた。ほんの僅かな明滅。
死にかけの蛍みたいな、最後の光。
それを最後に、クルーエルの意識は闇に溶けた。
†
光った。
今、確かに光った。
フランは杖を引き抜いて、もどかしさを堪えながら魔法を紡ぐ。
【火よ、氷を鋳溶かせ】
雪下にいるはずのクルーエルを傷つけないよう、火力を抑えた熱の魔法。
じりじりしながら、フランは溶けていく雪を見つめた。
光はもう消えている。見間違いじゃない。
じゃない、はずだ。
でも、と不安が頭を過ぎる。もし間違いだったら。
ここにいて。お願いだから、わたしに助けさせて。
祈るような気持ちで雪を溶かし続ける。
そして。
「──……見つけた!」
灰色をしたローブの端が見えた。
杖を放り投げ、熱に緩んだ雪を素手で掻き出す。
赤く染まった指先が痛みを訴えるけど、知ったことじゃない。
「クルーエル!」
ようやく掘り出して、肩を揺さぶる。
だけど反応がない。
「ちょっと、嘘でしょ……」
胸に耳を押し当てる。かろうじて鼓動しているけど、ひどく弱々しい。
なにより、全身のどこからも魔力を感じなかった。さっきの光が、文字どおり最後の一滴だったのか。
オドは生命力の源だ。それなくして、人は生きられない。
だったらもう、ひとつしかないだろう!
フランは雪に膝をついて、クルーエルの唇に唇を重ねた。
氷みたいな唇をこじ開けて、前歯の隙間から舌を捩じ込む。涎が口の周りを汚すのも無視して、出鱈目に舌を動かした。
「──ぷはっ」
すぐに息が苦しくなって顔を上げる。息を吸って、もう一度。
舌を絡めるたび、ぞるりと身体からオドが抜けていく。生命そのものが奪われる感触。悍ましくて、ぞわぞわする。
でも止めない。
助けられたままなんて真っぴらだ。負け通しなんて死んでもごめんだ。
これでお終いなんて、もう会えないなんて絶対に嫌だ!
「ばかクルーエル。わたしの
噛み付くように口づけして、舌先からありったけのオドを流し込む。
深い交わりを三度。離した唇に銀の橋が架かる。
呼吸を整えて、四度目の口付けをする直前。
クルーエルが、ゆっくりと目を開けた。
「……………フラン……?」
「クルーエル」
ああ、よかった。
ぐす、と鼻が鳴る。
寒さのせいだ。そうに決まってる。視界が滲んでいるのも。泣いてなんかいない。
こいつのために、涙なんて流してやらない。
「ばか。この、ばか。ばかぁ……」
「あなたの語彙、どうなってるの」
「うるさい、ばか」
ふと、白い手が目に留まった。雪に冷やされて、色を失った手。
その手を掴んで、自らの頬に押し付けた。冷たい。でも、触れているとその奥に息づく熱を感じる。
クルーエルがぎょっと目を見開くけど、無視をした。
「よかったぁ」
手のひらを頬に擦り付ける。
よかった。暖かい。生きている。ちゃんと。
「よかった。本当に、死んじゃったかと思った……」
「……そんなわけ……」
クルーエルが口を開きかけて、閉じて、もう一度開いた。
「フラン」
「なに?」
「ありがとう」
「へっ?」
腕が伸びて、フランの首に巻きつく。
逆らう間も無い。抱き寄せられて、囁かれた。
「だいすき」
「は?」
「ありがとう。私を見つけてくれて」
「──はあ!?!!?」
いきなり何言ってんのばかじゃないの意味わかんないし急過ぎるしばかばかばかばか、なんてフランの悲鳴が、春の雪山にこだました。
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