憧れ
クルーエルの全身から、奔流のような魔力が吹き出した。
【氷よ風よ光よ】
精霊に表情はない。それでも、隠し切れない動揺が伝わってきた。
【竜を為せ】
五年前と同じ、竜種の仮想精霊召喚。
かつてフランを圧倒した、氷の竜が顕現する。
竜は翼を広げ、凶暴な爪を剥き出しにして精霊へ飛び掛かった。
フランは詰めていた息を吐いて、クルーエルの背中を見つめる。
月みたいだ、と思う。
クルーエルは月に似ている。
フランの頭上に輝く、冴え冴えとした銀の月だ。
どれだけ手を伸ばしても届かないのに、逃げ出しても追いかけてきて離れない。
もしかしたら、一生、届かないのかもしれない。
でも。
フランは自身の杖を構え、魔力の流れに集中した。
身体の中、オドを呼水にしてマナを取り込む。
一連の流れに、一切の淀みを起こさない。
どこまでも丁寧に、手縫いの織物を編み上げていくように。
【火よ】
今だけは、認めてやってもいい。
本当は、ずっと憧れていた。あの魔法に。クルーエルに。
憧れと悔しさは同じコインの裏と表だ。あの日、クルーエルに出会ったから今のフランがいる。
そうでなければ、今も何も知らない井の中の蛙のままだったろう。
瞼の裏に
月は今、目の前にいる。
「これくらいできるだろう」とでも言いたげな紫紺の目で、フランを見ている。
【風よ】
だからもちろん、簡単なのだ。
どんなに難しい課題でも、簡単な振りをして、鼻歌混じりにクリアしてやる。
例えそれが。
【──龍を為せ!】
あの日仰ぎ見た、最高難度、竜種の精霊召喚であっても。
焔が吹き上がり、硬く凍てついた根雪が溶けていく。
身体の中が焼けるように熱い。魔力の量も変換速度も、未知の領域だった。
最高速度で、障害物だらけの空間を飛んでいる。これはそういう感覚だった。
一瞬でもミスれば酷いことになる。暴走した魔力は、簡単にフランを焼き尽くすだろう。
だからこそ、ひりつくような興奮を感じていた。肌から吸い込んだマナの一滴一滴が、身体のどこを流れているのか手に取るように分かる。
流して、捏ねて、形を変えて、励起する。
楽しい。今なら、なんだってできる気がした。
フランの魔力は、龍の形へと収束していく。
火の龍だ。
翼のあるクルーエルの竜とは違う。
例えるなら、蛇に似ている。
レインフォレストの家紋に描かれた、大樹に巻きつく大蛇のようにも見える。狡猾で、嫉妬深く、悪知恵の働く──
でも、やっぱり違う。これは龍だ。
角と鬣を持ち、鉤爪のある手を備えた龍。
クルーエルの銀竜が、精霊の生み出す氷壁を噛み砕いた。
銀竜は、大半が氷のマナで作られている。氷の上級精霊にはダメージを与えられない。
だから、わたしがやる。
「あんたのペットに手を出したのは謝るわ」
杖を振り上げて、魔力を送り込む。
「だけど、氷漬けになってやるわけにはいかないの。わたしにはまだ、人生懸けてやらなきゃいけないことがあるのよ」
フランの火龍が、大きく息を吸い込んだ。
──
灼熱が奔る。
眩しい炎は、銀の竜もろとも、すべてを飲み込んでいく。
火龍は全身すべてをブレスの閃光に変えて、幻のようにかき消えた。
「………………あーあ……」
光が消え、目の前に現れた光景を確かめて、フランは仰向けに倒れこんだ。
神経が焼き切れてしまいそうな興奮は、既に身体から消えていた。
青空に向けて叫ぶ。
「負けた!」
片翼と身体の半分を失いつつも、炎に耐え抜いたクルーエルの銀竜が、「くるる」と鳴いた。
吹き下ろしの風が吹く。
一面の雪景色は全て溶け、剥き出しの大地に白い花が揺れていた。
疲れに任せて、目を閉じる。
「いたっ」
ペチッと、顔に何か冷たいものが当たった。
二発、三発と立て続けに。
目を開けて身を起こすと、ずいぶん可愛らしいサイズに縮んだ精霊が、フランに小指の先ほどの氷を投げつけていた。
指先で摘み上げると、手足をばたつかせて抗議する。
「ねえクルーエル、これ」
「ずいぶん可愛らしい姿になったわね」
「じゃなくて。これ、檻に入れてあげたら? 上級精霊たってこのサイズじゃ、放っておくと消えちゃうかも」
ついでに課題もクリアできるし。
魔力も小人サイズとはいえ、人形の上級精霊は魔法属でも最高位。
図らずも、当初の目的を達成した形になる。
クルーエルが腰に手を当てた。
「あなたが仕留めたんだから、あなたが捕まえればいいでしょう」
「無理。わたし、めちゃ嫌われてるし」
さっきから絶え間なく氷の粒を投げつけられているのが証拠だ。
火を主属性に持つフランと氷の精霊じゃ、相性が悪すぎる。
「……なら、遠慮なく」
クルーエルは地面に落ちていた檻を回収し、氷属性のマナを餌に精霊を捕らえた。
精霊は従順だった。
彼らは自然の化身であって、知性や意思はない。相性がよく、自らより強いものには従う。
これで課題は達成。あとは帰るだけだ。
フランは足を大きく振り上げ、跳ねるように起き上がった。
その瞬間だった。
ごご、と地響きがした。
「──地震……?」
地面が小刻みに揺れている。
クルーエルが呆然と山の上を見ていた。
「クルーエル?」
つられるように、フランも斜面を見上げる。
真っ白な波が、唸りを上げていた。
雪崩。
全身から血の気が引いた。
──やらかした。わたしのせいだ。
馬鹿か、わたしは! こんな場所で考えなしに火の魔法を連発したら、こうなるって予想できたはずなのに。
濁流のような雪がフランたちを飲み込むまで、もう十秒とかからない。
大魔法は間に合わない。
走って逃げる? どこへ?
どうする、どうするどうする──
「フラン!」
クルーエルが、精霊を捕らえた檻を放り投げた。意図が読めないままキャッチする。
銀の竜が、片翼を広げた。
半壊した身体で空を切り、牙の折れた顎でフランを咥える。
空へ攫われながら、フランは叫んだ。
「──クルーエル!」
意味がわからない。どうしてこの土壇場で、自分じゃなくてわたしを助けたのか。
雪に飲まれる瞬間、クルーエルはフランを見た。
わずかに口元が笑っていた気がした。
直後。
どぱん、と雪崩が斜面に跳ねる音がして、すべてが白に飲み込まれた。
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