人生で初めての屈辱

 会場内は騒然としていた。

 ざわめく大人たちを無視して、観客席の父の元へ駆け出す。

 強く噛んだ唇から、血の味がした。

 悔しい。

 レインフォレスト家の娘が、魔法で敗北するなんて。

 その上、腰を抜かして悲鳴を上げるなんて。

 恥ずかしい、情けない、恥ずかしい!


「申し訳ありません!」


 貴族用の観覧室へ飛び込んで、父に謝罪する。


「ぶ、無様を晒しました。レインフォレストの家門に、お父様の名誉に、泥を……泥を、塗り、ました」


 握った手のひらに爪が食い込む。

 父が振り返った。

 どれほどの雷が落ちるか、想像もつかない。

 でも、フランは負けたのだ。なら、叱責は甘んじて受ける他ない。


「──で、ですが、次は必ず勝ちます! 修練を重ねて、たくさん勉強して、五年後の王国魔法競技会グラン・マギアでは必ずわたしが、」


「フラン」


 けれど父は、意外なほど優しい声で言った。


「今日のことは忘れなさい」


「……え?」


「アレは例外だ。三重属性など、百年に一度現れるかどうかの奇跡。比べるほうが間違っている」


 厳格なはずの父は、穏やかだった。


「どうせあの娘には、一生勝てん。お前はこれから、二番を目指せばいい」


「へぇぁ」


 変な声が出た。

 目を見て、すぐにわかった。

 父は、すっかり諦めていた。

 心の底から、娘の敗北を受け入れていた。

 誰にも負けてはならない。そう言い続けていた人が、アレは無理だ、やるだけ無駄だと骨抜きにされていた。

 

 ──あの娘には、一生勝てん。


 父は魔法学の権威だ。

 男性故に魔力には恵まれていないが、フランよりずっと魔法に詳しい。

 だからきっと、父の言葉は正しいんだろう。

 わたしはもう、あの子に勝てない?

 これから先も、ずっと──

 一生?

 眩暈がした。ぐにゃぐにゃと視界が歪む。

 床の底が抜けてしまったみたいに、足に力が入らない。

 それでもフランは、どうにか口を開いた。


「……セレモニーがある、ので。失礼します」


「姫殿下に無礼のないようにな」


 ふらつきながら、観覧室を後にする。

 歩いているうちに、ようやく実感が沁みてきた。

 ああそうか。負けたんだ。

 わたし、負けたんだ。

 完膚ないくらいに。

 何の言い訳も、弁解もできないくらいに。

 自分から吹っ掛けた勝負で、誰にも負けないと思っていた魔法で。

 腰を抜かして、怯えながら地面を這って。

 そうして、無様に負けたんだ。


(……ああ、これが……)


 これが、敗北の味か。

 ぎりぎり締め付けられるように心臓が痛くて、口いっぱいに鉄の味がする。


「……うぁ」


 知らなかった。

 本当の敗北がこんなにも惨めで、こんなにも強烈に心を折ろうとしてくるなんて。

 明らかに自分より優れた才能を目の当たりにすることが、こんなにも苦しいなんて。

 悔しい。

 悔しくて悔しくて、内臓が全部捩じ切れてしまいそうだ。


「う、うぁ、ああ、うあぁぁ、ううぅ」


 目の奥が痛くて、ぼろぼろと涙が止まらない。


「うわああぁぁん……」


 人目につかない廊下の奥で、フランは泣きながら思い切り石の壁を殴りつけた。何度も。何度も。

 あいつさえ。

 あいつさえいなければ。


「……クルーエルぅぅぅ……!」


 そうすれば、わたしが一番だったのに!

 

 †


 どれくらいの時間、そうしていただろうか。

 みじめな気持ちをどうにか奮い立たせて、ようやくフランは立ち上がった。

 人気のない廊下をのろのろと歩き出す。

 セレモニーに参加しないと。

 義務感だけで歩き出し、角を曲がったときだった。

 物陰から、今世界で一番聞きたくない声がした。


「……誰か、そこいるの」

 

 鈴を鳴らすような声。

 最悪だ。

 廊下の隅に積まれた荷物に隠れるようにして、クルーエルが蹲っていた。

 紫紺の瞳がフランを捉える。


「……フランドール?」


 涙が一気に引っ込んだ。

 代わりに、羞恥の熱が顔中に広がっていく。

 泣き顔を見られるなんて。それもよりにもよって、こいつに。


「な、なんであんたがここにいるのよ⁉︎」


「それはこっちの台詞よ」


 クルーエルは冷たい床に腰を下ろしたまま、熱っぽい息を吐き出した。


「……はぁ……最悪……」


 荒い息に、違和感を覚えた。

 おそるおそる側に寄って、クルーエルの顔色を確かめる。

 あきらかに様子がおかしい。

 肩で息をしてあるし、頬は紅潮している。

 涙で目も潤んでいた。


「あんた、それ大丈夫──じゃないわよね。魔力酔い? 熱、あるんじゃないの」


 額に手を伸ばすと、クルーエルがぎょっとした。


「やめて。触らないで」


「ばか、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」


「だめ!」


 フランの手のひらが、クルーエルの額に触れた。

 その瞬間だった。

 ずるりと、『何か』がフランの身体から抜け落ちた。


「っ、ひぁ」


 かくん、と膝から力が抜ける。


「え、え……な、なにいまの」


「──っ、ごめんっ」


 クルーエルがフランの手首を掴んだ。

 そのまま腕を引かれて、抱きしめられる。


「へっ」


「ごめんなさい。嫌だろうけど、少しだけ我慢して」


「がまんって、なにを──ひっ」


 わけのわからないまま、首筋に柔らかいものが触れた。

 クルーエルの唇。それを理解するよりも早く。

 ぞずるるるぅ。

 再び、何かを引き抜かれる感覚がした。


「ぁ……ふぁっ……」


 背中がぞくぞくして、全身の筋肉が弛緩する。

 なにこれ。

 こんなの、知らない。

 怖い。


「やめ、てよ。離してよ……」


「安心して。すぐ終わるから」

 

「なに勝手なこと、あ」


 痛くはない。ただ、冷たくて──怖い。

 視界がチカチカする。


「くるえ、やだ、離して。やだ。なんか、これやだ。怖いの。頭へんになる……っ」


 もがこうとしても、四肢に力が入らない。


「ねえ、離してよ。なんで離してくれないの? わたし、やだって、ぁ。ひぅっ、また」


「──約束」


「ふぇ?」


「わ、私が勝ったんだから、大人しく言うことを聞いて。逆らわないで」


 なにそれ。

 今それ持ち出すとか。


「……この、卑怯者ぉ……」


「……ごめんなさい」


 ぎゅ、とクルーエルがフランの身体を抱きしめた。

 また、首筋に唇が押し当てられる。

 フランはもう、抵抗しなかった。


 結局、クルーエルが腕を解いたのは、それから数分後だった。

 きっかけは鐘の音だ。

 セレモニーの授与式が始まる合図。フランたちは舞台に集まらなくてはいけない。

 飛び退るように離れたフランは、服の乱れを直しながら声を張り上げた。


「な、な、なんなのアンタ⁉︎」


 意味がわからない。

 あんないきなり、同性だからって急に、同意もなくこんな場所で。


「急にだ、抱きしめてきたりして、それに何⁉︎ あのぞわぞわしてふわふわするのっ」


「忘れて」


 平然と立ち上がったクルーエルは、もうすっかり普段通りだった。

 呼吸も乱れていないし、目の潤みも治っている。

 ただ、耳だけが赤い。


「忘れなさい。あなたは何も見なかったし、何もなかった。そういうことで」


「なによそれ!」


 意味わかんないんだけど!

 そんなので納得できるか!


「式典、遅れるわよ」


「ちょっと! まだ話、終わってないんだけど⁉︎」

 

 †


 何一つ感情の整理がつかないまま、セレモニーが始まった。


「クルーエルよ。レティシア姫殿下より、第一等の証が授与される。前に」


「はい」


 第二王女が、クルーエルに大きな紅玉の付いた金の首飾りを授与する。

 大魔法を見た興奮のせいか、御年十二歳のレティシア王女の頬は鮮やかに色づいていた。


「クルーエル様、すばらしい魔法でした! あんな凄い魔法、初めてです! クルーエル様なら、今すぐ本選に出ても優勝を争えると思います!」


「恐れ入ります」


「ああ、どうしましょう! もしよければ、わたくしから父上に口添えさせてくださいな。そうすれば特別枠での飛び入り参加も認められるかも」


「いえ結構です。興味がないので」


 は?

 すぐ隣で、フランは思わず目を剥いた。

 この女、なんで普通に王女殿下の厚意を断ってるんだ。

 ありえないが。

 ほら見ろ殿下が「あっ、そうですか。ごめんなさい……(しょぼん)」ってなってるじゃないか。側近っぽい人が慌ててるし、そこは「謹んでお受けいたします」一択だろう。

 ちゃんと空気読め。

 さっきのことといい、こいつが何を考えてるのか、さっぱりわからない。


 次いでレティシア王女は、フランに一回り小さい蒼玉がついた銀の首飾りを差し出した。


「ええと、その……フランドール様も、素晴らしい魔法でした」


「勿体無いお言葉です、殿下」


「それから、ええと、その……お、お疲れ様でした!」


「……はい」


 どうやらフランに関する記憶は、クルーエルの氷竜によって全部吹き飛んでしまったらしい。

 心から思う。

 憎しみで人が始末できたらいいのに。


 †


 そうして、セレモニーが終わった。

 参加者たちは従者たちと合流し、馬車に乗り込んで各々の宿へ戻っていく。

 フランもまた、ケイと共に宿へ戻った。

 そして、部屋の隅で膝を抱えた。

 屈辱だった。

 徹底的に負けた上に、あんなわけのわからない方法で生き恥までかかされて。

 恥ずかしい。悔しい。消えちゃいたい。

 あぁもう、泣きたい。泣きそう。

 泣く。


「フラン様」

 

「ぐす……なによ、ケイ」


「そろそろ、三角座りで泣きべそかくのをおやめください。支度の邪魔です」


「メイドの都合なんて知らないわよ……ぐすん」


「早く立ち直って頂かないと、他のメイドが動揺します」


「好きに動揺すればいいでしょ。そんなの知らないもん」


 ぎゅーっと膝を抱きかかえる。ケイの馬鹿。なんて冷たいメイドだ。


「そんなことより、傷心の主人を慰めなさいよ……」


「足でもお舐めしましょうか?」


「……いらない」


 フランだって本当は理解している。

 ケイや他のメイドに当たったところで、気が晴れるわけもない。


「そんなにショックだったんですか?」


「当たり前でしょ。こんなの、人生で初めてなのよ」


「お言葉ですが」


 と、ケイはフランの隣に腰を下ろした。


「普通、フラン様くらいの年頃にもなれば、一回くらいは誰かに負けたり、どこかで挫折したりしているものなんですよ」


「……そうなの?」


「そうです。出来のいい兄弟姉妹と比べられたり、教師から与えられた課題をクリアできなかったり、生まれた環境に絶望したり。そういう経験を積んでいるものなんです」


「……凡人って大変なのね」


「この流れで出てくる感想がソレですか?」


 ケイが呆れたように言う。

 けれど、その口調は不思議と優しい。


「とにかく。生きていれば、いつか誰かに負けるものなんです。フラン様の場合は、たまたまそれが今日だっただけでしょう」


「ケイ……」


「私たちは皆、なんやかんや立ち上がって前へ進むんです。我々でもできることが、フラン様にはお出来にならないんですか?」


「…………そんなわけないでしょ。わたしを誰だと思ってるのよ」

  

 ぐしぐしと目元を擦る。

 いつの間にか、涙は止まっていた。


「いいですか、フラン様」


 ケイがフランの手に触れた。


「フラン様は、本物の才媛です。努力を惜しまず、輝くような才気に溢れた貴女は、私の憧れなんです。まあ、性格はちょっとアレですが」


 ケイの両手が、フランの手を包みこむ。

 冷えていた手に、じんわりと熱が伝わってくる。


「こんなところで折れないでください。今日負けたなら、明日勝ってください。フラン様が負けて、私だって我が事のように悔しいんです」


「…………ケイ……」  


 温められた指先に、力が戻ってくる。

 フランはそっとケイの手を握り返した。頬の熱を自覚しながら、ぽそぽそと呟く。


「……あ、ありがと……」


「よく聞こえませんでした。もう一度お願いします」


「もう言わないわよ!」


 人形みたいに細い両足に力を込めて立ち上がる。

 ケイが尋ねた。


「どちらへ?」


「決まってるでしょ」


 脱ぎ散らかしていたローブを羽織り、フランは言った。


「宣戦布告よ」

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