♯2 ドロシィ・L・タワーズ

「ふんふんふん、ぎゅっぎゅっぎゅ~」


〈おせんたくのうた〉を歌いながら、すすいだワンピースの水気を絞るナギサ。ぱんっと勢いよく広げると、シワを伸ばしながらロープにかける。シーツやタオルなども吊るされ、甲板の灰色は白青緑茶といった淡くもカラフルな色彩に覆われていた。


「嵐、来なかったわね」

『本艦の予測が外れるとは……』

「ボクは雨も晴れも好きだよ! だからずっといい天気!」

「……慰めてるの?」


 晴れの日のメルボルンの前方甲板は、洗濯物を干すスペースとして使われていた。艦内に洗濯乾燥機はあるが、節電のためナギサが手洗いをしている。一門のみ設けられている単装砲も、太めの物干し竿になって久しい。


「そっち押さえててね! せーのっ!」


 ドロシィが手を添え、ナギサがバサっと広げて干したのは大きな網だ。彼は手掴みで魚を捕るのが好むが、このような網やモリを使ったり竿釣りをすることもある。


 ナギサとメルボルンが海底にいたドロシィを見つけたのも、この網で漁をしていたある日のことだった。


―――――――――――――――――――――


 その日、網が海底に引っかかってしまったナギサはほどくために海に潜り、潜水艦の残骸を発見したのだった。興味本位で内部を探検した彼は半壊状態のサイボーグを見つけ、メルボルンが僅かな生命反応を検知。蘇生処置を施されたドロシィが目覚めたのは、それから三日後のことだった。


「……10年も寝ていたのね、私」

『はい。戦争もすでに終結しました』

「ぐっすりだったね!おなか空いてない?」

「そうね、ブドウ糖液を補給しないといけないけれど……ある?」

「ブドー……?」

「……待って。そのエラ……なんでミュータントが〈連合〉の船に乗ってるの!」

『落ち着いてください。彼は敵ではありません』


 目覚めてすぐのドロシィが錯乱したのも無理はない。味方の船に助けられたかと思えば、〈協定〉に違反した遺伝子改造者ミュータントが平然と乗り込んでいたのだ。彼女にとって彼らは生命倫理を踏みにじる〈同盟〉の象徴であり、不倶戴天の敵である。


 生身の臓器など残っていないはずの冷たい身体に、カッと火が灯るような錯覚。家族や友人の死に様がフラッシュバックし、怒りが身体を突き動かした。両足と左腕の義肢は壊れていたが、右腕と口がある。


「その喉、噛みちぎってやる!」

 

 診察台から転がり落ちたドロシィは這いつくばって少年に迫ろうとしたが、経年劣化のせいか右腕は思うように動かない。裏返しの亀のようにもがきながら、ドロシィは無いはずの涙腺が熱くなるのを感じていた。舌を噛み切ろうにも、顎にもうまく力が入らない。


「殺せッ! 殺してよッ!」


 少年を殺すよう檄を飛ばしているのか、己の無様を恥じての言葉なのか、自分でもわからないままドロシィは叫ぶ。

合成音声が何か答えているが、彼女の耳には入らない。喚き、もがいて、汚い言葉をたくさん吐いた。しかし不意に浮遊感を覚え、罵声が途切れる。


「なんの……つもり」

「グランマが、怖くなったときにこうしてくれた」


 ドロシィの身体を抱えあげた少年は、そう答えると彼女を抱きしめる。


「怖がってなんか……やめて、離して」


 ドロシィは膝立ちの姿勢で少年の胸に頭を預けさせられながら弱弱しく拒む。重いサイボーグのボディを軽々と持ち上げる身の丈に不釣り合いな筋力は間違いなくミュータントのそれだが、殺気のかけらも感じない。頭蓋を通じて伝わる穏やかな心音は、紛れもなく少年の命の音だ。自然の摂理に反した怪物だと、不倶戴天の仇敵だと罵ってきたミュータントの心臓が、普通の人間と同じリズムで鼓動している。


 わかっていたことだ。それでも許せないことがあった。理屈ではない憎しみに突き動かされていたはずだった。しかし少年の鼓動と体温が、それを薄れさせていく。或いは、怒りを維持する体力がもう残っていないのか。

ドロシィはしばらく身じろぎしていたが、そのまま眠るように気を失う。彼女が再び目覚めたのは、それから二日後のことだった。


―――――――――――――――――――――


 結局、ナギサがこの船に乗っていた理由は簡単な話だった。〈連合〉も公的には〈同盟〉のバイオテクノロジーを批判し規制を唱えながら、秘密裏に研究を行っていたのだ。ドロシィとて身内が清廉潔白だと信じていたわけではないが、意地を張るのが馬鹿馬鹿しくなる程度にはショックな事実だった。


「あの時は迷惑をかけたわね。子供みたいに喚いて暴れて挙句に寝落ち……恥ずかしいったらないわ」

『お気になさらず。幼少期のナギサもあなたと同様に振舞っていました』

「同様だから恥ずかしいのよ」


 ナギサは甲板の余ったスペースにハンモックをつるし、昼寝をしている。その寝顔を眺めながら、ドロシィは呟いた。


「いつ見ても羨ましいわね」

『あなたも眠りますか?』

「まだ平気。……それより話したいことがあるんじゃない?」


 10年ほど休眠状態だったドロシィだが、手足はともかく人工内臓にダメージを受けた状態で生きながらえていたのは奇跡的と言っていい。実際臓器は今も不調で動かないものもある。脳も半分以上を機械化していたおかげで助かったようなものだが無事とはいえず、ドロシィが起きていられるのは一日4時間程度だった。


「あの子に聞かれたくない事なら、今のうちだけど」


 そしてその時間は徐々に短くなりつつある。二つの意味で、ドロシィとメルボルンが二人きりで話せる時間は限られていた。


『お気遣いに感謝します。では、単刀直入に』


 意味深な前置きの後、メルボルンは改まって告げる。


『ドロシィ・L・タワーズ伍長へ、メルボルンよりお願い申し上げます。

──わたしを、殺してください』

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