メルとナギサは終末世界の海原をゆく

マカロ2号

♯1 ナギサのルーティーン


空と、海の青


澄んだ青と、深い青。


そのハザマに大きな船が一隻

無骨な甲板の灰色に眩しい白がはためいている

陽光と海風を受けたワンピースの白だ。


ばさり


おもむろに白い衣を脱いだのは、日焼けした肌の少年

僅かな恥じらいもなく裸体を晒しながら

少年は駆け出し、背面跳びで柵を飛び越える。


空と海の青が、海と空の青へ

澄んだ青と深い青が

深い青と澄んだ青へ

少年の視点を軸にくるりと入れ替わる。


ぱしゃん

ヒト一人が落ちたにしては静かな水音が響く

荒波の日では聞こえないほど僅かな入水音だ。


「綺麗なフォーム……見事なものね。相変わらずだけど、見てて飽きないわ」

『当然です。もしオリンピックが健在であれば、ナギサはすべての水泳競技において高い確率で金メダルを獲得しています』


甲板の上から少年──ナギサの飛び込む様を見ていたのは車椅子の女。膝の上にあるひび割れたタブレット端末には、ドローンが海側から撮影した飛び込みの様子が映っていた。

感嘆した彼女へ誇らしげに答えた合成音声は、そのタブレットから発されている。

『海中のドローンに繋ぎましょう。ご覧ください、ナギサの泳ぎを』

 タブレットの映像が切り替わり、ナギサが水中を泳いでいる様子が映し出される。ドローンを見つけた彼はにこりと笑って手を振る。車椅子の女──ドロシィは軋む義手でぎこちなく振り返した。

ナギサが少し離れた位置を指さし、カメラがズームすると魚群らしき影が映る。そこへ槍のように飛び入ったナギサは、戻ってくると両手に掴んだ魚をカメラへ見せつけた。


『金メダルですね』

「オリンピックにサバイバル部門があればね」

ドロシィの視線は魚ではなくナギサの脇腹に向いている。肋骨に沿うようにスリットが刻まれたその奥には、本来ヒトが備えていない呼吸器官エラがある。

ドロシィの記憶では、彼のような遺伝子改造者ミュータントはオリンピックの規定で出場禁止だった。それを指摘するか迷ったドロシィだったが、ふと虚しくなって口を閉じる。今や国際大会どころか単なる競泳すら不可能だ。相手がのだから。


『お望みならスクリュー付きの義肢を探しましょうか? 製造記録がありますから、どこかの基地で見つかるかもしれません』

「張り合うつもりはないわ。それに……水中はもう十分」


ドロシィにとって遺伝子改造者ミュータントは家族、友人、そして自分の両足の仇だった。連中への怒りを全て忘れたわけではないが、無関係なナギサに八つ当たりしない程度には気持ちの整理がついている。

なにより、この船を統括する口うるさいAIに長々と排斥主義を咎められるのは飽き飽きだった。


『そろそろ梯子を下しましょう。波が荒れてきました。嵐が来ます』

船体側面のタラップから自動梯子が海面へと伸びていき、ナギサを呼ぶべく汽笛が鳴る。

遠く、遠く、響く汽笛。海原に遮るものはなく、答える船もない。

シドニー級ミサイル巡洋艦 二番艦

オセアニア連合艦隊最後の一隻 “メルボルン”

その艦名は〈最後の大戦〉の後からしばらくの間、残された人類の拠点を担って都市の名前だった。


「ただいま、メル」

『おかえりなさい、ナギサ』

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