妊活したいエルフさんは現実世界で通い妻はじめました。
あいみ まいと
プロローグ 念願かなって身ごもったエルフは愛する者のために今日も朝ごはんを作る。
それはどこにでもある、ありふれた朝の風景だった。
ダイニングで物を刻む音がしてよく見ると、2つあるガスコンロはすべて用途の異なる鍋に占領されている。
右側はすでにできあがった筑前煮。
左側が味噌汁だ。
中火でじっくり火を通した具材は主にあさりと豆腐。
「……そろそろか」
早起きして朝食の支度をしていたらしい女性の横顔がにわかにほころんだ。
しばし観察すると一目瞭然ながら、モデルのように均整の整った小顔の美人である。
ゆったりしたピンクのワンピースに白いエプロン姿は清楚でかわいらしくもあり、プラチナブロンドの長い髪は陽の光を浴びてさらに輝いて見える。
見つめると心まで吸い寄せられそうなサファイアブルーの瞳も印象的だが、一点だけ不自然な部分あった。
白金の髪をかき分けて突き出た両耳は、まるで異世界にいる妖精のようだ。
一体何者なのか気になるところだが、彼女はそのまま慣れた手つきで白味噌を鍋に溶いて、乾燥わかめを適量入れる。
ひと息つくと、作業台に置いたまな板の脇にある小皿を手に取り、おたまで少しすくって味見した。
「……うん。いつもの味だ」
まずまずの出来栄えに小さくうなづいて間もなく、彼女はふいに背後から抱きすくめられた。
「ヴィータさぁ~ん、お~はよ」
寝起きとも悪ふざけともとれる甘えた声を聞いてすぐ彼女、――ヴィータは首筋を軽く吸われた。
くすぐったそうな甘い吐息が彼女の唇から漏れる。
困惑しながら一瞥すると、寝ぐせがついたぼさぼさ頭の
「タカヒロ。少し待てないか? ミソシルが煮詰まってしまう」
「やだなあ。毎朝目が覚めたらどっちからとか関係なくハグしようって、言いだしたのヴィータさんでしょ~っ?」
「時と場合というものがある」
「だとしたら、もうちょっとハグさせて」
「まったく。大きな子供だな、タカヒロは」
苦笑しながらヴィータがコンロの火を止めると、隆弘の手は滑るように彼女のふっくら丸みを帯びた腹部へと降りていき――。
ありったけの愛おしさを込めて撫で始めた。
「もうすぐだね」
「そうだな。長いような短い日々だったな」
「正直言って俺、自分が父親になるなんて、ちっとも思ってなかったよ」
「同感だ。私だって、自分が母になる日が来るなど考えてもいなかった」
「きっとヴィータさんに似て色白で、小顔のかわいい女の子だよ」
「かもしれないな。私の一族の傾向から察するに、生まれてくる子はその可能性が高いと思う。……でも」
「……何?」
しばらく間をとって、ヴィータは言った。
「ちょっとくらい、タカヒロの面影を受け継いでいてほしい」
「全然タイプじゃないのに?」
「ああ、そうだ。タカヒロは今も〈
「ヒドいなあ」
からかうような笑みを浮かべたあと、ヴィータの手はまだ見ぬ我が子を愛でる隆弘の手にかぶさった。
「一度しか言わない」
「はいはい。どうぞ」
深く息を吐いて、ヴィータは続けた。
「……本当に感謝している。ハイエルフとして行き遅れかかった私に、当たり前の幸福をくれてありがとう、タカヒロ」
「……俺の方こそ」
隆弘はヴィータの肩を抱くもう片方の手にほんの少し力を込めた。
「生きる希望をくれてありがとう、ヴィータさん」
「なんだか照れくさいな、改めて言うと」
「そりゃあないでしょうよ? ヴィータさんが言い出したのに」
「ちゃっかり乗っかってくるタカヒロこそ、どうかしていると思うが」
言い合った後、あまりのおかしさに2人の間で自然に笑いが起きた。
エルフと人間という種族の壁を取り払えば、ごくふつうに仲睦まじい夫婦のたわいない会話だ。
ひとしきり笑い合い、ヴィータは言葉を投げた。
「……支度もできた。朝ごはんにしよう」
「オッケー。……じゃあ、茶碗だすね」
隆弘のぬくもりがするりと離れ、ヴィータの心がいくらか騒いだ。
身重の妻を気づかい、できる限りの献身を尽くす夫の様子を眺める一方で、もう少しだけお互いの体温を感じていたかった。
本音をいえば、明日の事さえわからない。
やがて訪れる初めての〈お産〉を思うと、暗い不安がどんより影を落とす。
――それでも。
隆弘とならきっと乗り越えられる。
平静を保てなくなって、仮にあとあと悔やんでしまうだろう罵詈雑言を吐き連ねたとしても、きっとすぐそばに居続けてくれるハズ。
現にそう実感させる瞬間はこれまでに何度もあったのだから。
白いご飯を茶碗に盛る隆弘を見ながら、ヴィータはまな板の脇に重ねてある汁椀に手を伸ばした。
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