第4話 取り調べ


 私たちはアパートの駐車場で警察を待った。肌寒くなってきたので、奥田君が温かい飲み物を買ってきてくれたが、私はそれに口をつけることができなかった。心配そうに覗き込む奥田君に「大丈夫」とは答えてみせたが、明らかに私は大丈夫ではなかった。


 ほどなくしてサイレンを付けたパトカーが到着した。中から出てきた刑事と思しき強面の男性に奥田君は歩み寄って言った。私も彼の後ろをおずおずとついていった。


「君が、通報をくれた奥田トモさん。そちらは佐藤ヒナコさんですね」

 私たちが頷くと、刑事は内ポケットから警察手帳を取り出し、「〇〇署の井上です。部屋まで案内してもらえますか」


 また死体の転がる自室に行かなくてはならないのは憂鬱だったが、部屋のカギは私が持っている。奥田君にしっかり寄り添う形で立ち上がり、渋々事件現場に戻って行った。


 私に死体を見せない配慮か、私は制服の警官とともに玄関先で待つことになり、部屋の中へは奥田君と井上さんが入って行った。中から話し声が聞こえる。どうやら発見時の様子など話しているようだった。


 ほどなくして玄関先まで戻ってきた奥田君は、ほかの制服の警官に私と一緒に駐車場まで連れていかれ、複数の警官たちが何やら作業をしている間をパトカーの後部座席で待つことになった。


 初めて乗り込むパトカー。同じアパートの住人や近所の人などが物珍しげにこちらを覗いているのが見える。私は深くため息を吐いて、車の外を行き交う人たちを憂鬱な気持ちで眺めた。


「とんでもないことになってしまいましたね」

「うん」

 私は半分上の空だった。

「なんだかごめんね、大変なことに巻き込んじゃって」

「謝らないでください」

「うん、ありがとう。奥田君がいてくれて、良かった——」


 少し沈黙があった。


「あの、お姉さん」

「なんかソレ、ナンパみたいだからさ、佐藤、でいいよ」

「――佐藤さん。どうして彼氏さんは、佐藤さんの部屋のバスルームで亡くなっていたんでしょうか」

「どうして、って?」


 私は考えてみる。私のほうが聞きたいくらいだ。なんで私の部屋に、しかもよりにもよって本来は癒し空間であるはずのバスルームで転がっていたんだろう。


「部屋のカギは佐藤さんが持っているので一本」

「――もう一つはあの浮気男の持っている一本」


 奥田君はゆっくり頷いた。


「佐藤さんが、あの橋の上で彼氏さんと口論になったのは夕方くらい。そのあと佐藤さんはずっと橋の上から川の方を眺めてましたよね」

「アア、やっぱり見られてたのね」


 口論とは「気を遣った」表現だなと思った。


(一方的な罵声と暴力だったのだけれど——)


「つまり、あの橋から逃げ出した彼氏さんは、そのままこのアパートにやって来て、自分の持っているスペアキーで佐藤さんの部屋に侵入したということになります」


 他の誰もカギを持っていない以上、そういうことになるだろう。


「確かに——考えたらそれ以外ありえないよね」

「そして、アパートのドアは内側から施錠されていた。中には誰もいなかった——」

 私はハッと気が付いた。


「――自殺したの? アイツ」


 奥田君はゆっくり首を横に振った。

「わかりません。あるいは、事故かもしれません」

「あの男に限って、自殺なんて選ばないよ」私は言った。「たぶん」

「これは例えばの話なのですが……例えば、浮気相手の方にも、彼氏さんの二股がばれてしまったとか——アッ」奥田君は慌てて、「すいません、佐藤さんの気持ちも考えずに——」

「いいよ、気を使わせてごめんね。大丈夫」私も少しずつ落ち着いてきていた。「なるほど、私にぶん殴られて、泣きついた浮気相手にも三下り半を突き付けられた、と」


 そんなことで自殺する男だろうか。


「やっぱりそんなことで自殺するような繊細な人間じゃないよ、アイツは」

「だとしたら、こういうのはどうでしょう。佐藤さんにこっぴどく振られた彼氏さんは、失意のままこのアパートにやってきた」

「うん」

「だけど目的は自殺ではなく、佐藤さんと話し合うため。きっと正面きって声をかけても相手にしてもらえないと踏んだので、スペアキーで部屋に侵入し、バスルームで息を潜めて待ち伏せていた」

「それなら——確かにやりかねないかも」


 論理的に話を続けていく奥田君に、私は内心でとても感心していた。こういうのをなんというんだっけ、確か、名探偵? アニメとかで見たことがある。


「だけど、そこで何らかのトラブルに見舞われて、転倒してしまった」

「転倒事故ってこと?」

「はい、例えばバスルームの入り口で躓いた拍子に滑ってドンッ、と」

「でもだとしたら、傷は額のところにできない? あの——アイツには、後頭部に傷があったと思ったけど……」

「まずは仰向けに倒れて、何とか助かろうともがくうちにうつぶせになってしまい、その拍子にシャワーのレバーに手をかけてしまった——というのはどうでしょう」


 私には分からない。けど、奥田君が言うとありそうな話にも聞こえる。

 それじゃあ、やっぱり不運な事故ということになるのだろうか。私のことを待ち伏せしていた元カレは、私の帰りを待っている途中に足を滑らせ、命を落としたと——。


 あまり想像はできない。リアリティを感じることはできない。でも、あそこに死体が転がっている以上、そういうことなのだろうとも思った。もしそういうことではないとすると——


 私はブルッと身震いをする。


「ねえ、奥田君――」

 そう言いかけたところで、後部座席のドアが開いた。井上さんが戻ってきたようだ。

「お待たせしました。遺体を運び出さなくてはなりませんし、もうこんな時間です。少し警察署の方で話を聞かせてください。お時間は大丈夫ですか?」

 私も奥田君も、こっくりと頷いた。


     ※


 当たり前ではあるが警察から事情聴取を受けるなんて初めての経験である。


 私と奥田君は別々に呼び出され、それぞれ数十分、様々なことを質問された。緊張しきりの私だったが、担当の井上さんがとても物腰柔らかく話を聞いてくれたためか、自分でも驚くほどしっかり喋ることができた。彼氏とのなれそめ、浮気発覚の経緯、橋の上での大喧嘩、そして奥田君に話しかけられてから、遺体を発見するまで——


 井上さんはかなりの強面で、初対面の印象は正直怖かった。しかし実はとても腰の低い、優しい喋り方をする刑事だった。人は見かけによらないな、と思う。

 刑事ドラマで見るような高圧的な態度もなく、至って紳士的に振舞ってくれた。そのことが非常にありがたかった。


 事情聴取が一通り終わり、解放されたときには深夜の1時を回っていた。そのため、覆面パトカーで近くのビジネスホテルまで送ってもらうことになった。最初は自宅に帰ろうかとも考えたが、もうやめておくことにした。


 警察は仕事が早かった。もう遺体は運び出されていて、証拠品となりそうないくつかのものは回収されているらしい。が、やはりまだ気持ち悪さは拭えない。これからどうしようか。少しだけ悩んで、とりあえず今夜は清潔なビジネスホテルに泊まることにした。明日以降のことはそのあと考えようと思った。


 奥田君はもう既に別の車両で家まで送ってもらっているとのことだった。少し残念だったが、彼の働いている店は分かっている。


 明日もう一度『純喫茶ブリッジ』に行ってみよう。そうすれば、彼に会えるかもしれない。


 私はふと思い出して井上さんに尋ねた。

「島田は、私の部屋のスペアキーを持っていたんでしょうか?」


 島田とは浮気男の名前である。


 強面の刑事は、運転中のためこちらを見ずに頷いて言った。


「ええ。後日、一通りの捜査が済んでからお返しすることになります」少し気まずそうな顔をして、「しばらくかかってしまうかもしれません。申し訳ありません」


 仕方ないな、と思った。どこにあるか分からないよりも警察が保管してくれたほうが安心だ、とも思う。


 やはり、島田は自分で部屋のカギを開け、内側から施錠したのちにバスルームに潜んでいたのだ。そこで事故に遭い、命を落としたということになるのだろう。


 ——因果応報、という言葉が脳裏をよぎる。それほどのひどいことをしたのだッ、当然の報いだッ、との思いと、そこまでの罰を私は望んでいないッ、という思いが複雑にせめぎ合う。


 私は冷静さを取り戻した頭で考える。

 疲れてはいたが、今なら客観的に今日の出来事を整理できる気がした。

 確かにあの部屋の中には私たちのほかには誰もいなかった。もしアレが殺人事件なら、犯人はまだカギのかかった部屋の中にいなければおかしいはずだ。私と奥田君で部屋中を探し回ったが、誰も隠れている様子はなかった。だから、自殺か事故以外は考えられないだろう。


 そうか、やっぱり事故か——私はようやく安堵した気持ちになった。


 島田のことは複雑な感情がまだ残っている。だけど、もう彼に煩わされることもなければ、ストーカーや殺人鬼の影におびえることもないのだ。


 奥田君の困ったときに現れる八の字眉を思い出した。無性に彼に会いたい。

 彼に話を聞いてもらいたい。この安心を共有したい。


 私はいつの間にやら、すっかりあの年下のカフェ店員に心を許していたようだった。


 連絡先を聞いておけばよかった——と考えたあとで、スマホを川に落としたことを思い出した。今は誰とも連絡が取れない状況だ。

 車を降りる間際、井上さんにはこのビジネスホテルの部屋番号と自宅の電話番号を伝えておいた。「何か進展があったりお伺いしたいことがあったりした際は連絡をします」

 私は車の外から深々と頭を下げた。


 ホテルの部屋にチェックインすると、私は化粧を落とすのも忘れてベッドの上に倒れ込んだ。

 たった数時間の出来事だったが、途方もなく長い一日だった。

 明日の仕事は休みをもらおう。自宅で死体が見つかったのだ。それくらい許してもらえるだろう。


 眠気で重くなっていく瞼の裏に、さっき見た奥田君のはにかんだ笑顔が浮かんですぐに、ぼやけて消えた。

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