君を描く

芹沢紅葉

第1話

 昔から、幻想をくのが好きだった。ありえない世界や、存在しない生物を生み出して、それらを雑多に描くのが好きだった。

 石膏像せっこうぞうが見守るように並べられた棚と、生け花や果実が置かれた机。イーゼルの並ぶ絵画教室のいつもの風景。何も変わらず、この日々が続いていくのだと信じていた。

 だから、アイツがあの絵と共に現れた時、私は本当に、本当に鳥肌が立つくらい、ゾッとした。

 それは、中学一年生の六月。梅雨入りも間近という頃。新しい子が来る、と絵画教室ではもちきりになっていた。

西川にしかわ……西川、さえるです。写実画が得意です。よろしくお願いします」

 私達の前に現れて、ひ弱そうなその少年は一枚の絵を抱いたまま挨拶した。今までに描いた絵を持ってくるように、先生に言われていたのだろう。問題は、その絵だ。

 中学生が描いたにしてはクオリティが高く、緻密で繊細さすら感じ取れる。リンゴを齧ろうとする大人の女性を描いた写実画。瞳の中すら描き込む勢いの質感に、リアルとはこういうことを言うんだと思い知らされた。

 この絵画教室に通うのは大学生までの若い人が多くて、小さい子の付き添いでくる大人達も、その絵を見て感心していた。

「絵のレベルも歳も、はるかちゃんと同じくらいだからいいライバルになれると思うわ」

 先生の何気ない一言が、私の心に火をつけた。ライバル。入ってきたばかりなのに、チヤホヤされて調子に乗ってるような子が、私と同じだなんて。

 腰まである邪魔な黒髪を一つに結んで、少し背を丸めて細い腕で筆を持つ。

 案の定、私の隣に座った西川は、少し恥ずかしそうにしながらよろしく、と言った。私は、返事をしなかった。それをどう受け取ったのかは分からないけれど、西川は時折私の方を気にするような視線を向けていた。探られているようで、少しだけ気分が悪い。

 チラ、と西川を見ると少し気取った大人のような雰囲気を感じた。丹念に切り詰められた前髪に生える白い額と思慮深さを感じさせる瞳の端正な外見は、見ていて気分が悪い。一度抱いた嫌悪感はそう簡単に消せそうになかった。

 その日、私が描いたのは宇宙空間を漂う巨大なクラゲ。それは、地球の何百倍も大きい、半透明なもの。キラキラと輝かせた銀河系を海のように例えて、自由気ままに漂う姿を描いた。

 周囲は凄い、と言ってくれた。表現力が高い、と先生もが言う。思いのままに描けて満足した私が軽く伸びをしていると、西川がじっと私の絵を見て呟いた。

「君の絵は、現実味がないね」

 そう言って西川に笑われたのが無性にムカついて、つい言い返す。

「リアルばかり追い求めた絵の、何が楽しいのよ」

「本物に近づけた感じが好きなんだ。君は違うの? その幻想をもっとリアルに描きたいって思わない?」

「リアルかなんてどうでもいいの。私は私の世界を描くだけ。下手でもね」

 私と西川の意見はどうあっても交錯こうさくすらしないらしい。それもそうだ。私達の絵はきっと目指している先が違う。だけど、優れている絵が正しいとは限らないし、奇怪な絵が間違っているとも限らない。

 だから、これから先もきっと私達は互いの考えを理解できないはずだ。

 私と西川は、対照的だった。大人しく絵を描く西川はいつもリアルを追い求めて静かな雰囲気を好んで描くのに対し、私は幻想を求めてごちゃごちゃした賑やかな雰囲気を楽しんで描くのが好き。

 西川の画材はきちんと並べられて、いかにも優等生といった様子。それに対して私は辺りを散らかしながら描くものだから、もう何もかも対照的と言わざるを得ない。

 数週間もしたら、なんとなく西川のことが分かってきた。

「西川君って、もしかして近くにある西川医院と関係ある?」

 大学生の池内さんが、そう聞いた。すると西川は頷いて、

「はい、父の病院です」

 と答えた。やっぱり、と少し嬉しそうに声をあげた池内さんに私は問いかける。

「池内さん、なんで知ってるの?」

「私、お世話になったことがあるんだー!」

「医者の息子なら医者になるんじゃないの?」

 そういうと、西川は何故か苦笑いで答えに困っていた。そんな少しの雑談が終わってから、作業に取り掛かる。

 生活も、真反対と言わんばかり。私は平凡な家に生まれ育って、一般的な暮らしをしてきたわけだが、西川の家は生粋きっすいのエリートタイプで、要は才能に恵まれているわけだ。どうせ、自分の絵が一番だと思っているに違いない。私の一番嫌いなタイプ。自分の実力とやらが優れていると証明する為に、格差を見せつけてくるような。

 そんなやつ、相手にする必要ない。私はただ、私だけの世界を描いて、将来はそれを生業なりわいにして生きていくと決めているのだから。

 そんな風に嫌っていた西川との接点を知ったのは、受験も終わって春休みになってからだった。

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