チョコレート・ドロップ

華周夏

Bitter・sweet・love

「バレンタインデー?チョコレート?もらうよ。でも告白みたいに使われるチョコってさ、後が面倒なんだよな」

 俺は、そ知らぬ顔で嘘を重ねる。外は薄暗く、ちらちら雪が降り始めた。

イルミネーションも綺麗だ。頬を吹き抜ける空気が乾燥している。

「そうなんだ……。僕、全然、もらったことないや。ごめん。何か変な感じになっちゃった。忘れて」

「悠人はもらったことないのか。まあ、女子の本命は眼鏡の優等生には無理か」

 俺がからかうように言うと、悠人は耳まで真っ赤にした。さくらんぼみたいで可愛い。噛りたい。

 俺の仕事はバーテンダー。スイーツも作る。同性愛者が行くような所のバーだ。結構繁盛している。

 だから、そう言うことだ。悠人には言うつもりはない。今も、これからも、ずっと。

 男同士で友チョコはそう中々するものではない。本当は、俺の後から用意してあるチョコの布石だ。少ししょんぼりさせて悪いなと思っていた。

──────────

 今日は幼馴染みの悠人が、村から『東京』に来たいと、言って来てくれた。こんな俺を頼りにしてくれるだけで嬉しかった。メールではなく可愛らしい絵葉書で。悠人の字。

 何て書くか悩んでくれたのかな。俺はずっと悠人が好きだった。だから、ただの幼馴染み『だった』それだけで切れてしまう縁ではなかったんだと暖かな気持ちになった。

 俺は悠人から連絡をうけて、張り切ってプランを練った。悠人に少しでも喜んでほしくてかなり悩んだ。それも上手く進みプラン通り沢山美味しいもの食べた。観光もした。

『食べ歩きがしたいんだ』

 それが大まかな悠人のしたいことだった。だから、歩きながら、たい焼きを食べたり、コロッケを食べたりした。お芋も食べたいとの本人の希望だったから、その願いを叶えたかった。

 まあ、本当は昔みたいにはしゃいで笑う悠人が見たかっただけだったけれど。悠人はしみじみ『ここは空は狭いけど広いんだね』と言った。

 今は何処か悠人の今の微笑みの中に影がある感じがした。

『何かあったのか?』

 とは、何故か訊けなかった。

「村では食べ歩きなんて行儀が悪いっていうでしょ?僕は逆らわずに生きてきた。だから、この日本の真ん中では、本当にしたいことしたくて」

 夜は、俺ん家で鍋とかやりたいと言っていた。『よそに美味しい店あるぞ』といったけれど、俺の家でのんびりしたいと言っていた。帰り際、スーパーで、悠人は買い物をしていた。

───────────

『ゴマだれでホウレン草と、豚肉。それと豆腐の常夜鍋が食べたいなって。ゴマだれは添加物がいっぱいだから駄目だって、訳わんないこと言われてた。要はじいちゃんたちは知らないことが怖いんだ。情報は都合良くテレビ。ネットやSNSは不良。でもね、これは僕からの時代遅れの村から英明へのプレゼント。『雷蒟蒻』って知ってる?作ってあげるよ。食べたことないでしょ?都会に出た英明も初めてがいっぱい。村のじーばーが悪いんじゃない。あそこは空が………世界が狭いんだ。山に囲まれて、昇った太陽もすぐ沈む』

 悠人は、悲しさと愉しさを混ぜたような顔で笑った。俺はこのあまりにも綺麗な表情を浮かべるのが、悠人じゃなければ、抱きしめていた。

 真剣な顔をした、心持ち涙ぐんだ瞳が悲しかった。仔牛のような悲しく濡れた目。それでも悠人は笑っている。いつものように。昔と変わらずに。

 俺はそっと暗い夜道に手を絡めた。悠人は、睫毛を伏せて、静かに俺に言った。

「暖かいね。生きてるからだね」

 と言った。睫毛に、雪が積もった。

「早く帰らないと悠人が凍るな」

「僕は、君の家までのこの道がずっと続いて欲しかったな」

 なんてね!僕、お腹ペコペコだよ。軽く屈んで笑う様子は女子より女子だ。いつ見ても笑ってる。学校でも。家に遊びに行っても。

「悠人!」

「なに?」

 また、笑う。どうして。

「もう、笑うな。せめて、俺の前だけでいい。泣いてもいい。怒ってもいい。ずっと笑う悠人を見るのはつらい」

 笑顔の面が剥がれていく。面がはらりと落ちて、割れて、現れたのは泣き顔だった。詰まるような声をあげて、悠人は蹲った。

「君だから言うよ。だから誰にも言わないで。僕は……ゲイなんだ。だからって病気を持ってたり、してないよ?でも、もしあの村でこの事がバレたりしたら変態扱い、異常扱いされる。そして、頭がおかしくて病気を持ってると決めつけられる。あそこはまだ、精神科を『脳病院』と呼ぶよ。あそこは時間が止まってる。僕はこの秘密を誰にも言わずにおこうと思った。けど、君の顔が浮かんだんだ。気持ち悪がられるだろうけど、きっと理解してもらえるって」

 悠人は、俺の腕に縋るように掴まり、見上げる。綺麗な瞳、綺麗な睫毛。

「バレンタインデー、英明は僕にくれた。忘れちゃった?僕もあげた。嬉しかった。けど、小6を最後に君はもう『卒業』しなきゃ駄目だと言った。僕は、辛かった。あれは幼い頃からの、君への憧憬──いや、恋だった」

 告解のような告白を悠人は続ける。

「毎年ずっと夢見た、バレンタイン。君から貰ったチョコレートを食べているとき、君とキスしてる気分になってた。甘く、ほどけて、溶けて、絡まって、君に触れられているみたいだった。チョコを食べながら自慰もした。君から貰うから、意味があった。ずっと、君が好きだった。僕には、君だけだった。驚いたよね。困らせてごめんね。いきなり遊びに来た僕に、こんなこと言われて。迷惑だよね」

 穢いね、気持ち悪いよね。こんな友達でごめん。そう悠人は丸まって蹲った体を震わせ、悠人は続けた。

「僕は小学生から中学生になって、僕は君から貰うチョコレートを卒業してから『いい人』になった。親切な優等生。でも、本当は君を思い続ける、欲にまみれた、ただの男だよ。僕の家は完全封建世帯だから、じーばーの言うことは絶対に正しい。テレビでLGBTの人のドキュメントを偶々見て、この人達が生きやすい世の中になれば良いな。何て思っていたけれど、テレビを見ている家族から出るのは蔑みと変人扱いする声だけだった。最後は『気持ちが悪い』って言ってチャンネルを回した。僕はその日、布団を頭から被って、泣き叫んで、荷造りして家を出た。そして、今だよ………」

 君に葉書を書いて、送って。お小遣いとお年玉と年賀状の郵便のバイトで貯めた通帳を握りしめて、古い格安のネットカフェに君の予定に会わせて連泊した。それから東京駅で、君へのチョコを買った。  

 君とチョコだけ綺麗だね。冬の東京は綺麗だ。イルミネーションみたい。キラキラしてる。

 悠人は、小さい身体で声を殺して泣き続けた。

「イルミネーションは、綺麗だけど、豚肉は出してくれねぇからなあ──あとさ、伝えてくれてありがとう。俺も、悠人と同じだから。解るよ。俺も、そうだから」

 俺は悠人と向かい合わせに、ちょこんと座った。悠人は驚いたように顔を上げた後、うなだれ気味に頷いた。

「俺さ、今、歌舞伎町のバーでバーテンダーやってる。そっちの客向けの。そうそう。ゴマだれで、常夜鍋したいって手紙にあったから、日本酒買ってきといた、奥の松。人気なんだって。あと、半纏も。暖かいように」

 俺は、悠人が好きだった気持ちを、ゆっくり伝えた。

「お前を抱き締める腕も。今までの笑顔に隠した痛みを慰めるためのキスするための口唇もあるよ。みんな用意してある。ずっと言いたかったんだ。俺も、悠人が好きだった。小6の時のあの『卒業』は、周りの目を気にした。お前が俺のせいで、悪く言われたり変に思われたりするのが嫌だった。いや………違う。俺自身も怖かったんだ。あの村でゲイだってバレるのが。お前が好きだってバレるのが。俺を許して欲しい」

 大きく息を吐いて俺は続けた。息は白い。どんな人でも、寒さに息は白くなる。

「中学の悠人は変わってしまって、なんだか、遠くへ行っちゃったみたいで。話すこともできなくなってた。一番最初に『卒業』なんて言葉で、お前を傷つけたのは俺だったんだ。ごめんな、悠人。本当に、ごめん………」

 俺は、悠人を見詰めた。『そんなこと──』と詰まるように言おうとした悠人の言葉を、俺は口唇で塞いだ。悠人はキュッと目を瞑る。大きな目から、雨粒みたいに涙が溢れる悠人は、本当に綺麗だった。

「あとの話は、俺ん家でしよ。風邪引くからさ。『風邪は万病のもと』って、言うんだから。マフラー貸してやるよ。うん、可愛い。イケメンだ」

「可愛いはイケメンなの?」

 上目遣いの悠人と目が合う。身長が高くて良かったと思った。俺が『ああ、イケメンだ』と言うと、クスッと悠人は笑って、

「ありがと。暖かいけど、いいの?英明のは?」

「悠人がいるから平気。じゃ、手、つなごう?悠人の暖かいの分けて?」

「う、うん」

 帰り道が、ずっと続けばいい。そう思った。

───────────────── 

 少し自分用の半纏がくたびれてきたからさ──と言い半纏を勧めた。そう言わないと悠人が遠慮すると思ったからだ。葉書を見てから大急ぎで悠人のために買ったとは言わなかった。

「お洒落な半纏だね。綿100%なんだ。柔らかい」

 俺も袖を通し、炬燵でぬくぬくして、他愛もないお喋りをした。冬だね。まだ春は先なんだと、悠人は感慨深そうに言った。俺は珈琲をドリップして、バレンタインのチョコの交換をしようと言った。『悠人が来るって聴いたから買ったんだ』と言うと、悠人ははにかんだように笑う。悠人はチョコレートみたいだ。キスの味も、甘く溶けるみたいだった。

 俺は『ベタだけど』と、ロシェの大きめの箱。それと、ゴディバのストロベリーの板チョコ。

 悠人は、リンツのミニプラリネ36個の詰め合わせ。お味見と、2人でチョコの詰め合わせの中から3種類、1個づつ味わったけれど、どれも美味しい。それに、みんな形が凝っていて迷う愉しさがある。味も凝っていて美味しい。

 それから夕食。しばらく、チビチビ日本酒を少し飲んだ。『奥の松』を選んだ。東北の美味しいお酒らしい。とても飲みやすく、少し飲み過ぎてしまった。

 胃を暖めてから、常夜鍋をした。ゴマだれが濃厚で少しつけるだけで十分だった。最後はポン酢と割った。

「家のじーばーはポン酢なんだ。やっぱり味がしまるね。年の功だね」

 そう頬を日本酒で紅くした悠人は優しい表情をしていた。

「美味しかったな」

「うん」

 料理が軽めなのは、俺の手作りデザートを食べながら、俺の手作りカクテルを飲んで欲しかったから。それから、同じ布団で夜明けを待ちたかった。頬を赤く染め、アルコールで濡れた瞳の悠人は、色っぽかった。

『帰らなくていい。村に、帰らないでくれ』

 と言った。傍にいて欲しい、とも。それから悠人はずっと家にいる。忙しく家事をしている。

「落ち着かないから、いいよ」

「ごめん。逆に何か動いてないと、落ち着かなくって。それに、英明は、そんなことしないって怒るかしれないけど、サボったら、何もしなかったら、追い出されそうで怖いんだ。働いてない分、家のことをしたいんだ」


 この瞳には、逆らえない。

 見捨てたら──死んでしまいそうな──。


 それからずっと、夕方6時の出勤から、てっぺん回って3時、4時。俺が静かに帰ってきても悠人は起きていて、

「お帰りなさい。寝る前に暖かいスープ食べて」

 と、悠人は手作りの温かいスープをくれる。

「悠人ありがとう。ずっと………一緒にいれたらいいな」

「変なの英明。『ずっと一緒にいような』でしょ?」

 無理に笑うことをやめたと言うのに、相変わらず、悠人の笑った顔は、これ以上もないほど、綺麗だ。まるで壊れてしまったアンティーク・ドールのように。

 あれから何回かバレンタインを向かえてはチョコを交換した。いつも、寂しそうに悠人は山の方角を見ている。

「村に帰りたい?」

「ううん。君がいるところが、僕の帰る場所だから。ただ、寂しくはあるね。僕の世界は狭かったから………でもやっぱり、あの雪は、見たいなあ。東京に住む人が村の雪を見たらビックリするだろうね。英明とも、たくさん雪合戦した。春は山菜。じーばーと一緒に籠にコゴミを採った………学校でも、山には行ったね。君とサボって遅咲きの桜を見た。綺麗だったな。あの頃から僕は君に惹かれてた。ずっと君が好きだった」


 君が好きだよ。

 君に『愛してるって』言ってもらった『僕』も好きだよ。

 君が好きだよ。今よりも、過去よりも、未来よりも君を愛しているよ。


 涙ぐみながら笑う悠人が切なくて、何故か泣いているのは俺で、いつの間にか二人でフローリングに座り込み抱きしめあって泣いた。

────────── 

 ねえ、英明。来年のバレンタインデーは、何が欲しい?甘いものなら何でも買ってあげるよ。この前、お父さんから電話が来てね。村長さんに言われたんだって。僕、あの村に帰る必要、なくなっちゃった。

『オトコオンナは、村に帰ってくるな』

 だって。帰ったら、家族に迷惑だ。生きづらい、世の中だね………。そう呟き、悠人は下を向いた。

「僕は悪いことしているのかなぁ?」

「悠人には、悠人を抱き締める腕がある。髪を撫でる指がある。俺がいる。俺がいるから。あ、あとな!スープ、カボチャのスープ作ってみたんだ。美味しいぞ。ほら、ずっと、一緒なんだろ?」

 小さく悠人は頷き、俺にしがみついた。

「俺がいるよ。ずっとお前を守るよ。『卒業』なんてしない。一緒に、いるから!」

 前にバレンタインデーは許される日だったと訊いて、胸が痛んだ。俺は悠人を傷つけた。それでも、悠人はこんな俺を好きだと言ってくれた。バレンタインデーに昔くれたリンツのプラリネの詰め合わせをホワイトデーに悠人がくれた。美味しかった。

「バレンタインの時、あんなに喜んでくれるとは思わなかったから」

 そう言い、悠人は笑う。俺が悠人にやったロシェも1日1個って決めて食べてくれてたって。

「いつも、英明がくれたチョコを食べるたびに、僕は英明が好きなんだなって思うんだ。やさしくて、甘い。君みたいで」

 悠人の、穏やかな悲しい目。チョコレートを含んだままキスをした。チョコレートが口の中でほどけるような瞬間は、心地よく充たされて、蕩けてしまうような感じがした。俺は口唇を離した後『悠人を抱きたい』と言った。真摯だった。悠人は、小さく頷いた。

──────────────

「こ、こういうこと、初めてで…ネットカフェで、じゅ、準備?は調べたんだ……ちょっと、待ってて……」

「待ってるよ。大丈夫」

 遮光カーテンの隙間から淡く光る月が覗いた。悠人に似ている。

 好きだよ、から口づけ始まった行為。俺はスキンをつけて、心地よくなれるように悠人を愛撫した。滲む快楽を感じさせる声が、羞恥に染まり肌を赤くさせる悠人が、俺をそそらせる。悠人は声を出した瞬間、口に両手で蓋をした。

「どうした?」

 不思議そうに俺は悠人に、努めて優しく訊いた。悠人をずっと抱きたかった。セックスが『怖いもの』や『嫌なもの』と思われたくなかった。

「僕、変な声でる。こういうの『いんらん』って言うんでしょ?こんな、恥ずかしいよ……嫌いに、ならない?」

 俺は悠人の口を押さえる両手をほどいて悠人の頬に口づけた。淫乱だなんて、何処で覚えてきたのだろう。悠人は性に対して、どちらかと言えば奥手な方だ。

「ならないよ。寧ろ嬉しい。身体苦しそうだな。楽にするから。声出して。悠人の感じてる声、聞きたい。我慢しないで」

 下肢の間に顔を埋める。手と口で悠人を可愛がる。涙目になりながら、足先を痙攣させて悠人は達した。それから、悠人は、素直に快楽を受け止めるようになった。指で慣らす俺の首に腕を絡ませ口づける。悠人は無意識で誘う。俺がどうすれば悦ぶか、まるで、全て知っているかのようだった。熱を帯びた潤んだ視線に、俺の身体はとまらなかった。

「苦しく、ない?悠人?」

 快楽を受け止め、喘ぎ、俺を欲しがる悠人に俺も理性は何処かへ行った。悠人の細い足を掴み、容赦なく奥を揺さぶった。

 身体の加速度を速め、見つかった弱いところに激しく当てると、悠人は完全に理性を手放した。交わされる言葉は、卑猥で淫らな言葉。喘ぎと、嬌声。繋ぎ合わされたお互いの身体が、擦り合わせて生み出されるのは快感だけではなく、刹那的に消えてしまう透明な恋慕。それを留めておきたくて俺は何度も『愛してる』と言った。登り詰めるような今まで味わったことのない快感に、悠人は細い悲鳴のような声をあげ、果てた。俺は悠人から身体を離し、スキンに白を放った。心地良い浮遊感が残った。悠人と、手を繋いだ。こんな感覚は初めてだった。

────────────────

 行為のあと、悠人とシャワーを浴びる。じゃれあいながらお互いの身体を綺麗にした。それから、恥ずかしそうに悠人と二人でシーツを代える。悠人を肩口にいれて、呼吸も整わないまま話す。

「また、東京観光しようか、悠人。そういやさ、もんじゃ、食い忘れてたな。あと、足伸ばして横浜でも行くか。お粥が美味しい店があるんだよ。店員さんはあんまり愛想はないけど、サービスいいんだ。行こう。杏露酒がうまいんだ。二人の愉しい思い出は、積み重ねだよ。愛してるよ。何よりも。お前を愛してるよ。悠人が帰る場所は俺がいる場所なんだろ?俺も、村を捨てた。帰る場所は悠人がいる場所にしたい。仕事、休み取れたら……ママに訊いてみてからだけど、また駅の方に出かけないか?久し振りにゴディバのチョコ奮発しよう。珈琲豆を挽いて、ドリップして飲みながら食べよう。バレンタインじゃないけどさ、チョコレートを食べる日はいつもバレンタインだ」

 俺は、そう天井を見て言う。自分が言った言葉なのに、現実味を帯びないのは何故なんだろう。儚いお伽噺のようだと思った。まるで絵空事のような。ずっと同棲してきた。上手くいっていた。なのにどうしてだろう。悠人が、俺にしがみついて静かに泣きはじめた。

「ど、どうした?」

「怖いんだ。怖いんだよ。確かに幸せなんだ。なのに、解らないけれど、不安なんだ。こんなに幸せなのに。ねえ、君は?」

 答えは悠人が言った。俺、今まで生きてきて、今が一番幸せなんだと解った。だからこんな満ち足りているのに、何処か切ないんだ。全てのことに永遠はないから。それは、皆知っていることだ。

「幸せだよ。俺は悠人が幸せそうに笑ってくれるなら、それでいいんだ。それ以外、俺は何もいらないよ、少し前まではそう思ってた。でも、欲がでた」

 きゅっと目を瞑り、悠人は俺にぴったりとくっついた。何かに怯えるような悠人が可愛い。

「悠人がいるだけで良い。ずっとそう思ってた。でも今は悠人との幸せな未来が欲しい。俺は欲張りになった。悠人が未来を描くから、俺も悠人との未来を描きたくなった。それが涙の正体だよ。未来はわからないから。ただ、悠人が好きなことだけは、変わらないよ、ずっと。これからが変わるときは、悠人がそれを望むときだ」

 悠人はぎゅっと目を瞑りながら首を振る。

「そんなことないよ、英明……モテそうだし」

 言葉を濁して悠人は下を向く。相変わらず、長い睫毛だ。

「馬鹿だなあ。心変わりが怖いのは俺の方」

 俺がそう言うと、悠人はじっと俺を見つめて、

「僕には、君だけ。だからいつか、君の友達にも紹介して?あと英明の空いてる夜、夜遊びもしたい」

「ああ。いい奴らだけど、ちょっと不安だな」

「どうして?」

 不安そうに悠人が言う。

「ちょっとキワドイこととか言って悠人の反応見て楽しむんだろうなって……悠人、可愛いからさ、構いたくなるんだよ。すれてなくて、初心で、優しいから。……ちょっと疲れさせたな。悠人が可愛くて、俺、がっついた。ごめんな。身体、きつくないか?」

 悠人は、「初めてが、英明で良かった」微笑んで俺の頬に触れ目を閉じた。びっしりと上下に生え揃う長い西洋の人形のような睫毛が間接照明に影をおとした。怖くなる。だから、毎日先に眠りに落ちる悠人の眠る額に口づける。

 愛しているから、ひとりにしないで。眠る前に悠人が呟いた。共依存ではない。ただ、灯火が消えたら怖いのだ。

 俺も同じだ。孤独の薄暗さに明るさをくれたのは悠人だった。けれど、灯火が消えてしまったら……?元の生活に戻るだけだ。けれど、今はもう『それだけ』とは言い切れない。想像するだけでちぎれそうな痛みがする。

 悠人がいるだけでいい、それだけでいい。幸せって、今を感謝することなんだと、改めて知る。願いを、今日も俺は悠人の眠る額に刻むような口づけにこめて、願う。小さなベッドでも、くっついて寝ると温かい。この温もりが幸せっていうんだろうと思う。

 愛しているよ。ずっと一緒にいような。二人で長生きしような。『「ずっとなんてない」なんて言わせたい奴には言わせとけ』きっと悠人なら素敵なおじいさんになるよ、と。

 



────────────next Episode








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