第9話

昼休み。

教室の喧騒が、今日はやけに遠く聞こえた。


俺はひとり、購買で買ったパンを片手に校舎裏へと向かう。

風が通るその場所は、誰もが素通りしていくくせに、妙に落ち着く。


いつもと同じように角を曲がったとき、思わず立ち止まった。


そこに、小崎がいて、白石さんがいた。


ふたりとも、並んでベンチに座っていた。


 


「……あ、黒巻くん」


先に気づいたのは小崎だった。

白石さんも、ほんの一瞬だけ戸惑ったような目をしたけど、すぐに目を逸らさなかった。


それがなんとなく嬉しくて、俺は「悪い、ここ空いてる?」と声をかけた。


 


「……うん、大丈夫」


白石さんが答える。その声が前より少しだけ軽くて、

俺はパンを手に、彼女たちの横に腰を下ろした。


 


しばらくの沈黙。

でも、それが嫌なものではないとわかるのは、この空気が柔らかいからだ。


 


「……澪って、昔から無言でも居られる子だったよね」


ふいに白石さんがぽつりと言った。


「ん? なにそれ」


「中学のとき、廊下で二人で座ってても、別に会話なくても平気だったじゃん。

変な空気にならないの、あかりくらいだったよ」


「それ、褒めてんの?」


「たぶん」


小さな笑いがこぼれる。

白石さんが笑った。ほんの一瞬だけど、自然な顔だった。


 


俺はそのやりとりを見ていて、思った。


きっとふたりの間には、俺の知らない時間が何層にも重なっている。

でも、その中に少しだけ、今の俺も混ざっているのなら──

それは悪くないと思えた。


 


「……俺は昔から、空気読みすぎて何も言えなくなるタイプだったよ」


ぼそっと呟いたつもりだったけど、小崎がすぐ拾う。


「意外。黒巻くんって、もっと突っ込んでくるイメージだった」


「それは小崎がいじりがいあるからだよ」


「は? なにそれ」


「はいはい、また始まった」


白石さんの言葉に、ふたりで笑った。

少しだけ、懐かしいような、初めてのような笑い声だった。


 


ふと思い出す。

弟がいた頃の昼休みも、こんな風に風が通っていた気がする。

誰かと話すだけで、何かが軽くなることが、たしかにあった。


でも、あの頃と違うのは──

もう失いたくないと思う相手が、ちゃんと目の前にいることだ。


 


風が吹いて、白石さんの髪が頬にかかる。


その仕草を、小崎がなにも言わずにそっと指で払ってやる。

白石さんは照れたように笑って、「ありがと」と一言だけ言った。


 


それを見て、俺は心のなかでそっと決めた。


次は、俺が風を避ける役になろう。


何か大げさなことじゃなくていい。

ただ、静かにそばにいることで、誰かの孤独を少しだけ薄くできるなら。


 


──そういう在り方も、たぶん“あかり”になるんじゃないかと思った。


 


 


昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

3人で立ち上がる。足音が、重ならないまま、でも同じ方向を向いていた。


 


今日の空は、冬なのに少しだけ春の匂いがしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る