第4話

冬の朝は、空気が澄みすぎていて、心の音が反響する。

登校時間のざわめきから少し外れた場所にいると、自分の呼吸が妙に大きく感じられる。


今日、白石さんは来ない気がした。

でも、だからこそ行かなきゃいけない気がして、

俺はまた、ゆっくりと階段を上がっていた。


 


屋上の扉を開ける。

風がひとつ、くぐもった音を立てて吹き抜けた。


そこに、白石さんの姿はなかった。


 


柵に手をかけ、冷たい街を見下ろす。

つばめの影も、声も、今日はいない。


昨日の帰り、彼女が差し出してきた小さな封筒を、制服の内ポケットから取り出す。


手紙じゃなかった。

ただの、写真だった。

古ぼけた街角。

そこにぽつんと立っている、小さな白い制服の後ろ姿。


 


裏に、文字がある。


------------------------------

わたしは、つばめにはなれなかったけど、

あの頃のわたしを、見送ってくれる誰かがいたなら、

今のわたしはもう少し違った気がする。

------------------------------ 


その言葉の意味を、俺はすぐに理解できなかった。


けれど、それが助けてって言えなかった日の記憶なら――

それを誰かに見つけてほしいと願う気持ちなら――


俺は、少しだけ分かる気がした。


 


屋上の扉がゆっくり開いた。


「……おはよう」


息を弾ませて、白石さんが立っていた。

制服の襟元をぎゅっと握って、顔を上げたその目が、

どこか決意を帯びていた。


「今日も、来てくれてありがとう」


「うん。……来るよ、俺は」


白石さんは小さく笑って、ポケットから何かを取り出した。

手の中でしばらくもぞもぞと迷うようにしてから、俺に差し出してきた。


小さな、銀色のキーホルダーだった。

羽の形をした飾りがついていて、古びた金属が少しくすんでいる。


「これ、昔から持ってたやつ。……でも、そろそろ手放してもいいかなって」


「……いいの?」


「黒巻くんに預けるの。わたしが、まだ飛べるかどうか、ちゃんと見ててほしいから」


そう言って、彼女は俺の手のひらにそれを置いた。


その瞬間、指先がほんの少し、触れた。

わずかな体温が、冬の風よりも強く、長く残った。


 


「じゃあ、俺も」


俺は胸ポケットから、昨日の写真を取り出して差し出した。


「この子、ちゃんと見送るよ。俺の中で」


白石さんはそれを見て、小さく目を細めた。

そして、「ありがとう」とつぶやいた。


 


風が吹いた。

遠くでチャイムが鳴る。


 


「明日も、ここに来ていい?」


「うん。……俺も来るよ。副隊長として」


「ふふ、じゃあ任命するね。わたしの、風見鶏」


「それ、役職なの?」


「階級より偉いよ」


白石さんが、ちゃんと笑った。


その笑顔を見て、俺は思った。


 


――この手のひらに乗った小さな羽が、

誰かの時間を軽くすることがあるのなら、

俺はずっと、それを預かっていたい。


 


空はまだ曇っていたけど、風が少しだけやわらかかった。


 


まだ飛べる。

そう思えた、静かな朝だった。

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