六、むげんだい
週明け、学校に行くと、レイジとライトにクロシロの容態を正直に伝えた。二人は「やっぱり」と言いたげな表情だった。感づいてはいたのだろう。しかし、二人は本当のことを言わなかったクロシロを責めることはしなかった。
「僕がクロシロくんと同じ状況だったら、言えなかったと思う」
ライトがうつむいて言うと、レイジも同意した。
「俺も。言ったら、みんなに余計、気をつかわれると思うしな。死に直面したら、誰だって恐いよ。でも、俺はあいつが治るって、信じてる」
強い口調だった、ライトもうなずく。円も二人の目に宿る光を見て、クロシロの手術の成功をともに祈った。結果がどうであれ、彼には少しでも長く生きていてほしかった。
三人は、三つだけ折鶴を作ることにした。クラスみんなで作った千羽鶴とは違う、小さなものだ。
ライトが机から折り紙を出すと、円はオレンジ、レイジは黄色、ライトは黄緑の紙で折りはじめた。
できあがると、三人は空っぽのクロシロのロッカーにそれを置いた。彼が登校して、ランドセルを置くまでの、留守番役だ。こうでもしないと、クラスメイトは彼の存在を忘れてしまう。そのうち、空いているロッカーに、勝手に私物を入れるやつが現れるかもしれない。そのための、警備員ならぬ警備鶴だ。
不思議なことに、きれいな置物がある場所は、むやみやたらに近づかない。それがクラスメイトたちの変な習性だった。
ロッカーに鶴を並ばせると、三人は笑った。
「それと俺も、二人に報告がある」
ロッカーの前で、レイジがコホンと咳払いをした。頬には少し朱がさしている。自分から口火を切ったのに、なかなか本題に入らないレイジを、円はせっついた。
「なんだよ、レイジ。そんなにもったいぶる話なのか?」
「いや、そうでもない。言わなきゃいけないとは思うんだけどさ。どうも、恥ずかしいと言うか」
「レイジくんらしくないよ?」
ライトもしびれをきらし、レイジを急かす。仕方なく、レイジは口を開いた。
「俺、新しく塾に通うことになったんだ」
「え」
円とライトが一瞬固まると、レイジは慌てて補足を入れた。
「あ、母さんに無理に入れられたんじゃないぞ! 今度は中学受験専門じゃない、普通の塾。自分から入りたいって言ったんだ。俺、勉強自体は嫌いじゃないし、そこは前の塾みたいに、宿題や予習もきつくないみたいだから。やっぱりパイロットになるには、勉強しなきゃいけないだろ?」
レイジの説明に、円とライトはホッとした。親に言われたのではなく、自分からやりたいと頼んだのなら、話は別だ。
「また逃げ出すなよ」
円がからかうと、レイジは彼を小突いた。
「もう逃げないって。自分で言い出したことだからな」
「いつから塾なの? しばらく遊べなくなっちゃう?」
ちょっとだけ、遊べなくなることが残念そうなライトが訊ねると、レイジはカレンダーを見て、こたえた。
「今度の土曜が体験入塾で、それ以降は毎週火曜と木曜かな。それ以外は遊べるからさ。また、泊まりにも行かせてくれよ」
レイジが笑うと、置いてけぼりを食った気分の円は、勢いよく手をあげた。
「おいおい、レイジばっかずるいって。俺もライトの家に泊まりたい!」
ライトは、円の様子に微笑みながら言った。
「二人ともおいでよ。またカレーでも作る?」
「そうだなー、今度はハンバーグがいいな」
レイジの案は、円が即却下した。
「ダメ! 俺はライトのカレー食ったことないから、カレーがいい!」
二人とも、食べ物のことになると譲らない。そういった部分は年相応だ。ライトがそれを仲裁するかのように、折衷案を出した。
「それならハンバーグカレーにするよ。野菜たっぷりのね」
ライトのアイディアに、円とレイジは思わず発案者の顔を見た。そうきたか。意外な案に、二人は吹きだした。まさにいいとこどりの、おいしそうなメニューだ。
「できたらさ、クロシロが退院したら、お泊り会開こうぜ! 四人で!」
「うん、そうだね」
レイジの言葉に、ライトも同調する。
――奇跡が、運命を変えてくれるならば。もし、神様が本当にいるならお願いしたい。
四人の友情に免じて、全てがうまく行きますように。くだらない『運命』が、変わりますように。
土曜日。円は気がそぞろだった。クロシロは今日、手術だ。レイジも入塾テストだと言っていた。家にいても落ち着かない。こんな気分になるなら、ライトを誘って遊びにでも出かけようか。でも、今日はお母さんが家にいると、ライトは喜んでいた。久々の親子水入らずを邪魔してしまうのも悪い。
しかし、そわそわする。やっぱり、少しだけライトと話だけでもしようか。電話を取りに行こうと、階段を下りようとしたとき電話が鳴った。急いで子機に駆けより、電話にでると、ライト本人からだった。ちょうど彼のことを考えているところだったので、びっくりした。
「円くん、今暇?」
「暇だけど……お前、お母さんと今日は一緒なんじゃないのか?」
訊ねるが、それについての返事はなかった。
「なら、今すぐ僕の家に来てほしいんだ! 一緒に見てもらいたいものがある!」
ライトにしては一方的な申し出に、円は驚きつつも了承した。いつも控えめな彼が、やけに慌てている。何が起こったんだ? スニーカーを履くと、急いでライトの家に走った。
ライトは入り口で、円の到着を今か今かと待っていた。円が呼ぶと、ライトも手をあげた。
「どうしたんだ? 急に呼び出すなんて」
「いいから、家に入って!」
強引に背中を押され、円はライトの家にお邪魔した。
「円くん、いらっしゃい」
ライトのお母さんは、相変わらずきれいだった。円を部屋に通すと、すぐに麦茶と手作りクッキーを持ってきてくれた。
「さっきまで、來人とクッキーを焼いてたんだけどね、とんでもないものがうちに届いたのよ。來人ったら『一人で開けるのが恐い』って。私もいるのに」
ライトのお母さんは、文句を言っているのか喜んでいるのかわからない口調で言った。息子にないがしろにされたことは不満だったが、それよりも、友達を呼び出したことは喜ばしいことだったようだ。
ライトは白い封書とハサミを持ってくると、円に見せた。
「これは……」
思わず円もごくりとのどを鳴らす。封筒の裏の発信者名は、ラジオ局『ラックシックス』だ。
「もしかしたら、『シックス・ナイトフィーバー』のテーマ曲の件での手紙かと思って」
しばらく円、ライト、ライトの母親の三人は封書を見つめたあと、宛名の本人がハサミで封書の上をきれいに切り取った。中には何枚か紙が入っている。それを取り出すと、母親に渡した。
「僕読むの恐いから、お母さん読んで!」
「ええ? お母さんが読むの?」
ライトの母親もおどおどしだす。責任重大だ。呼吸を落ち着かせると、ゆっくりと三つ折の紙を開いた。静かに書面に目を通す。そして、ライトと円に、更に落ち着くように言い聞かせると、とおる声で読みあげた。
「『この度は、「シックス・ナイトフィーバーテーマ曲」に応募していただき、誠にありがとうございました。スタッフ一同により、厳選した結果、角田來人さんの「ドリーム・ライン」を採用させていただくことになりました。つきましては……』」
「や、やったぁ!」
「うおおおお! すげえぞ、ライト!」
手紙の内容を最後まで聞かず、雄叫びを上げる円とライトだったが、ライトの母親も途中で読むのを止め、ライトに抱きついた。
「來人、おめでとう! お母さんの自慢の息子だわ!」
「ちょっと、お母さん! 円くんも見てるって」
恥ずかしがるライトに頬擦りする母親。円も泣きそうなほど嬉しかった。
その瞬間、ライトが光った。「1、0、0、0、0、0、0、0、0」の数字が浮かび上がる。それが金色に輝くと、ライトの体に吸い込まれるように消えた。
円は目を擦ったが、もう数字は見えない。ペンダントを握り、ライトに集中しても、二度と数字が浮かび上がることはなかった。
翌日、レイジから久々にサッカーをしようと誘いの電話があった。ライトは今日、さっそく『ラックシックス』に母親と行くらしい。テーマ曲として使用するにあたって、様々な手続きがあるようだ。また、ちゃんとしたスタジオで録音したわけじゃなかったので、今度、録りなおすと手紙にも書かれていた。
「ライトやったよな! やっぱ、あいつ才能あるって!」
土曜の晩、レイジにもライトは電話したようで、すでに彼はその嬉しい知らせを耳にしていた。レイジも、自分のことのように喜んでいて、まだ興奮冷めやらぬ、といった状態だった。
「俺も手伝ったんだぜ!」
円が言うと、レイジは「ただボタンを押したりしただけだろ」と笑いながら、ボールを軽く蹴飛ばし、鼻高々と無駄な自慢をした本人にパスした。
「そーいや、お前は体験入塾、どうだったんだ?」
質問とともに、高くボールを蹴り出す。ちゃんとレイジの前に着地するように力を加減したのだが、彼の頭上を飛んでいってしまった。走ってなかよし山の前までボールを取りに行き、レイジも返事とともに高くボールを蹴った。
「新しい塾は結構面白そう。体験授業で友達もできたしな!」
彼のコントロールは完璧で、円の足元にボールは落ちた。
円がボールを再度蹴る。今度はレイジの右の方に大きくそれていく。再びボールを取りに走るレイジの背中に、「5、3、3、0、0、0、0」の数字が光る。
まただ。今度は何が起きるというんだ。
彼の背中を凝視していると、その数字はうっすらと「1、2、3、8、0、0、0、0」に変化していく。
「1、2、3、8、0、0、0、0」。千二百三十八万。この数字は確か――。
ボールを取ると、レイジは鋭いパスを円に送った。これも、きれいに円の足元に転がっていく。
「もっとうまくなれよな」と文句を言うレイジに、円は驚いたような表情を見せた。
「ど、どうした?」
そんな怒ったつもりはないぞ、とでも言いたそうな彼に、数字は吸い込まれていった。ライトのときと同じで、もう数字を再度見ることはできない。
まさか、運命が変わるとでもいうのか? 自分は奇跡を信じてもいいのだろうか。いや、信じたい。運命をくつがえす奇跡を。
「なあ、レイジ。明日の放課後、みんなでクロシロのお見舞い行こうぜ。俺、あいつの顔がみたい」
「え、あ、ああ」
突然の円の申し出にびっくりしつつも、レイジは首を縦に振った。
三人で病院を訪れると、廊下で光と会った。お見舞いだと言うと、「ちょっと今日はまずいな」と断られてしまった。手術をしたばかりで、経過があまりよくないらしい。
三〇二号室のネームプレートを見ると、クロシロの名前がない。じっとプレートを見つめていた円に気がついたのか、光が教えてくれた。
「雪白は、今ちょっと個室にいるだけだから。心配しなくても平気だよ」
通路を挟んで向かいの個室に、クロシロのネームプレートは掲げられていた。シールは赤ではなく、黄色。少しだけホッとするが、それでも彼の数字を見なければ、安心できない。
だが、今日は会えそうもない。仕方なく病院をあとにするが、道路を歩いているとき、ライトが声を上げた。
「あの、三階の青いパジャマ。クロシロくんじゃない?」
ライトのメガネはダテではなかった。三人は病院の敷地に戻り、青いパジャマの少年をよく見た。やっぱりクロシロだ。ベッドに座った状態で、外を眺めているようだった。
「おーい! クロシロー!」
円が手を振りながら叫ぶと、レイジとライトもマネした。三人が大声を張り上げて、窓際のクロシロにアピールする。
すると、気づいたようで、クロシロは三人に小さく手を振り返した。人差指と中指を立てて、ブイサインもする。手術は成功したようだ。
「早く元気になれよなー!」
「またみんなで遊ぼう!」
「学校で待ってるぞ!」
口々に叫んでいると、病院からドシドシと足を踏み鳴らし、光が出てきた。まずい、と思うまもなく首根っこをつかまれ、三人全員軽く小突かれた。身内じゃなくても手厳しいのは相変わらずだ。
「あんたたち! ここは病院! 他の患者さんに迷惑だろ!」
怒られている様子を上から眺めていたクロシロが、手を合わせて謝るポーズをする。
そんな彼に浮かび出た数字、「0」に、ゆっくりと数字が追加されていく。「1、1、6、0、0、0、0、0」。千百六十万円。全ての数字が浮かび上がると、白い光とともにはじけて消えた。
もう、何も見えない。――運命は変化したんだ。
じっとその様子見ていたら、「ちゃんと人の話を聞け!」と今度はチョップを食らった。怒られてもよかった。何の職業かはわからないが、クロシロは生きる。それだけで、心が跳ね上がるくらい嬉しかった。
「ま、でも、円くんには感謝してるけどね。手術が恐いって言ってたのを、あと押ししてくれたんだから。今じゃ、てのひらを返したように『医者になりたい』って言ってるよ」
医者。クロシロが医者か。だとしたら、さっきの数字は医者の平均年収? 想像したら、笑いがこみ上げてきた。あの大雑把なクロシロに、果たして医者が務まるのだろうか。レイジとライトも同じ考えらしく、二人もくすりと笑った。光も思わず吹きだす。姉から見ても、やっぱり似合わないのだろう。クロシロは、やっぱりクロシロなのだ。
「ずいぶん上機嫌だな」
なかよし山のベンチに寝そべっていたら、月波が来た。ライトは今日、ラジオ局に行く予定だし、レイジも塾だ。久々にこうやってのんびりしている。
起き上がって、月波が座れるスペースを作ると、彼は腰を下ろした。
「で、どうしたんだよ」
「奇跡が、運命を変えたんだ」
「へえ」
初めて会ったときと同じく、質問したくせに回答には興味のなさそうな返事をする。自分が詳しく話さなかったせいかもしれないが、それでよかった。しかし、月波は珍しく円のこたえに自分の意見を足した。
「本当に奇跡が起きたと思ってるとしたら、お前は本当に大バカだ」
「は?」
あまりにも乱暴なもの言いに、円もつい腰をあげる。座るように手を上下させる月波に、文句をこらえて従うと、彼はにやりと笑って言った。
「お前の胸にあるペンダント。こいつは『ツールでしかない』って言っただろ? 年収が見えることで、相手の悩みや問題がわかることだってあるんだ。だけど、それを解決できるのは、本人だけ」
難しい顔で月波を見つめると、彼は理解できていない円にもわかりやすく話してくれた。
「要するに、人の年収なんて、あてにならんのさ。あいつらは、お前のあと押しがあったから、運命をひっくりかえしたり、夢に近づけたりすることができた。お前は、友達百人いなくても、仲間は三人もいる。だったら今度は、あいつらにお前の運命をひっくりかえしてもらう番じゃないか?」
そういうと、カバンの中から黒いスタンド式の鏡を出した。ふたを開けて、円の顔を映す。
「見てろよ。今度は、お前が夢を見る番だ!」
円が鏡をのぞきこむと、黄色い光のラインが曲線を描き出す。円の顔には大きく「∞」のマークが浮かび上がった。
「……これは?」
「『無限大』だ。お前の可能性は、無限に広がっている。これから何を考えるか、何を目指すかで運命は変わる。だから、今は精一杯、夢を見ろ!」
月波の声で、ペンダントのチェーンはパンッと砕け散った。てのひらに地球が落ちる。落ちたペンダントは、まるで氷がとけるように、消えてなくなった。
鏡をしまうと、月波はすっと立ち上がった。そのまま背を向け、校門に向おうとする。円は彼を引き止めた。彼にはまだ、聞きたいことが山ほどある。
「大人になったら、夢は見なくなるの? 満員電車に揺られても、好奇心や楽しみを失わないで生きられる?」
その問いに、月波は振り向き、手を軽く振った。
「そんなことまで、俺が知るわけないだろー? 全てはお前次第だ」
去ろうとする彼に、今度は大声で聞いた。
「じゃあさ! 月波さんに、夢はある?」
突飛な質問をされ、目の前のダメサラリーマンは驚いた顔をした。円は知りたかった。この不思議な男が、何を考えているのかを。小学校で煙草をふかす。仕事はサボる。それなのに、円に無限大の未来を教えてくれた。こんな大人、もう二度と会えない。そんな気がした。
月波は困ったように頭をかいてから、また不敵な笑みを浮かべた。
「とりあえず、禁煙。それとな」
最後の言葉を告げる前に、彼の姿はなくなっていた。何度瞬きしても、辺りを見回しても月波はいない。
その瞬間、大きな風が吹いた。
『俺は、お前が望むような大人になりてーの!』
木の葉のざわめく音にまぎれ、月波の声が聞こえたような気がした。
風が止むと、ポケットの中に何か異物が入っていた。手をつっこんで取り出すと、月波の名刺だ。おかしいと思った。家で電話をかけることが多かったため、彼の名刺は自分の部屋に置いてあるはずだった。
水色の羽のロゴに、ゴシック体で書かれた『月波平』の名前。見つめていると、ロゴと名前は砂のようにさらさらと消えていき、真っ白な紙に新しい名前が浮かんだ。
『金子 円』
「こんなの、ありかよ」
円は、空を見て笑った。
今は好きな夢を見よう。将来なんて、本当は誰にもわからない。だから夢を描くんだ。そこから全てが始まるから。
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