第8話 嚆矢濫觴

 知らない天井を見上げていることを自覚したと同時に、自分が今の今まで寝ており、目を覚ましたことを自覚する。木目張りに大きな一本のはりが渡された単調なその模様と、あまり高くはなさそうだ、ということから簡素な建物の中にいることは上下左右に視線を動かさずとも想像がついた。二、三度瞬きをし、少し大きめに息を吐くと肺が痛み、思わず顔をしかめる。深い傷を負っているのか?どうにも記憶がない。顔を動かそうにも今度は首に激痛が走る。目線以外を動かすのを諦め、足先のほうに意識を集中する。背中に伝わる固めのマットレスの感触とは違う、少し柔らかめの何かが、足とマットレスの間に挟まっているような気がする。というのも見えないので仕方がない。恐らくはクッションのような何かだが、表面が一部破けているのだろう、中の素材がはみ出てしまっているらしい。体にかけられた薄い毛布をどかして起き上がろうと思ったが、自分の身体がまるで別人のもののように微動だにしない。そこでようやく自分が何故寝ていたのかを思い出した。いつ、どこで、何をしていたのか。徐々に記憶が鮮明になっていく。そして───


 「……こんなところで寝ている場合じゃない」


 そう呟こうとしたが、声が出なかった。一体何が起こっているのか。思わず目を見開く。動かそうと意識はしたがどこも関節が動かせないので、こうなると出来ることはもはや五感を研ぎ澄ますことだけだ。左側がやや明るいことから窓があることは分かった。どうやら雨が降っている。土砂降りというわけではなさそうだが、雨粒が窓に打ち付ける音と屋根から柱のように地面に降り注ぐ流水音も聞こえる程度には降っている。しばし逡巡しゅんじゅんしたところで、ようやくこの疑問にたどり着いた。


 ”なぜここに寝かされているのだろうか。”


 今度はそれを推察しようとした時、体の右側で複数の音がした。扉の開く音、その動きによって風が巻き起こり空気が引き込まれる音、床の木が踏みしめられ軋む靴の音、そして───


 「……気配がしたので来て見れば。ようやくお目覚めか。命と顔だけは無事で何よりだ、表情も読めないのでは語りかけることも出来ぬからな」


 抑揚のない無機質な女の声。首が動かないので目線だけやろうとするもまだその姿は見えてこない。その言葉の意味は心配と安堵からくるものか。それとも弱りきった獲物に対しての優越感からくる、とどめの前のはなむけか。情けなくも指一本動かない自分の体を呪いながら警戒心だけは強く保とうと心がける。


 「……安心しろ。取って食ったりなどしないさ。動けぬ喋れぬの人間をいたぶる趣味などない」


 語りかけてきた女が椅子に腰を下ろす。正確にはそんな音が耳に入ってきた。聴覚は無事らしい。椅子に座った女は一つ嘆息すると、やや間があったが再び話し始める。


 「"……背理の。常は何時も常にあらず。有域ゆういきの外環を拾いてこそ、居留きょりゅうの動を知り得たり。流るるはろう、拝するはろう如何様いかようにも世は応じ、如何様にも変ずる。流果るかに生むは真の根源、はじめを以て制す。ここに再びたまえ───"私が故郷で見つけた本に書いてあった言葉だ。……故郷と呼ぶのも烏滸おこがましいほどすたれた場所だったが」


 ……何のことやらさっぱりわからない。女がさらに溜め息をついた。正確にはそんな音と間があったように感じた。こちらの反応などお構いなしといった様子で尚も言葉は続く。


 「この本の持ち主が誰なのか、当時の私はまだ幼く知る由もなかった。この言葉の本当の意味もわかるはずがなかった。だが今なら分かる。そして───お前にも分かるはずだ」


 ……自分が?聞き覚えは全くない。彼女の言うような書物で見かけた覚えもない。言い回しから察するにかなり古い時代の文献、もしくはそれらを訳したものと考えられる。


 「その表情を見る限り……心当たりがないといった様子か。じゃあこの文章を書いたのが───」



 ■■■■■■



 「……どうした、ナヴァ」

 「……いや、なんでもない。今は不要なことだ」


 エーカムがこちらを見やることなくナヴァの機微を感じ取り、声をかけてきた。ナヴァも同じく正面を向いたまま応えた。ヘイグターレ現国王、マーロスティ・ワズプリュード・ヘルナテュリオスはその二人に、心の動揺を悟られまいと、幼女の姿を戻すことなく、表情を崩さずに問いかける。


 「お主らが今噂のグラモニッドからの侵入者か?聞き及んでいた話とは背丈や年齢が違う気がするのう……して、話を戻そうか。ディアゲラ・フィスドナークが生きているとな?果たしてそう言い切る根拠は?わしやここにいる者どもに納得できる証拠はあるのかね」


 「ああ、あるとも。だがこちらはすでに一つ情報を渡している。次はそちら側の情報を渡してもらおうか」

 「何を言う。お主らが言うそれの正確性が保証されぬ内はこちらとて何も───」

 「わ た し て も ら お う か」


 それまでとは一転してゆっくりと、刺すように、唸るように一層低くなったエーカムの声が響いた。玉座の背もたれの左、国王の左耳の僅か数センチを不可視の魔法が駆け抜けていく。魔法を放ったエーカム以外、誰一人として認識できない速度で、厚い革張りの施された金属製の王椅おうきに握り拳程度の穴が穿たれた。その魔法の風圧か、直撃こそしなかったが左耳には赤くにじむものがあった。国王が保つ威厳も、強めた語気の端にかもし出すいぶかしみの念も、エーカムの前にはほぼ無力に等しいのだ。狂気すら感じる唐突で無機質な殺意に、国王は思わず生唾なまつばを飲み込んだ。


 「二度も言わせるな。我々には時間がない。簡潔に質問する。簡潔に答えてくれればそれでいい」


 国王がおもむろにうなずくと、エーカムは早速第一の質問を投げかけてきた。


 「ディアゲラ・フィスドナークは約2週間前、メトラーナとパシカーラの国境、ウィップオーツ山脈へ、起こった魔法士連続失踪事件の調査のために訪れ、山脈中腹で突如消息を絶った。間違いはないか?」


 「……ああ、間違いない。奴の、本人たっての希望で調査に向かったらしい。軍の行動とは何ら関係ない。じゃがその質問は本質ではなかろうて。真に訪ねたいこととは何じゃ?」


 国外には決して明かしてはない、明かしてはならない帝国魔法軍の行動計画。だからこそ、ディアゲラがグアジェドに直談判し言いくるめて調査に向かったことは事実だが、あくまで軍の行動とは関係ないスタンスを保つしして深堀りされないためにも流れるように話題を変えた。しかしどうしてそれを何故この二人が知り得ているのか。想定外の連続に思考が遅れ、ややあって国王は答えたのだった。情報漏洩をした軍関係者を探し出すため一人残らず問い詰めるべきか、などと考えていたが、圧倒的な実力差の前だからか、不思議なことに今は激昂するという発想さえ浮かばなかった。むしろ隠し立てが通用しないことの方に恐怖を感じていた。今度はナヴァが口を開いた。


 「……理解が早くて助かる。ならば再びこちらから一つ、与えたうえで尋ねるとしよう。先程ディアゲラ・フィスドナークは生きていると言ったが、何故そんなことが言いきれるのか」


 ヘイグターレとしてはもちろんだ。消息を絶ったと思われる地点まで捜索隊を派遣したが姿は見えず、どこに向かったか、どう移動したかなどの痕跡もほぼ無いに等しかった。ほぼ収穫のないまま2週間を浪費したというのに、彼らは居場所も、生存も確認できているというではないか。全く持って信じられる話ではないが、ここまでの立ち振る舞い、下調べの入念さからして嘘をついているとも考え難い。国王はタバロとテレンツィオに目配めくばせしうなずいた。国王はナヴァに顔を向け直すと、続けるように促した。ナヴァはそれにうなずいて応えた。


 「我々が保護しているからだ」


 国王はじめ3人は十秒ほど理解に時間を要した。ディアゲラ・フィスドナークが、見ず知らずの男女に保護されている……?ヘイグターレにとって最大の問題は彼らが保護しているという確証がないことでも、三人が彼らと初対面なことでも、ディアゲラとて彼らと面識がないであろうということではない。彼らの言葉を信じるなら、ということだ。


 「例の山脈で満身創痍まんしんそうい、意識不明の状態で倒れているのを我々が発見した。外傷も内傷もひどく、生死のふちをさまよっている状態だった。我々の仲間が治療を施した結果何とか一命は取り留め、今朝ようやく目を覚ましたところらしい。短時間に高難度の魔法を連発していたんだろう、治癒魔法も相当効きが悪くてな。かなり難航したが現在の容体は安定している。色々調べているうちにディアゲラ・フィスドナークであると判明した」


 それが真実ならばこれほど嬉しいことはない。それどころか手厚い看病を施してくれた彼らに感謝しなければならないほどだろう。ヘイグターレ側の3人にかすかな安堵あんどと、敵前で気を緩めてはならないという意識が入り混じった、空気が流れたような感覚がしたのも束の間、ナヴァは質問に入る。


 「そこで、だ。この情報提供と引き換えに二つ質問がある。答えてほしい」 


 ナヴァは3人を順番に見やってから、溜めた割には相も変わらず淡々と語り始めた。

 

 「話題は変わる。究魔院の地下には水晶宮と呼ばれる空間で、魔法平等化計画、というものが進められていたらしいな。この事実はどれだけの人間が知っているんだ?」


 国王は絶句した。拘束魔法で身動きが取れないタバロとテレンツィオも目を大きく見開き、額にうっすらと汗をかいている。ごく一部の上層部しか知らぬその極秘情報を何故帝国の民ですらないナヴァが知っているのか。テレンツィオが現在院長を務める、究魔院でかつて研究が行われていたこと。それが今停止していること。それが魔法平等化計画と銘打たれていたこと。ほとんどを知り得ている。なぜ完全に消し去ったはずの過去が彼らに知れ渡ったのか。そしてどこまで彼らは事実を突き止めているのか。あらゆる疑念と、それが現実だった場合への底無き恐怖が三人の脳裏でこだまする。果たしてこの動揺は彼らに伝わってしまっているのだろうか。その時、客席の椅子の方から、エーカムともナヴァとも違う、年季の入った声がした。


「……皇帝陛下、私はどうしましょう」


 口にもかけられていた拘束魔法をひとりでに解いたタバロが国王に尋ねたのだ。ナヴァはその様子を見てわずかに目を見開く。テレンツィオは抵抗する気がないのか、微動だにしないまま部外者の二人を凝視している。ナヴァは相手をタバロに切り替え話を続ける。


 「ほう、さすがは現央魔院院長。激務に追われ魔法の腕など落ちぶれたなどと噂されていたが、”消却の智雄”の名は伊達ではなかったか」

 「ふん、そんな大昔のび付いた二つ名などとうに捨てたわ。貴様らが調子に乗れるのも今のうちじゃ。今に体の拘束も解いて姿形も残らぬよう消し葬ってくれるわい」

 「はて、一方で今置かれた状況も理解できぬような老いぼれではないとも聞き及んでいたが」


 エーカムは怒るでも哀れむでもなく、口以外のどこも動かさずに応じる。果たしてこの男は何を考え、どこまで既に知っていて、更にどこまで知ろうとしているのか。


 「タバロ。こやつらの力に我々が及ばぬのは火を見るより明らかであろう。逆撫でする利などない。……これは我々権力者に課された試練。それを超えるのが今かもしれぬと言うだけじゃ」

 「さすが国王陛下。随分と物わかりが良い」

 「貴様……!!陛下を侮辱する真似は―――」

 「しておらんじゃろうが。国家転覆や暗殺の類を考えておるならばここで我らを容易くあやめるであろう。そうはしないということは狙いがあるということじゃ」


 マーロスティは一つ咳払いをして場を静めてからエーカムとの対話を再開する。


 「すまん、話を戻し、お主らの質問に答えようかの。魔法平等化計画というものは確かに我が国の魔法研究において議題に持ち上がったことがある。ただしそれはあくまで計画で終わった。色々と課題が見つかり、実行の段階には移されなかった。ただそれだけのことじゃ。」

 「……前言撤回だ。随分とはぐらかすじゃないか」


 表情こそ変わらないエーカムだが、声がわずかに低くなった気がした。


 「今、わしがどういう状況であれ、お主らが安全だという証拠もなければ、敵国グラモニッドに情報が漏れないという保障もないからの。教えられることはこれだけじゃ。だが、そもそも話せるような出来事がこの程度しかない。その分今の内容に嘘偽りはないことは儂の命をかけてでも誓えるぞ」

 「へ、陛下……!!」


 再び手をかざして制し、タバロの言葉を抑え込む。マーロスティにとってもこれは賭けだった。エーカムらの言葉をこちらが信じるに足るかどうか、それはこちらの言葉を向こうが信じるかどうかでもある程度推しはかることが出来ると考えたからだ。


 「つまりは、我々には言えないが別の真相があるということだな」


 ナヴァの指摘にマーロスティは微動だにしない。しかし逡巡しゅんじゅんを悟られては相手の思う壺だ。今度はマーロスティ側から仕掛ける。


 「して、この話はどこで耳に入れたかなどはそなたらも教えんじゃろうが……そなたらが見聞きした情報筋とやらは果たして信用に足るのかね?」

 「ああ、信用に足る要素しか無い」


 エーカムは国王が語り終わるが早いか、即答した。高い信頼性を裏付ける何かがあるのか、それとも迷いを悟らせないためのブラフか。そうヘイグターレ側の人間が思う最中、エーカムが言葉を継ぐ。


 「お前たちの想像通り、我々の生まれは確かにグラモニッドだ。……とうに捨てたが。今はそんなことはどうでもいい。この情報筋の大元、それは貴様らが一番恐れている者だと聞いている」

  

 ややあって全員の目の色が変わった。声こそ発されなかったものの、国王以下全員の顔から血の気が引いていくのがエーカムとナヴァには手に取るように分かった。明言していないにも関わらずこの空気感、間違いない。その人物が誰なのかは全員が共通の認識を持っている、と。もちろんエーカムはその名を明かすつもりでいた。

 

 「そう、名は―――」

 

 そう言ったエーカムの言葉と動きが急に止まった。ヘイグターレの人間の警戒心が微かに削がれる。見るとナヴァも止まっており、何やら耳に手を当てている。


 「……くそっ、一番大事な時に」


 この特有の仕草は通信魔法だ。エーカムとナヴァは恐らく仲間と連絡を取っている。ナヴァは少し怪訝けげんな表情で相手方と会話をしているが、その間もエーカムはほぼ口を動かすことなく、その無機質な鋭い翡翠ひすいの眼で、真っ直ぐ国王を見据えている。一しきり会話を終えると、ナヴァは目を閉じ、大きく嘆息した。


 「二つ目の質問も出来ておらんというのに、こんな形で終わらせたくはなかったが……仕方ない。また必ず相見あいまみえるだろう。その時はよりよい返答を聞かせてもらえることを願っている。……行くぞ、エーカム」

 「……ああ」

 「おい、待―――」


 マーロスティの言葉もむなしく、言い終えると同時に彼らは一瞬で姿を消した。窓一つも空いていないため、聖属性の転移魔法によるものだ。使用者がいなくなった為、同時にタバロ達にかけられていた拘束魔法も解かれた。腕を組まれた正座の状態から急に拘束がなくなったため、タバロとテレンツィオは前に倒れそうになるのを咄嗟とっさに両手を出して四つん這いのような格好になる。王の無事を案じ即座に駆け寄ろうとした二人だったが、王が微動だにしないのをみて思いとどまった。


 「……陛下」


 タバロが呼びかけるのにも反応することなく、マーロスティは遠くの一点を見つめるかのように放心していた。命の危機を感じたことによる緊張はさすがの国王とはいえ計り知って抑え込めるものではない、それもあるのだろうが、国王の沈黙は考察と思考によるものであることは二人も感じ取っていた。間違いなくマーロスティらが生き延びているのは彼らに明確な殺意がなかっただけなのである。それだけではない。国家機密、その中でもほんの一部しか知らない情報をどこから彼らは知り得たのか。情報交換の目的は。考えなければならないことが多すぎる。果たして何分熟考したのであろうか。ふと集中が薄れた時、聞こえてきたタバロの報告でマーロスティは向き直る。


 「陛下が逡巡なさっている間に各部隊長には通信報告しておきました。第三、第四、第五部隊長は最後まで聞いておりましたが、第二部隊長は途中でこちらに向かっているようです。しかし、いやはやあのようなどこの馬の骨ともわからぬ者に手も足も出なかったなど申し訳ありませぬ」

 「……その点は良い。いくら適性が高かろうと、軍隊のように日々対人の鍛錬を積んでいるわけでもなければ院長になってからは第一線を退いて久しいであろう。それにあやつらはいわばじゃ。もしやするとグアジェド並み、いやそれ以上かもしれん……」


 国王のなだめにもタバロは終始申し訳なさそうな表情で押し黙っていた。日夜研究で実践的な魔法の使用機会など皆無に等しいテレンツィオも同様の表情である。そして国王の後半の言葉には、肯定したくない気持ちと肯定せざるを得ない感情が入り混じっていた。気まずさと呆然に似た雰囲気が支配する空間の重々しい沈黙を打ち破ったのは威勢の良い、聞きなじみのある男の声であった。


 「第二部隊長、ウォルザ・ベネスグラム。タバロ院長の喫緊の招集に応じただいま馳せ参じました!!」

 「おお、ウォルザか。いきなり呼び立ててすまん。一言で言えば緊急事態じゃ」


 いつもであればにこやかに世間話の一つでも交わす国王が間髪入れずに本題に入るのということは本当に緊急事態である、ウォルザの直感がそう告げる。


 「概要だけは向かいながらに院長から伺っております。して、奴らの所業は到底許せるものではありません。王宮内が無闇に魔法が使えないのを逆手に取ったかのような侮辱行為です……早速我が軍の偵察力の全てを賭けて行方を追うべきでしょうか」

 「いや、彼らは計り知れんほど手練れだ。タバロとテレンツィオが即座に拘束魔法をかけられたほどだ。いくらウォルザとて太刀打ちできる相手ではあるまい。それにタバロから聞いているかも知れんが、奴らがディアゲラを保護しているのが真実とすると———」

 「ディアゲラが……保護……?」 


 ウォルザはそれを聞くや否や思わず割り込んでしまった。通信を聞きつけてたと同時に幹部学生の監督業務を急遽切り上げ飛んできたウォルザは、タバロがディアゲラの話が出たと付け加える前に到着してしまっていたので無理もない。


 「保護ということはディアゲラの消息が掴めたというのですか!?無事なんですか!?今どこに!?」

 「落ち着いてくれウォルザ。まだ奴らの話が本当と決まったわけじゃない。証拠が何もないんだ。こちらを揺さぶるためのブラフの線も捨てきれない」

 テレンツィオが低い声でいさめる。ウォルザにとっては旧知の仲、かけがえのない同期。普段こらえているものが抑えきれず、取り乱すのも仕方ないと思う反面、確証もない情報に一喜一憂していては隊長失格だ。国王が言葉を継ぐ。


 「し、失礼いたしました……」

 「ウォルザの気持ちもよくわかる。だが今は待ち、耐えるときじゃ。幸いなことに、奴らに強烈な敵意は感じられなかった。向こうがどこまでこちらの手の内を知っているか分からぬが、取り乱してよからぬ推論と情報を渡す真似がなかっただけよしとしよう」


ウォルザの勢いが下火になるのと引き換えのようにマーロスティは滾々こんこんと言葉をつむぐ。その様子をひとしきり見ていたテレンツィオがやおら口を開いた。


 「———これはすべて私の推論で、そうでないことを願う……という前提の話なのですが」

 「どうした、テレンツィオ。お前さんらしくない言い回しだな」


 タバロの相槌にもわずかに頷くだけで、澱みなくおのが考えを述べていく。


 「今回の極秘派遣任務もしかり、平等化計画の件もしかり、内通者がいるにしても上層部しか知り得ないことばかりです。彼らに最も近く、内通の可能性があるとすれば……」

 「……ほう、奴らの話を真実とすれば、生死の淵を彷徨っていたところを助けられたディアゲラが見返りもしくは交換条件として機密の提供を迫られた内通者である、そういうわけじゃな?」

 

 国王があえて口にした内容に、テレンツィオは無言で頷いた。聞いていたタバロは目を伏せ軽く肩を落とし、ウォルザは目を白黒させ、弾き出されたかのように、条件反射のように反論を述べていた。それを努めて穏やかに制してテレンツィオが言葉を取り返す。


 「い、いくらなんでもディアゲラがそんな———」

 「ですからこれは最初に言ったとおり、私の邪推、最悪の中の最悪の想定に基づいた空論です。確たる証拠も何もありません。しかし一点。もしそうだとしても辻褄は合う。ただそれだけなのです」


 「そうじゃな。“もし”その空論が本当ならばディアゲラは大罪人ということになるが」

 「へ、陛下……」

 「その時はグアジェド以下、お主らが全てを賭して仇を討ってくれようぞ。のう?ウォルザ・ベネスグラムよ」


 ウォルザは言葉に詰まる。たらればの話に過ぎないが、万が一。本当に万が一今のテレンツィオの言葉が全て本当だとしたら。自分はディアゲラに刃を向け、とどめを刺すことはできるのだろうか。苦楽を共にした親友を、私心を挟まずに大罪人をとがめることはできるのだろうか。その時にならないと分からないだろうが、少なくとも今の自分にそんな覚悟はないように思えた。とはいえ国王陛下の前で今、どちらの趣旨の返答をしようとも嘘が混ざってしまう。言葉を決めあぐねていると再び通信魔法が部屋全員の耳に入ってきた。幾許いくばくか救われる思いのしたウォルザと3人の耳元で、グアジェドの声がこだまする。


 「こちらグアジェド・バーリュクス。国王陛下以下4名に告ぐ。グラモニッドの者と思しき2名の男と接敵するも取り逃がしました、申し訳ありません。例の門番の証言があった不審な少年と思われます。もう一方の男は素性不明ですがそれぞれシャトとサプタと名乗っておりました。それともう一点、重要なことが報告内容がありますが、間もなく謁見えっけんの間に着きますのでそこでお話ししようかと」

 

 そう言うが早いか、グアジェドは転移魔法で音も立てることなくシュトラメルグ城の謁見の間に舞い戻ってきた。


 「戻って早々謝辞から入ることをお許しください、国王陛下。グラモニッドからと思われる闖入者ちんにゅうしゃを取り逃がしました。軍事総監として至らぬ点、返す言葉もありません。せめてもと、かの少年、キドロア・セルエイクから話を聞き、彼らの名前は聞きだすことができました」


 大陸一の強国の頂点に立つ軍事総監という立場でありながら、魔法において遅れをとった。思うような成果を上げられなかった忸怩じくじたる思いと己の不甲斐なさへの憤怒からか、最敬礼の姿勢のまま顔を一切上げないグアジェド。申し訳なさと報告を急ぎたい気持ちがひしめいている様子を見て取った国王は、わざわざ告げることなく面を上げさせるために質問を投げかけた。マーロスティの想定通り、ぐジェドは即座に国王を見上げ、立ち上がる羽目になった。


 「お主の悔しさはわしには計り知れぬことではあるが、グアジェドが言うに、グラモニッドの侵入者とやらがいたということじゃな?」

 「そちらにも、とは……?」


 国王は一つ、軽い嘆息たんそくをした。その後、エーカムとナヴァに手も足も出なかったテレンツィオが先ほどまでの出来事をグアジェドに説明した。目を白黒させながらも終始黙って聞いていたグアジェドは聞き終わると、大きく息を吐き力んだ肩をゆっくりと下ろす。


「つまり、グラモニッドからの侵入者は4人いたということじゃな」


 マーロスティが噛み締めるように言った。


 「……まるで俺を陛下の元から遠ざけることが目的であったような時機だな」


 グアジェドの感情は口ぶりだけでなく、固く握られた拳にも表れていた。

 

 「確かにグアジェドにとってはそう感じるであろうな。恥ずかしい限り、やつらの拘束魔法にかかるとは央魔院院長として立つ瀬がない。たじろいでなどいなければ一矢報いていたであろうに」


 タバロは年相応の皺をたたえた顔つきとは裏腹に、復讐に燃えるかのごとき双眸そうぼうをしている。まだおとろえてなどおらず、負けたつもりもないのだろう。その様子を尻目にマーロスティは淡々と言葉を続ける。


 「正直な感想を述べれば、奴ら二人はタバロどころか五大将、グアジェドにも並ぶ……否、しのぐかもしれん。本人も口からもあったとおりタバロすらも見ず知らずの人間からの拘束魔法にかかったわけじゃが、転移魔法に拘束魔法、わしも見えないほどの精度と生成速度であった。主に我々帝国民が使うのは亜旅脱シャウヴェッカだが、奴らのは果たして何だったのであろうな。何にせよ、が二人組なのだから、グアジェド以外ではいかなる手の打ちようもなかったであろうな……さて、わしが話してばかりではつまらん。そろそろウレバの森で遭遇した闖入者ちんにゅうしゃとやらの話を聞かせてほしいのう」


 国王は表情こそ真面目を崩さないが、嬉々とした声色こわいろをしていた。未知に対する探究心の底知れなさ、というのがマーロスティの知識の幅の根源のひとつである。グアジェドは最敬礼の姿勢で崩れた襟を正して居直ると、今一度真剣な表情で、ウレバの森であったことを伝えた。その間、3人は沈黙を貫き、情報を吟味するかのごとく聞き入っていた。グアジェドがひととおり話し終えると国王はふうぅ、っと深く息を吐き、肩をほぐした。幼女の容姿に似つかわしくない所作だが、中身は老爺ろうやである。それにこのような難解な話、本物の幼女ではものの1分も聞くに堪えないだろう。


「ふむ、大まかな状況は理解できた。有無を言わず謁見えっけんの間を飛び出たと同時に奴らが来たときはどうしたものかとも思ったが、そちらはそちらで思わぬ収穫もあったようじゃな」

「……して、何も手を打たずというわけにはいきませんな。今後の方針はどういたしましょう、陛下」


 タバロはマーロスティに声の調子をわずかに落として尋ねた。聞き入っていた時の険しい表情のままだ。テレンツィオも国王の出方を伺っている。


 「このシュトラメルグ城に認められざる者が容易く侵入しておること、ウレバの森での出来事は到底看過できない。今でこそ彼らの狙いは我々にあるが、いつ国民に矛先が変わり、被害が及ぶやもしれん。その前に被害を最小限に食い止め、我が国の平和を守ることが急務である」

 

 3人とも反論の余地なし、とうなずいてみせる。


 「加えて壁門での不審者の件もあった。話に出た4人のうち、シャトという者が該当する説が有力であろう。国内に内通者がいる線も捨ててはならんだろう。とはいえ奴らの狙いが別にあるだとか、言質が虚偽のおそれも十分にある。何にせよ、判断に足る情報を迅速に、慎重にかき集めなくてはならん」

 

 この場の誰もが同じ意見であった。国王が促すまでもなく、集まった3人からそれぞれ方針が述べられる。


 「では私は院長命令として、央魔院内での内通者の調査と他国との交易制限の案を構想するとしましょう」

 「私は通門における検知魔法の強化と、上層部における新たな通信魔法の開発に取り組みます」

 

 タバロとテレンツィオが互いの顔を見合わせ頷く。グアジェドもそれに続こうとしたが、すかさずマーロスティから横槍が入る。


 「うむ、頼んだぞ。……その上でだ。グアジェドには申し訳ないが———」


 国王はそう前置きし、えてなのか、ゆっくりと喋る。


 「彼らの内通者がディアゲラである可能性を秘密裏に追って欲しいのじゃ」


 グアジェドはしばし固まっていたが、一瞬目を閉じ、首を大きく縦に振った。


 「もちろんです。門兵協会は徹底的に調べ上げますが、傘下部隊ではなく、本部隊にも内通者がいるやもしれません。軍全体に監視の目を光らせてまいります。そしていくら愛弟子であろうと、いや、愛弟子だからこそその線を切り捨てて行動するような真似は決して致しません」


 グアジェドの覚悟をしかと読み取った国王は微かに満足げな表情をした。


「では、異論はないな。只今の時刻を持って、ヘイグターレ帝国は全魔法士に緊急事態配備用意を令する」

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